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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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今度は「西尾」を旅行
今日から1泊2日で水戸藩士の“シミズくん”と国内旅行・・・
つい先日、旅行したばかりで、またもや旅行・・・
なんという“ご身分”か・・・(大笑)

早朝の特急で上京。
“水戸藩士くん”は、隣りの駅から乗ってくるので車内で待ち合わせ。
拙者は早朝となると、ちょっと自信がない・・・もしかしたら寝坊するかも・・・(笑)
と・・・言っておいたので、さぞかし彼は気を揉んでいたことだろう。(大笑)
が・・・無事に合流できた・・・

東京で新幹線に乗り換え、名古屋へ向かう。
名鉄名古屋駅ビルで昼食・・・

002_convert_20160225172702.jpg

名鉄名古屋駅から西尾駅に向かう。
西尾には平成20年に一度だけ来たことがあるので、拙者が「案内役」なのだが・・・
7年も経つとねぇ~・・・・殆ど覚えていないんだよねぇ~(大笑)

003_convert_20160225173538.jpg(西尾駅)

午後1時・・・西尾駅を降り立ったが・・・・う~ん・・・記憶がない・・・(大汗)
ちょうど駅舎は改築中だが、駅前の様子がねぇ~・・・・記憶にないのである。
あれ?・・・・以前は、どんな感じだったっけ?

DSC09118.jpg
(7年前の名鉄西尾駅)

ここからテクテクと西尾城に向かって歩く。
当時は桜が満開だったことだけはよく覚えているのだが・・・その他の事は断片的にしか記憶にない。

008_convert_20160225180002.jpg

ここは西尾城の三の丸新門跡である。
ここは記憶にある!(笑)
現在、駐車場になっている場所は、7年前は確か空き地になっていた。


西尾城三之丸新門跡

城下町の東側から城内への入口にあって、城の裏方に当たる搦手(からめて)と呼ばれる役割を持っていました。
門は土居の塁線より内部に縦6間(10.8メートル)・横10間(18.0メートル)の空き地を持つ内枡形の門で、門内の四方を高さ9尺5寸(2.85メートル)の石垣が囲んでいました。
堀側に「一の門」と呼ばれた高麗門(こうらいもん)、郭内に北向きの「ニの門」と呼ばれた楼門(ろうもん)式の門を配置しています。
規模は、楼門が、東西5間(9.1メートル)、南北2間3尺5寸(4.7メートル)、高さ2丈3尺8寸(7.2メートル)、高麗門が、東西2間半(4.5メートル)、高さ1丈5尺(4.5メートル)です。
この門から内部に入ると、南に帯曲輪が伸び、西に向かうと太鼓門前に至ります。

平成18年2月
西尾市教育委員会

(説明板より)


すぐ近くに「西尾市歴史公園・尚古荘」というのがあったので覗いてみる。

011_convert_20160225184113.jpg 012_convert_20160225184525.jpg

う~ん・・・ここは全く記憶にないから、多分、7年前には来た事はないだろう。
(あとで調べたら、7年前にもここに来て写真を撮っていた・・・)(唖然)

裏道を歩いて出てきたところが、「西尾市立西尾小学校」・・・
おお!ここに来たことは覚えている。(笑)

016_convert_20160225195740.jpg

7年前に、どこから写真を撮ったかも何故か覚えていたので、同じ位置から今回も写真を撮ってみる。(笑)
ここは「太鼓門跡」である。


西尾城東之丸太鼓門跡

三之丸より東之丸への入り口にあって、二階建ての楼門式の門で、田中吉政の三之丸造成以前には、この門は「追手門」、すなわち大手門の役割を担っていました。
門は、土橋を渡ると突きあたる石垣上に築かれた土塀に接続して東向きに建てられていました。
規模は、東西2間半(4.5メートル)、南北5間半(9.9メートル)、高さ2丈5尺5寸(7.65メートル)です。
塀の向こうの東之丸内には報時報知の太鼓を打ち鳴らす「時之櫓」ともいわれた太鼓櫓があり、この門の名前の由来となっています。
また門を入ると立ち並ぶ西尾藩米蔵の横を通り、外喰御門(そとぐらいごもん)・内喰御門(うちぐらいごもん)を経て、二之丸鍮石門前に至ります。
軍事上の配慮からいくつもの屈折や多くの門をくぐる複雑な通路となっていました。

平成18年2月
西尾市教育委員会

(説明板より)


小学校のところからテクテクと更に進むと「城址」に着く。
が・・・・あれ?
こんな景色だったっけ?(大汗)

027_convert_20160226120519.jpg

え?・・・こんなに綺麗に整備されていたっけ?(唖然)

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天守台?
7年前に来た時は、そんなものあったっけ?(苦笑)
どうも記憶力が悪い・・・・
水戸藩士の“シミズくん”と分かれて、ここを一人で散策・・・
折角だから天守台にも登ってみる。(笑)

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西尾城天守台

西尾城天守は二之丸北西隅に築かれました。
天守は本丸におかれることが多いですが、二之丸に天守が配置されたことは西尾城の特徴でもあります。
絵図によると、天守は三重で南と東に多聞櫓が付いています。
1階は東西9間(約16m)、南北7間(約13m)で、高さは8間2尺(約15m)と記されています。
石垣の高さは土居と合わせて6間半(約12m)と記されています。
明治時代になると天守は取り壊されてしまいましたが、発掘調査では天守台の最下部の石垣などが見つかっています。
二之丸には天守や藩主の御殿、藩庁が設けられ、西尾城の中心的な場所でした。
西尾城天守は西尾城内で最も高い建造物で、城下を見渡すことができたのでしょう。

(説明板より)


天守台跡から周囲を見る。

046_convert_20160226133553.jpg 044_convert_20160226133508.jpg

直ぐ隣りに門が・・・「鍮石門(ちゅうじゃくもん)」である。
これは覚えている・・・(笑)

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門の前を通過して、「西尾市資料館」の方へ向かう。
今回の、この「西尾」訪問は“シミズくん”の希望によるものである。
「西尾小学校」の近くに「関口長太郎の碑」があるらしく、それを見たいとのこと。
で・・・過去に「西尾」を訪れたことがある拙者が“ご案内”することになったのだが・・・
「関口長太郎の石碑ねぇ~そんなものあったかなぁ~」
殆ど記憶がないのだから“ご案内”にならない・・・(大笑)

先に拙者と分かれて別行動をしていた“シミズくん”が、お目当ての石碑を見つけたと言う。

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ん?・・・ここ?
7年前にも、ここに来て写真を撮ったけど・・・
関口長太郎の石碑なんかあったかなぁ~
と・・・思ったら、設置されていた説明板に、ちゃんと書いてあった!(驚)
この説明板も7年前に読んでいたんだけどねぇ~
全然覚えていないとは・・・・(大汗)


姫丸辰巳櫓跡

姫丸は、南・東・北は塀により、西は内掘により囲まれる狭小な縄張りで、本丸表門前の馬出しの役割を担っていた。
そして、西尾資料館の北方東側に姫丸門があり、鍮石門前の広場と通じていた。
木立の茂る部分は庭園風に改造されているが、南東隅の平坦な場所に辰巳櫓があった。
隅櫓は東西7.3メートル、南北5.5メートル、高さ8.2メートルの二重の建物である。

 筒井秋水碑
旧西尾藩士で、諸国を歴遊し、儒学者篠崎小村、斉藤拙堂、野田笛浦に学んだ漢学者である。
明治期には子弟の教育に当り、多くの逸材を育てた。
また詩文にすぐれ、書家としても活躍した。
 松田君碑
西尾警察署の模範的な巡査である。
明治22年、上矢田町の人家の出火現場へかけつけ、身を挺して消火に当たった。
その際、倉庫が倒れて圧死してしまった。
この時30歳であった。
 関口長太郎碑
旧西尾藩士、藩校修道館で秋山恬堂に学び、後に西尾尋常高等小学校の初代校長となった。
その後、台湾において親日派を育成して台湾の同化を図ることを目的とする台湾総督府学務部に奉職した。
明治29年、芝山巖の学堂が台湾島民に襲撃され、死亡した。

西尾市教育委員会

(説明板より)


060_convert_20160226135805.jpg 059_convert_20160226135723.jpg

これが関口長太郎の碑・・・・
7年前に見てるわ・・・この碑・・・(苦笑)
なんで覚えていないのかねぇ~
台湾の「芝山巖事件」で犠牲になった6人の日本人教師「六氏先生」のうちの一人である。
3年前に台湾に行ったときに「六氏先生の墓」に行った・・・(苦笑)
が・・・この6人の先生の名前までは覚えていなかった。(大汗)
拙者は、どうもダメだねぇ~
水戸藩士の“シミズくん”は、この碑が見たかったらしい。
が・・・碑の建っている場所には柵があって近づけないので、碑文が読めないのが残念・・・

直ぐ目の前にある「資料館」を見学・・・・

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「芝山巖事件」もしくは「六氏先生」もしくは「関口長太郎」に関する資料の展示はないものかと思ったが、見当たらなかった。
この資料館には7年前にも来たが、なぜか展示品の内容は記憶にない・・・・(涙)
資料館の方に「関口長太郎」に関する資料の有無を尋ねたら、やっぱりないとのこと。
郷土の「偉人」だと思うんだけどなぁ~
すぐ近くには初代校長を務めた西尾小学校もあるんだし・・・
何かしらの展示をしてもらいたいなぁ~(笑)
一応、販売書籍の中に関口長太郎に関して書かれているものがあったので、“シミズくん”が大金をはたいてこれを購入した。(笑)

あとは・・・西尾小学校へ行って尋ねてみるか、市立図書館にでも行って調べてみるかということになるが・・・
彼が、そこまでしなくてもいいと言うので、ここで目的達成ということになる。

「尚古荘」まで戻り、ここで軽くお茶を飲んで休憩・・・・

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旅行 | 10:30:51 | Comments(0)
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