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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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土肥原さんの墓参りに行く
今日は祖父の上官だった“土肥原閣下”のお墓参り・・・・

午前6時に目が覚めた・・・・
で・・・もったいないから、もうひと寝入り・・・(大笑)
午前7時過ぎ、再び起床!
温泉に入ろうかと思っていたが、やっぱりやめる。
こちらに来る前から肩と背中に痛みがあったが、相変わらず背中に痛みがある。
温泉で温めたほうがいのか悪いのかがわからない。
いずれにせよ朝の大浴場は混雑するだろうから入浴は諦める。
(それでは何しに泊まったのか?・・・・となるが・・・)(大笑)

朝のニュースの字幕速報・・・・
午前7時18分頃に茨城県で地震があったようである。
「震度3」と、我が市の名前が出た。
どうも最近は拙者が家を留守にしているときに地震がよく起きるような気がする。
気になるのは、我が市の名前が字幕に出たこと・・・
もしかしたら、淡路島の“イズミヤさん”が自宅に電話してくるかもしれない。
いつも地震が起きると「テレビの速報で、あんたの町の名前が出たから電話したよ!大丈夫かぁ~?!」と電話をくれるのである。
95歳の方にご心配をおかけして恐縮である。
もし、自宅に電話があったら、我が親父は応対が出来るだろうか?
失礼なことを言ったりするのではあるまいかと、地震自体より、そちらのほうが気になる。(大汗)

朝食会場で朝食を食べた後、午前8時45分に旅館をチェックアウトして徒歩で駅に向かう。
旅館の方から「車で送ってあげますよ」と言われたが、いや、いや、車で駅に向かったのでは面白くない。
結構駅までは距離があるが、時間には余裕があるので、ブラブラと歩きながら駅に向かう。

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途中で見かけた「案内板」・・・・
これが、なかなか素晴らしいもので・・・
普通の「地図」も載っているのだが、下の青いボードは「音声・触知案内図」となっている。
つまり、視覚が不自由な人のための案内図で、指で触ってもわかるし、ボタンを押すと音声でも案内してくれるらしい。
いやぁ~これはなかなかいいではないか?
わが町にも欲しいものだ。
拙者が、市長になった暁には、これを設置するか・・・(大笑)

途中で「遠妙寺」というお寺を見かけたので、ちょっと立ち寄る・・・

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鵜飼山遠妙寺(日蓮宗)

弘安年間(1280頃)日蓮上人の弟子日朗上人宗祖日蓮が鵜飼勘作の亡霊に法験を遺した旧地に近い所に一草庵を結び鵜飼の寺と称し、のち慶長年間(1600年頃)鵜飼山遠妙寺と改めた身延五ヶ寺の一つで、同宗川施餓鬼の根本道場であり、毎年九月二十九日盛大な川施餓鬼を執行する。
同寺には鵜飼勘作の伝説に関するものが多く鵜飼堂(勘作の墓を納む)鵜飼天神、また以前鵜飼河畔にあった勘作の供養塔も甲府バイパス開設の敷地内になったため、現在は鵜飼堂の前に移してある。
寺には多くの寺宝があるが、特に、経石七個、鵜石一個、ビク石一個、大黒石一個などは、いずれもその昔鵜飼川で拾ったものと言われている。
境内に願生稲荷が祀ってある。
昔古城(今の武田神社)の稲荷が当宿原山七右ヱ門老母の体を借りて、法華経の功徳を得んと鵜飼山遠妙寺に勧請してもらったとのいわれがある。
謡曲鵜飼は勘作の伝説を世阿弥元清が作ったもので今日に伝えられている。

石和町

(説明板より)



う~ん・・・申し訳ないが、説明板を読んでみても、サッパリわからん・・・(大汗)

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境内に「鵜供養塔」というのがあった。
鵜!・・・鵜といえば・・・
我が町は日本で唯一の鵜の捕獲地なのである!
お~・・・縁があるではないか!(喜)

さらに、しばらく歩くと・・・「石和本陣跡」の石碑に出遭った・・・

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石和本陣跡

本陣は江戸時代大名公家幕府の役人高貴の人の宿泊する所である。
石和御本陣は寛永年間(1625頃)幕府の命により此処に置かれた。
特に大名が宿泊し信州松代城10万石真田伊豆守及び松平甲斐守15万石を初め全国の諸大名が宿泊し大名宿とも言われ明治維新まで続いた。
建物は書院造り、門・玄関・上段の間を備えて広大な構えであった。
明治13年6月19日明治天皇御巡幸のみきり御休憩の御予定のところ同月6日、大火に依り焼失し現在土蔵一棟のみ現存している。

所在地 石和町市部1,051番地

石和町

(説明板より)


さらに進むと「八幡宮」があった。
で・・・ここもお参りをすることにする。(笑)

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石和八幡宮

第十二代景行天皇の御弟 稚城瓊入彦命は東国視察からやがて甲斐の国に入られここに行宮を建て一年有余滞在された。
命に随行しこの地を治めた和邇臣(わにおみ)氏は、のちに行宮跡に命と一族の始祖 天足彦国押人命の御霊を合わせ祀って一族の氏神として奉祀した。
時は下って今から八百余年前甲斐の国北部に甲斐源氏が勃興しやがて石和の地に進出した武田信光は石和五郎信光と称し建久三年(1192)先の古社に鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を勧請し石和八幡宮と奉称し甲斐源氏の総鎮守と定めた。
造営に当たっては鎌倉の将軍・源頼朝から五百貫の寄進と 「うつしては同じ宮囲の神に汲みてあいかむ美たらしのみず」 の和歌の奉納があったと伝えられている。
以来武田氏の尊崇極めて厚く源氏が最も重んじた「射法相伝」の儀式はすべてここで行われた。
天正十年(1582)織田信長が甲斐に侵攻し武田氏は滅亡した。
その折当八幡宮は焼き討ちにあい社殿社宝尽く失った。
翌年徳川家康が入甲して近郷九ヶ村に十八石の神領を献じて再建した。
以来浅野幸長はじめ歴代領主・甲府勤番支配・代官はここに参拝することが例とされた。
当時本殿は三社別殿で中央に八幡大神左右に上古二神が祀られていたが安永三年(1774)の改築で一棟に合祀された。
往時は総回り五十間に及ぶ泉水に築山・石橋を配し杉檜の巨木の森に十三の摂社と神官屋敷を具えた荘厳な社であった。
明治四十年の大水害で辛うじて本殿拝殿随身門は残ったものの他は流出埋没し森は枯死し荒廃してしまった。
氏子の長年の努力で復興し祭祀が守られてきたが平成十八年十月随身門を残して焼失した。
唯一豊臣時代から江戸時代の絵馬の献額十一点(市指定文化財)が現存している。
幸い広く地域の奉讃を得て新社殿が造営され平成二十一年十二月遷座式が挙行された。
当八幡宮は、国家鎮守・衆生済度の菩薩神・聖母菩薩神の八幡信仰の社(やしろ)であるとともに甲斐の国発祥の上古の時代からの歴史を秘めた氏神杜(もり)である。

(説明板より)


時刻は午前9時半を過ぎた・・・
もう、寄り道は出来ないぞ・・・(苦笑)
駅に向かう!

余計な場所を立ち寄りながらブラブラ歩いたので、40分ぐらいかかってしまったが、真っ直ぐ駅に向かえば20分ぐらいで駅に着いたかも。
いつもの駅前の「お土産屋さん」に立ち寄る。
お店の小母さんは拙者のことを覚えていてくれた。
「たしか・・・この間来たときは、これから富山に行くって言ってたんですよね?」(笑)
「はい、よく覚えてますねぇ~」(笑)
「こちらにはお仕事で?」
「いえ・・・温泉に入りに来るんですが・・・」
「へぇ~・・・」(苦笑)

まだ電車に乗るまでには時間があるので、とりあえず・・・コーヒー!(笑)
やはり、どうもコーヒーを飲まないと調子が出ない。(笑)
近くの喫茶店でコーヒーを飲み、時間調整・・・

午前10時37分発の「あずさ10号」で新宿駅に向かう。
12時過ぎに新宿駅に到着し、こんどは山手線で池袋駅に向かった。
が・・・・
相変わらず車内で化粧する“バカ女”がいた・・・(唖然)
もうお昼だというのに化粧もしないで家を出てきて、電車の中で化粧ですか?
多分、そう質問したら「私は化粧する暇もないくらい忙しいのだ!」と答えるのだろうなぁ~
忙しそうにバタバタすることが何か格好いいと思っているのだろう。
この世で、秒刻みのスケジュールをこなさねばならないという人は少ないと思うのですが・・・
逆に、そういう身分の人は山手線などという電車などでは移動しないだろう。(笑)
運転手付きの車で移動するんじゃないか?
忙しそうにすることで自分のテンションを上げるのだろうが・・・
それは別の見方をすると、要領が悪いとしか見えないのである。(大汗)
しかも車内での化粧となれば「恥を知らない女」「常識を知らない女」ということになろう。
みっともないんだけどねぇ~
そして、化粧後の仕上がりは、全然変わらないのだから、こうなると「無駄な抵抗」をしているとしか思えない。
ビフォアーとアフターが同じじゃねぇ~(大笑)

池袋駅で地下鉄有楽町線に乗り換え「護国寺駅」へ向かう。
またまた呆れた人間が乗り込んできた。(大汗)
母娘の二人連れだが・・・
娘は中学生くらいか?
その母親は携帯のメールを書き込みながらの乗り込みである。
前も見てない、周囲も見てない、当然、娘の方も見ていない・・・(唖然)
見ているのは携帯の画面のみ。
いったい、どういう母親なのかとシゲシゲと顔を見てしまったが、この母親も「私はとにかく忙しいのだ!」ということか?
“バカ女”である・・・・(苦笑)
いや、ここまでくると、さすがにバカというより“幼稚”である。
で・・・ようやくメールを書き終えた母親が娘とオシャベリを始めたが・・・
その口のききかた、話の内容は・・・“幼稚”だった・・・
車内で「バカ丸出し」というのは、恥かしいことだと思うのだが・・・(汗)
こういうのが「親」ねぇ~・・・あ~嫌だ、嫌だ・・・

さらに車内を見渡すと、なんと!・・・座席に座っている乗客のほとんどが携帯電話を手にしている。
文庫本を読んでいるなんていう人は皆無・・・・(唖然)
拙者の隣に座った男性客も携帯電話を手にしていたので、ちょっと覗きこんでみたら“ライン”というのをやっていた。
他にやることはないのかねぇ~(大汗)
携帯電話に振り回されているって恥かしいことだとは思わないのかねぇ~(苦笑)

12時40分、護国寺駅に到着。
まずは昼飯!(笑)
以前、行った事があるファミレスへ行く。

食後、護国寺に行き、土肥原閣下のお墓参り・・・・
本来の命日は明日なのだが・・・
墓所の「名刺受け」の中に雨に濡れて、かなり劣化した名刺が1枚入っていた。
昨年も名刺受けの中にメモが入っていたので、土居腹閣下のご家族にご連絡を差し上げたのだが、さすがに2年も連続で連絡をすると、いかにも土肥原閣下の命日に家族が墓参りに来ていないことを責めることになるのではないだろうか?
今回は、名刺には何も書かれていないし、かなり劣化していていたこともあり、ご家族にお知らせするのはやめることにする。

お墓参りを終えて池袋駅に戻り・・・上野駅に向かう。

上野駅の構内で、ショートパンツをはいた、足の長い女の子を見かけた。
今の若い子の中には、異常に(笑)足の長い子がいるが、どうしてそんなに足が長いのだろう?
食生活が変わったのか?
それとも外国人の血が混じった混血による遺伝子の変化によるものなのだろうか?
日本人の体型がずいぶん変わりつつあるような気がする。
しかし・・・残念なのは、この女の子の歩き方である。
“ガニ股”で歩いているのである!(唖然)
これでは、折角の足の長さも台無しである・・・・(大笑)
みっともない・・・・

上野駅のいつもの喫茶でコーヒーを飲み、時間調整・・・・
予定通り特急に乗って無事に帰宅する。
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日記 | 10:38:27 | Comments(0)
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