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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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石和八幡宮
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八幡神社と絵馬 (市指定民俗文化財)

建久3年(1192)石和五郎信光(いさわごろうのぶみつ)が、景行(けいこう)天皇時代に祀られた物部(もののべ)神社の社地に、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を勧請(かんじょう)して祀った社(やしろ)で石和八幡宮と称する。
祭神は、応神(おうじん)天皇、仲哀(ちゅうあい)天皇、神功皇后(じんぐうこうごう)である。
正治2年(1200)信光が、兄武田有義(たけだありよし)の死により武田宗家(そうけ)をうけ、武田信光と称し甲斐守護職となり政庁を石和に置いてから、永正16年(1519)、信虎(のぶとら)が館を躑躅ヶ崎(つつじがさき)に移すまで武田氏の尊崇を受けた。
天正10年(1582)織田氏の兵火(へいか)により、社殿はすべて灰燼(かいじん)に帰したが、翌11年徳川家康の保護を得て再建された。
浅野長政いらい歴代の国主、甲府勤番支配は参拝するのを例とした。
拝殿には、徳川時代のものと思われる絵馬多数が奉納されており、鷹図(たかず)・朝鮮王宣和(せんわ)との講和図・伊勢神宮湯立(ゆたて)図などをふくめ11点が市指定文化財となっている。

(説明板より)

【山梨県笛吹市石和町市部1094】
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史跡 | 15:35:21 | Comments(0)
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