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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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吉良さんの墓参り
お茶を飲んで一服し・・・今度は「吉良さん」の墓参りに行く事にした。
「吉良さん」とは、あの赤穂浪士に殺された「吉良さん」である。

当初の予定では駅まで戻って電車で近くの駅まで向かうつもりだったのだが・・・
駅まで歩くのは面倒だ・・・
あっさりと、その計画は破棄して、タクシーで向かうことにする。

この「吉良さん」の墓参りは、7年前に来た時には時間がなくて断念したのである。
ようやく今回、念願が叶う・・・・

午後3時過ぎ、「吉良さん」のお墓のある「華蔵寺(けぞうじ)」に到着。

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片岡山 華蔵寺

慶長5年(1600)吉良義定公、妙心寺の高僧月船禅師を請(しょう)じて、吉良家菩提寺として華蔵寺を開基する。
当寺は吉良家13代から18代までの墓を護る。
吉良氏は源家嫡流足利氏の名門で、鎌倉初期に足利義氏が三河守護になり吉良荘(現在の西尾市一帯)に住み、吉良を称した。
室町時代には有力大名の一として、常に室町幕府を支えた。
江戸時代には旗本高家に列し、その筆頭として栄えたが、不幸な元禄事件により断絶した。
当寺には県指定の文化財を数多く伝えている。
吉良上野介義央(よしひさ)自らの彩色といわれる木像をはじめ、江戸期南画の第一人者とされる池大雅の作品群、吉良家寄進の品等、その代表的なものである。
また、本堂裏の枯山水は、小堀遠州流といわれ、古来から有名である。

西尾市教育委員会

(説明板より)


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境内に『真実を求めて』という石碑があった。
その碑文は・・・・


人を斬る刀はあっても 時の流れを断ち切る刀はないといわれる如く 風習と観念は 時代と共に変遷する
元禄時代に吉良義央公と浅野長矩公との間に不和を生じ その処理に冷静さを欠き 殿中で浅野公が刃傷に及んだ事から 幕府の掟に触れ 家は断絶 身は切腹という事になった
浅野公の舎弟大学氏の後継が不首尾になった結果 旧臣たちは禄を離れることになり 一か八かで吉良公を討ちとったが 当時の学者と協議して赤穂浪士に切腹を命じた
吉良公は 治水等の功績が大で 評判の良い名君であったからである
名君を暗殺した者を忠臣としたのでは 武士道にも反し 芝居にならないので 小説家 劇作家たちが 興味本位にいろいろのつくりごとをして 吉良公を極悪人に仕立て上げ 忠臣蔵として世間に広めたものである
日常交際のイザコザを 殺し合いで解決したのでは 人間としてもっとも恥ずべき事であり 世の中が殺伐となる
お互いが腸のにえくりかえるような事があっても どちらかが「汝の敵をも許す」といった人類愛に目ざめたならば 世の中は明朗となる
現在吉良と赤穂の人々は お互いに恩讐をのり越えて交歓をしているが これは喜ばしい限り
本事件の犠牲となって亡くなられた吉良家々臣の二十余士の方々も 誠に気の毒の極みであり このたび供養の塔が建立されたのは せめてものつぐないといえる
ここに吉良公遺徳の一端を述べ 世の誤解を解き 霊の安らかならん事を心から希うものである


碑文の意味はわかるが、どことなく偽善ぶっていて拙者には納得ができない・・・(笑)
原爆を2発も落とされ、人体実験よろしく大量虐殺をされたにもかかわらずケロリとしているのと同じ思考のような気がしてならないのである。
こういう思考は日本人独特のものなのか?
そうそう簡単に恩讐を越えることができるのだろうか?
結局、この碑文からでは「赤穂事件」の本当の事はわからない・・・
誤解は全く解けていないと言っていいのではなかろうか?
結局、中央政界では“嫌な奴”でも、地元では“とてもいい人”だったんですよという話である。
現代に例えて言うなれば、そういう国会議員は今もいるだろうから・・・
この碑文では全然「誤解を解く」ことにはなっていないんじゃなかろうか?

吉良上野介というと、意地の悪い、陰険なジジイという印象が強い。
これは映画やドラマのせいなのだろうが・・・
果たして本当に、そういう人物だったのだろうかと拙者は以前から疑問に思っている。
忠臣蔵の、あの赤穂浪士は“義士”なのだろうか?
ただのテロリストなのではあるまいか?
・・・という気もしているのである。
本当の“義士”は、不利な態勢でも逃げずに吉良さんを守ろうとして死んでいった吉良さんの家臣たちではなかろうか?
彼らの方が「忠臣」ではなかろうか?
拙者は、単なる「判官びいき」なのだと重々承知の上で・・・吉良さんのお墓参りをする。
『忠臣蔵』ではなく、本当の史実を知りたいものだ・・・

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義央公墓

義冬子
母は酒井忠吉の娘
高家職(肝煎)を継ぐ
「吉良が勤め見習うべし」と称えられる(徳川実紀)
元禄事件で非業の死を遂げる

(説明板より)



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吉良家の墓所には家臣の供養塔と、忠死した家臣たちの名を記した碑が建っていた。
この「桐の花影」と名付けられている忠死者の名を記した碑は地元の吉良ライオンズクラブが寄贈建立したものである。
偉い!素晴らしい!
こうでなくては!
やっぱり、名前がわかるのであれば、その名前を記して供養してあげなければねぇ~

吉良家墓所に30分ほど滞在して・・・・寺を辞する。
お寺の前の空き地(駐車場?)に吉良さんの騎馬像を見つけた!
う~ん・・・この写真が撮りたかったのである!(大喜)
これで、我がホームページに吉良上野介義央のページが作れる。(喜)

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今日の史跡巡りは、これで終了!
時刻はまもなく午後4時となる・・・
ここから携帯電話でタクシーを呼び、上横須賀駅へ向かう。

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ここから西尾方面に戻るのではなく、今度は蒲郡方面に向かう。
同じ景色を見ても面白くないでしょ?(笑)
駅の直ぐ脇の踏切を渡り反対側のホームへ・・・・

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午後4時20分発、名鉄西尾線急行で終点の「吉良吉田駅」へ。
ここで名鉄蒲郡線で終点の「蒲郡駅」に向かう。
どうして一気に蒲郡まで走らないのかねぇ~・・・と思ったら、線路が「吉良吉田駅」までしかないのである!
駅を出て隣りに向かい、改札を通って隣りのホームから別の線路の折り返し始発の電車に乗るのである。
よくわからん・・・・線路を繋いじゃえば簡単だと思うのだが・・・(笑)
「蒲郡(がまごおり)駅」で今度はJR東海道線に乗り換え「岡崎駅」へ向かう。

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午後6時半、「岡崎駅」に到着。
駅構内に「家康公400年祭」の幟が・・・
へぇ~400年ねぇ~
ん?・・・なんで400年祭だ?
調べてみたら、徳川家康が亡くなったのは1616年なので、多分「没後400年」ということらしい。
それならそうと「没後」って書いてくれればいいのに・・・(苦笑)

今晩は、岡崎駅近くのホテルに宿泊する。
夕食は、ホテルを出て外食・・・
テクテクとかなり歩いて見つけた焼肉屋さん。
で・・・
会計後、帰る時に店員からティッシュボックスをプレゼントされた・・・(大汗)
どういうサービスなのか知らないけど・・・(苦笑)
我々は旅行客だから・・・と言ったのだが、この若い店員は意味がわからなかったようである。(涙)
「はい、どうぞ」と渡してきた・・・
こんな、かさばる物を持って旅行を続けるのか?(苦笑)
カバンに入らないんだけど・・・・
ということで・・・・
無理矢理・・・“シミズくん”に持たせることにした。(大笑)
これで一件落着である。(大笑)
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旅行 | 19:47:29 | Comments(0)
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