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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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博物館めぐり!(大喜)
023_convert_20160622212136.jpg (部屋から見た景色)

午前6時に起床!
レストランへ行き、バイキングの朝食を食べる。
これといって食べたいというものがない・・・・(涙)

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部屋に戻り、TVを見たら、午前4時半頃に、なにやら台南・台中あたりで震度4の地震があったようだ。
熊本の地震が、いずれ台湾、フィリピンのほうへ影響を及ぼすだろうとは思っていたが、いくらなんでも早すぎる気がする。(大汗)
拙者の部屋は最上階の16階にある。
台北で大地震なんていうことになったらマズイ・・・(大汗)

中国語のニュースなので、言っていることがさっぱりわからない。
字幕だけで内容を想像するしかないのだが、これが結構面白い。
「何の話しなのか?」を想像する・・・・
澎湖島の花火大会で何やら事故があったようだ。
すべて「なにやら・・・」になってしまうのだが・・・・(大笑)
天気予報は、最低気温と最高気温の差が10℃くらいあるので、悩むところ・・・・
最低気温17℃、最高気温28℃と言われると、う~ん・・・何を着ればいいのやら・・・(苦笑)
半袖にしようか・・・長袖にしようか・・・

日本のTVも3チャンネル(BS放送)が映るが、あえて見ない・・・(笑)
折角、海外に来ているのに日本語のテレビを見たんじゃ面白くない。
台湾のTVは何チャンネルもあるが、それぞれ流しているニュースに若干の違いがある。
メインのニュースは同じだが、その他の小さなニュースは各局、違うようである。
日本のテレビ局の場合は、各局、流すニュースは同じ・・・
各局とも放送時間も合わせているのか、どのチャンネルに切り替えても、同じニュースとなる場合が多い。
日本のマスコミは異常としか思えない・・・(大汗)
同じニュースを流すのなら、テレビ局は1局で十分のような気がするんですけど・・・
各民放の特徴が全くないに等しい。(ニュースや情報番組など・・・)
熊本の震災のニュースを台湾のTV局のニュースで流しているが、局によって取り上げる時間に差がある。
被災者の声を中国語の字幕付きで流す局もあれば、さらりと短時間しか流さない局もあった。
TV局によって、それぞれ特色があっていいと思う。
そう考えると、やっぱり日本のテレビ局のニュース番組の編成は異常だ・・・

025_convert_20160622212526.jpg 026_convert_20160622212554.jpg

午前8時45分、迎えの車が来て、いざ、出発!
最初に向かうのは国立台湾博物館である!(大喜)
早めに到着したので、この博物館のある「二・二八和平公園」を軽く散策する。

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この公園は日本統治時代に作られたもので、完成は明治41年(1908年)・・・・
当時は「台北新公園」と呼んでいたらしいが、現在は「二・二八和平公園」という名称である。
これは、戦後の1947年(昭和22年)2月28日に台北市で起こった事件で、本省人(台湾人)と外省人(中国大陸から台湾に移り住んだ中国人)との大規模な抗争事件らしい。
中国大陸から台湾にやって来た蒋介石率いる国民党による弾圧事件ともいえる事件のようである。
が・・・拙者はあまり興味がないので・・・よく知らない・・・(笑)
以前、ツアーで来た時に、この公園内にある「二・二八祈念館」を見学したことがあったが、よくわからなかった・・・(大汗)
今回は、この「祈念館」の見学は予定に入れていない。
それより、国立台湾博物館の見学に時間を割きたい・・・・

029_convert_20160622224220.jpg (国立台湾博物館)

この博物館正面に2頭の「牛の像」がある。
これは日本統治時代の台湾神社(台湾神宮?)にあったものらしい。
で・・・“クウさん”は拙者に説明するため事前に下見して調査したらしい。(汗)
この2頭の牛は、まったく同じものではない。

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片方は、紅牛(赤牛?)で、赤銅製、1935年に作られたもの・・・・
もう片方は、青牛で、青銅製、1937年に作られたものらしい・・・
で・・・角の形も違うのだが、大きな違いは、目である!
片方の牛は一重瞼で、もう片方は二重瞼なのである。(笑)
で・・・片方の牛は台湾在住の日本人の寄付で作ったもので、もう片方は北海道の仏教団体「弘安海」が箱館戦争の犠牲者を弔うために作って台湾に寄付したものらしい。
台湾と箱館戦争の関連がちょっとわからないが・・・(汗)
で・・・・説明を聞いているうちに混乱してきて・・・
さて・・・どっちの牛がどっちだったのやら・・・(大汗)
たぶん、左の写真が紅牛で、右の写真が青牛だったような気がするが・・・
情けないことに、このブログに書く段になって、訳が分からなくなった・・・(大涙)
「ただ者ではないVIP]どころではない・・・「ただ者以下」である・・・・(大涙)

“クウさん”が「新兵器」を持参してきた・・・(笑)
携帯サイズのホワイトボードである。
これにいろいろ書きながらの説明・・・
これが非常に便利なのである。
口頭で聞いているだけではわからない・・・
図などを書いて説明してくれるのでわかりやすい・・・・
しかも、地名や固有名詞を、その場で書いて教えてくれるので、非常にわかりやすいのである。
「これを使って説明した方が分かりやすいと思って持参してきました」と言う。
いやぁ~いろいろと工夫をしてくれて感謝、感謝である。

もう、朝から大学の講義並みの猛烈な「お勉強会」となる。
が・・・こっちの知識不足で追いつけない・・・というのが情けない・・・(大涙)

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博物館のすぐ近くに銅像があるのを発見!(大喜)・・・
孔子の銅像である!
銘板によれば、これは、台北市第6(中区)の国際獅子会と日本国高崎市のロータリークラブによって建立されたものだそうである。
「国際獅子会」というのは「国際ロータリークラブ」のことらしい。
建立された時期は「中華民国64年2月28日」となっている。
「民国64年」は、日本では昭和50年(1975年)である。
「中華民国暦」は日本の「和暦」の大正元年(明治45年)が民国元年となっている。
ということで・・・・今年でいうと、今年は大正105年なので、台湾では「民国105年」ということになる。

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この建物は、ギリシャ風の建築だが、日本統治時代に日本人建築士によって設計された建物である。
ようやく、本命の博物館を見学!

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朝一番に来たせいか、ロビーはガラガラ・・・
ほとんど誰もいない・・・(笑)
会ったのは、掃除のおばちゃんと、博物館の職員だけ・・・(笑)

047_convert_20160623115513.jpg (天井のステンドグラス)

この博物館の床は、当時のものとは違うので、第一級古蹟ではなく第三級古蹟にランクが落ちているそうだ。
う~ん・・・・床だけのせいでランクが落ちてしまうとは・・・・(汗)

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中央の“くぼみ”のところに、昔は後藤新平の銅像が立っていた。(反対側の壁には児玉源太郎の銅像)
今は・・・壺が置いてあるだけ・・・(苦笑)
後藤新平、児玉源太郎の銅像は博物館内の別の場所に保管・展示されているようなのだが、改装か何かで見学は不可とのこと。
残念である・・・次回、再訪問するようかな?

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柱に取り付けられている照明・・・・
この意匠の中に、後藤新平と児玉源太郎の家紋が取り入れられているというのだが・・・
う~ん・・・どれが家紋なのか、さっぱりわからなかった。(苦笑)

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二階の回廊の床は当時のままである。

この博物館は、他国の「国立博物館(ナショナル・ミュージアム)」同様に、歴史や自然、生物、民族などに関する、その国の全体的なものがわかるような展示内容である。

先週、原住民に関する特別展が開かれていたとか・・・
「先週来ればよかったのに!なんで先週来なかったんですかぁ~?」と“クウさん”が連発・・・・(笑)
だいたい、そういう展示があるなんて知らなかったもん!(笑)
全然、調べていなかったし・・・
常設展示だけで十分だと思っていたし・・・(笑)
が・・・今回も、何やら特別展示のようなものが行われていた・・・
日本統治時代の建物に関する展示である!(大喜)
薄暗い中での間接照明の展示なので、写真が撮れなかったのが残念だが・・・
パネル展示が主体の展示だが・・・これ・・・なかなかいい!(大喜)
明治時代の洋風建築が好きな拙者としては、大興奮である!

ミュージアムショップで、この展示に関する何かしらの小冊子とか、図録のようなものはないかと探したが、残念ながらなかった。
その代わり、中国語と日本語が併記されている図録が1種類だけあったので、それを購入する。

あっという間にお昼である!(大笑)
こんなに、たっぷりと時間を取って博物館を見学するなんて、ツアーでは考えられないことである。
これを実際にツアーでやったら・・・・ツアー客は怒るだろうねぇ~と二人で大笑い。

博物館の近くのお店で食事をすることにする。

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看板に「雲呑」と書いてあったので、「ウンドン」と読めるから・・・日本で言うところの「うどん屋」かと思ったら違うようで・・・(大汗)
「雲呑」は広東語で「ワンタン」のことを指す言葉だそうだ。(笑)

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で・・・何を頼んだかと言うと・・・・知らない・・・・(大笑)
とにかく、メニューを見てもわからないから、“クウさん”に任せた・・・

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昼食は・・・2人で220元(約870円)でした・・・・(笑)

今日のドライバーは昨日の人とは別の人・・・“カンさん”・・・・
彼は別の場所で時間をつぶしていたようなので、昼食をごちそうできなかった。(笑)
で・・・・彼との合流場所まで徒歩で移動する・・・

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こういう古い建物・・・・好きなんだよなぁ~(大喜)
見ていて楽しんだよねぇ~

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「スターバックス・コーヒー」も古い建物の中に店を構えていた・・・
いいなぁ~こういうの・・・(笑)
食後のコーヒーを飲みたくなったので、行ってみたかったのだが・・・・
“クウさん”は・・・「時間がもったいないですから・・・」と近くのコーヒーショップで「お持ち帰り」のコーヒー・・・・(笑)
コーヒー2つで70元(約280円)なり・・・・
とにかく、喫茶店でのんびりとコーヒーを飲むなんてもったいない・・・(苦笑)・・・勉強!勉強!

次に向かったのは「国軍歴史文物館」・・・・
いわゆる「軍事博物館」である。
「軍事博物館」好きの拙者としては、絶対、来たかった場所である。
以前、ツアーで来たときになぜか閉館していて見学できなかった・・・・2回来て2回ともダメだった・・・
“右に偏った”人たちのツアーだったからだろうか?(大笑)
ようやく3度目の訪問で見学できる!(喜)

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館内の写真撮影はOKとのこと・・・・
ここは中華民国軍の歴史と装備品等についての展示がされていて、日中戦争時のものから、現在の中華民国軍に関するものまで、一連の「歴史」がわかるようになっている。

“クウさん”にとっては、非常に通訳しずらい内容で・・・・「これは国民党軍から見た歴史でして・・・」と冷や汗をかいていた。(苦笑)
いや、いや、文句をつけに来たわけじゃないんだから・・・(大笑)

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「盧溝橋事件」のジオラマ模型・・・・
左が日本軍、右が国民革命党軍(のちの国民党軍)である。
この事件は、昭和12年(1937年)7月7日に起こったので、ここ台湾では「七七事変」と称している。
宋哲元が率いる国民革命党軍の第29軍と日本軍が戦った事件で、これが日中戦争の発端となった。
この事件は、中国共産党・コミンテルンの策略だったそうだが・・・・説明版には、当然、そういうことは書かれていない。
「日本軍の侵略」ということになっている・・・(汗)
まぁ・・・そんなものでしょう。(苦笑)

日中戦争に関する一部の展示品に関しては、別に日本語の説明板が用意されていた。
そこには、次のように書かれていた。


第二陳列室
苦難の「八年抗戦」

8年に及ぶ抗日戦争は中華民族がその生存と国家の独立をかけた聖戦でした。
統計によれば、抗日戦争期間中に重要な会戦は22、主な遊撃作戦は175、大規模な戦闘は1100以上、小規模な戦闘は3万8900以上、兵士の損失は計320万人以上、軍民同胞の死傷者(行方不明者を含む)は2100万人以上であり、損失はまことに大きかったというほかありません。
しかし、その意義も決して少なくありません。
抗日戦争の勝利により、清末以来の恥辱をそそいで当時からの不平等条約を撤廃させ、中華民国を「世界の五大国」の地位にのしあげたのです。

(説明文より)



日本語で書いてあるということは・・・・
日本人見学者に向けての「お話し」ということだと思いますが・・・・
損失人数の多さには正直言って唖然・・・・
2100万人以上の死傷者?
中国人は、なんでも話を大きくする性格なのかな?
「世界の五大国にのし上がった」にも唖然・・・・
台湾が「五大国」???
まぁ、中国人・・・国民党が書くことですから、何とも言いようがありませんが・・・・
ちょっとやりすぎのような気がしますが・・・・(大汗)

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「南京大虐殺」と「百人斬り」に関する展示・・・・・
日本語の説明板には以下のように書かれていた。


南京大屠殺日軍軍刀

1937年12月13日、谷寿夫に率いられた日本軍が南京に入城した後、血なまぐさい大虐殺が始まりました。
この大規模な大虐殺、姦淫、虐殺により、中国側軍民の死傷者は30数万人に上りました。
中国抗日戦史において首都・南京の攻防戦は「南京保衛戦」、日本では「南京の役」と呼ばれます。
この「南京の役殺一〇七人」の日本軍の軍刀は南京大虐殺の証人といえるでしょう。
日本の尉官級の軍人が身に着けていた98式軍刀です。
刀身を固定する鋼片部分には「南京の役殺一〇七人」の文字が刻まれており、まるで殺人を人にひけらかすかのようです。

(説明文より)


もう、笑うしかないという展示・・・・
だいたい、「南京の役」って・・・何?(苦笑)
「南京攻略戦」ならわかるが・・・・「慶長の役」でもあるまいし、「役」なんていう字を使ったっけ?
日本の軍人が「南京の役殺一〇七人」なんて自分の軍刀に刻むかねぇ~
しかも九八式軍刀だというのだが・・・・
「九八式」というのは皇紀2598年の下二ケタの「98」から取られたもので、元号でいえば昭和13年に制式化された軍刀である。
で・・・・「南京事件」は、この日本語の説明板にも書かれているように1937年、つまり昭和12年の「事件」なのである。
う~ん・・・・昭和12年には存在しないはずの軍刀で斬ったのか?
日本軍は大したものである・・・・未来から武器を持ってくる・・・(大笑)
あまりにも“お粗末な”話に笑ってしまうが、知識のない日本人観光客が見たら信じちゃうんだろうなぁ~(大汗)
中国語の展示パネルの説明文を自分流に解読して“クウさん”に「私が訳すとこういう意味に受け取れるが、これで正しいか?」と確認を取りながら“お勉強”・・・・
「国民党の言い分ですから・・・」と“クウさん”は、しきりに恐縮される。
いや、いや、双方、それぞれの言い分があるでしょから構いませんが・・・・(苦笑)
この軍刀だけはダメだよ・・・・これ・・・嘘だもん!・・・偽物を展示しちゃダメだよねぇ~(大笑)

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これは「竹林遺書」と呼ばれるもの・・・・
これも日本語の説明板では以下のように説明されている。


1940年の桂南会戦時、広西学生軍は南寧・莫陳村の前線で日本軍に攻撃されて国に殉じましたが、生前に竹林内の一本の竹の表面に「いつの日か我々の青天白日旗を富士山の頂に立ててみせる」とその意気を刻み付けていました。
日本軍は「遺書」ともとれるこれら壮士たちの意気と愛国精神に心を打たれ、竹を切り取って日本に持ち帰り、祭っていました。
この竹は26年を経た1966年2月に旧日本軍人の宮崎宮司・田村克喜両氏が「神道国際友好代表団」に参加し、一行27人が台湾を訪れた際に返還され、同月23日に当時の教育部政務次長・鄧傳楷が受け取りました。
これは当時大きな話題となり、国民が初めて学生軍の壮烈な殉死の事跡を知ることになったのです。

(説明文より)


これまた、どうなんだろうねぇ~・・・・本物かどうかは知らないけど・・・・(苦笑)
なにせ、今も昔も他国に媚びる日本人はいるもので、結託して偽物を作った可能性がないとは言えまい?(苦笑)
ここに出てくる田村克喜という人物は実在する人物で、筥崎宮の宮司さんをしていたと思う。
が・・・・「宮崎宮司・田村克喜の両氏」という記述は間違っているのではなかろうか?
「宮崎宮司(みやざき・みやじ)」という名前の人ではなく、「筥崎宮の宮司」という意味ではなかろうか?
そうなると「両氏」とは言わないと思うが・・・・どうだろうか?
そうなると、「27人」という、もっともらしい人数なども披露しているが、この人数も怪しいものである。
ここには「青天白日旗(中華民国の旗)を富士山の頂に立ててみせる」と刻んでいるとのことですが・・・・
それでは中国人が日本を侵略するという意味になってしまう気もしますが・・・・いいのでしょうか?(苦笑)
それに・・・「遺書」なら自分の名前を刻むと思うんだけどねぇ~
日本の“右に傾いた”方々は、この一文を見て激怒したりするのですが・・・・
そう考えると、“眉唾もの”・・・・怒るほどの大したものではないと思いますが・・・・(苦笑)

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驚いたのは・・・・これ・・・・(日本語の説明板には記載はない)
日本軍の第18師団司令部の印鑑である!(唖然)
中国語の説明文によれば、民国33年(昭和19年)3月にインドに駐留していた中華民国軍の戦車部隊が第18師団司令部を襲い壊滅させ、その戦利品として入手したものらしい。
第18師団は「菊兵団」と呼ばれ、ビルマ戦線で戦っていたが・・・・中国軍の戦車に師団司令部がやっつけられちゃったの?(汗)
それは、知らなかった・・・・(苦笑)

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「国軍兵器室」には、各種の携帯兵器などの小火器、武器等の展示がされていて、旧日本陸軍の九二式重機関銃も展示されていた。

ここは約1時間程度の見学・・・・
次の博物館に向かう・・・
途中、“クウさん”が、「どうしても立ち寄ったほうがいい」という場所があるので、そこに立ち寄る。

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ここは「中山堂」と呼ばれる建物・・・・
この建物は、日本統治時代に日本人の設計で建設され、当時は「台北公会堂」と名付けられていたが、戦後に「中山堂」に改称されたものである。
で・・・・ここに、日本が統治した時の最初の「総督府」があったのである。
建物は全く別のもので、その跡地に「台北公会堂」が建てられたらしい。
「最初の総督府がここにあったということをまず知っておかないといけません」と“クウさん”・・・・(笑)
日本の統治以前、台湾は清国に統治されていて、その時に建てた建物で行政を行っていたが、台湾割譲後、日本軍が進駐して、この建物を接収し、「台湾総督府」として使用したという。
現在、観光名所となっている「台湾総督府」の建物は、その後に建てられたものだそうで、それまでは、ここで執務を執っていたのである。
樺山資紀(初代)、桂太郎(2代)、乃木希典(3代)、児玉源太郎(4代)等々の、我々がよく知っている台湾総督は、みなさん、ここで仕事をしていたわけだ・・・・
あの赤煉瓦の立派な「台湾総督府」は、まだ出来上がっていなかったのである。
第8代の明石元二郎総督までが、ここで・・・第9代の田健治郎総督から、あの「総督府」での執務となった。
「みなさんは、最初からあの立派な総督府で働いていたと思っているでしょう?それは間違いなのです!最初はここなんですよ!それを知っていただかないと・・・・」と“クウさん”
へぇ~初めて知った!いやぁ~勉強になるねぇ~(大喜)

「中山堂」の目の前に「抗日戦争戦勝利台湾光復紀念碑」というのが建っていた。

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う~ん・・・どうだろうねぇ~・・・・これ・・・・
その昔は台湾は日本だったんだよねぇ~
「抗日」はあり得ないと思うんだけどねぇ~(汗)
戦後に大陸からやって来た中華民国(蒋介石の国民党)からの、ものの見方なんでしょうが・・・(汗)

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この場所は「台北城」の「西門」があった場所である。
現在は、その門は消滅していて、それを示す古写真の展示がされていた。

次に向かうのは「台湾歴史博物館」である。(喜)
で・・・・すぐ隣に、面白い形の建物があった。
どうも「科学館」らしい・・・・
説明板には日本語も併記されていた。
それによると・・・この建物は「台湾国立科学館」という建物だったらしい・・・・

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道路の反対側に洒落た建物が・・・・(笑)
どうも、キョロキョロすると余計なものばかりに興味が行って、なかなか目的の博物館にたどり着けない・・・(大笑)
拙者の悪い癖である。

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この建物は「台北市立建国高等中学」の建物・・・・
「高級中学」とは、日本でいうところの「高等学校」だそうだ。
で・・・・この学校は、台北で最古の公立の高等学校だそうで、設立されたのは1898年(明治31年)・・・・
日本統治時代は、「台北中学」「台北第一中学(台北一中)」と呼ばれていた。
現在はエリート男子校で、台湾の最難関高校、台北大学への入学者数全国トップだという・・・・
へぇ~・・・・である。(大汗)
日本でいうと・・・・「開成高校」という感じかな?
ちなみに、初代校長の町田則文さんは、我が茨城県の方である!(実家が茨城県!)(大喜)

ようやく「国立歴史博物館」に到着!(大笑)

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到着して、すぐに見学できるかと思いきや、そういうわけにはいかない・・・(笑)
“クウさん”の「講義」を拝聴してからの見学である・・・(苦笑)

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まずは、ロビーの中にある扉に描かれている「神様」のお話しから始まる・・・・(汗)
左の人がウェイ・スー・コンという神様で・・・・右の人がチン・スー・パオという神様・・・・
ここまでは、わかったが・・・・(笑)
この先は・・・・?????
どうも、こういうのは苦手な分野で・・・・(大汗)
わかったような・・・わからないような・・・・さっぱり頭に入らない・・・・
旧帝国軍人の名前ならスルッと頭に入ったりするんだけどねぇ~(大笑)
で・・・・結局・・・・「魔除け」の神様?(苦笑)

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この博物館は、昔は「国立歴史文物美術館」と呼ばれていた・・・
設立されたのは1955年だから・・・拙者の生まれる5年前のこと・・・・それほど歴史的に古いとは言えない。
「歴史博物館」という割には、内容は「美術工芸品」「発掘品」である。
台湾の歴史について何か勉強になるかと思っていたのだが、ちょっと期待外れ・・・・
「文物美術館」という名称のままで良かったんじゃないか?(笑)
時代別に展示されているからって「歴史」と名付けられると、勘違いを起こしちゃうんですけど・・・(苦笑)

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これなんぞは、見ごたえある展示品である。
中央の物は・・・「三彩加藍人面鎮墓獣」というもので、唐の時代(618年~907年)のものだそうだ。
で・・・「重要古物」・・・・日本でいう「重要文化財」である。

ここはサラッと見学し・・・(それでも1時間はたっぷりとかかった・・・笑)
その後、館内の喫茶でコーヒーを飲んで一休み・・・・(笑)

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喫茶から見た風景・・・・
博物館の裏に「自然公園」がある。
この後は、この公園に行く。

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この「台北植物園」の中に「欽差行臺」という建物がある。
“クウさん”は、「これを見せたかったんですよ!」と言う。
この建物が、さっき立ち寄った「中山堂」の所にあった建物・・・・
清朝時代に、台湾視察の清朝の中央役員の接待用として建てられた建物だそうである。
で・・・・日本統治時代の“最初の”総督府として使われた建物なのである。
が・・・内部の見学は午後4時半まで・・・・今は、午後5時!
「いやぁ~残念だぁ~」と“クウさん”が連発・・・(大笑)
コーヒーなんて飲んで一休みをしたのがいけなかったか?(苦笑)
門扉が閉まっていて、内部の様子がわからないが・・・まぁ、仕方があるまい・・・・
機会があったら、また来ればいい・・・

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ここの門扉にも「魔除け」の神様が描かれていた・・・・(汗)

これで、今日の博物館めぐりは終了!(笑)
なんとも充実した一日が過ごせた。
なにせ、一日中“講義”である・・・・・(大笑)
もう、楽しくて仕方がなかった。

今日の夕食も、町の中に出て、適当な食堂で食事をすることにした。

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う~ん・・・・このお店の看板の「猪の血の湯」って何だろ?(大汗)
ドライバーさんと“クウさん”と3人での夕食・・・・
ド~ンと頼んだ・・・・(大笑)

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「猪血湯」「魯肉飯」「魯猪足」「嘴邊肉」「油豆腐」「魯豆皮」「燙高麗菜」「涼拌小黄瓜」「酸梅湯」・・・・
で・・・・合計、3人で540元(約2200円)なり!(笑)

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右側のスープの中に入っている「こんにゃく」みたいなのが、どうも「猪血湯」らしい・・・(笑)
地元では、かなりの人気がある食べ物だそうである。
「血」という字が付いているだけに、本当に「血」で作ったものらしいが、臭みもなく、さっぱりとした食べ物である。
が・・・ツルンとしていて、箸で掴みづらかった・・・(苦笑)

左側のが「魯肉飯」・・・
これが、また、なかなか美味しいのである!(大喜)
結局、追加でもう1杯注文し、2杯も食べてしまった!(大笑)
1杯40元(約160円)である。
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