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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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高松の銅像巡り
ホテルをチェックアウトして、近くの「高松市立中央公園」へ向かう。
高松ではゆっくりしている時間はない・・・
今日中に帰宅しなければならないのである。(涙)
というわけで・・・朝から、大急ぎで飛びまわることになる。
とにかく限られた時間内で、いろいろと見て回らねば・・・・(笑)

この中央公園には、いくつかの銅像が建っていることは事前の調査で知っていたので、わざわざ、この公園の近くのホテルに宿泊した。(笑)
それでも不安なので、自分としては珍しく早起きしての観光となる。(大笑)
すべて、時間との競争なのである。(大笑)

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まずは公園の外周からグルッと歩いてみる。
と・・・・公園の反対側に何かの史跡が・・・
行って見たら、「菊池寛の生家跡」と説明板が建っていた。

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菊池寛 生家跡

「文壇の大御所」と言われた菊池寛は明治21年、香川郡高松7番丁6番戸の1(高松市天神前4)に生まれた。
生家は、敷地200坪、母屋はわら葺、まわりは板塀に囲まれていた。
寛は明治41年に上京するまで、ここに住んでいた。
石碑の「菊池寛 生家の跡」は、友人の小島政二郎(作家)の筆による。
寛自筆の「不実心不成事 不虚心不知事」(実心ならざれば事成さず 虚心ならざれば事知らず)は、寛の座右の銘。

高松市教育委員会

(説明板より)


へぇ~菊池寛って高松の人だったんだ・・・
とはいうものの・・・菊池寛って、どんな本を書いたんだっけ?(苦笑)
読んだことがないから知らない・・・(大笑)
偉い作家さん・・・というイメージしかないのだ・・・(大汗)

公園の中を歩く・・・・

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野球のユニフォームを着た人の銅像・・・
誰かと思ったら・・・三原脩(みはら・おさむ)(右の人)と水原茂(みずはら・しげる)(左の人)だった・・・
と・・・言うものの・・・(大笑)
拙者は全く知らない。(大笑)
だいたい野球に全然興味がないのである。
だいたい、この間、ホテルで王貞治さんと目が合ったのに気がつかなかったくらいなのだから・・・(大笑)
へぇ~・・・銅像になるってことは、有名な選手だったのでしょうね?(大汗)


野球王国高松を築いた名将

水原茂・三原脩は終生相対峙し、数々の名ドラマを演じ、我国野球史に栄光の足跡を印刻する。
往いて再び帰らぬ往年の両雄の功績を讃え、ここ高松球場跡地に銅像を建立する。

(銅像・碑文より)


三原 脩(1911~1984)

満濃町に生まる。
旧制高松中学校時代遊撃手で甲子園に出場、早稲田大学に進み二塁手となり1年からレギュラーとして活躍。
プロ野球第1号選手として契約巨人に入団。
現役引退後再び巨人を始め西鉄・大洋・近鉄・ヤクルトの各球団監督を歴任し、作戦統率の妙に優れた知将として名声を博す。
1983年野球殿堂入り。

監督歴
1947~1949巨人 1951~1959西鉄 1960~1967大洋 1968~1970近鉄 1971~1973ヤクルト
通算26年 3,248試合(歴代1位) 1,687勝(2位) 1,453敗 108分 勝率 .537
優勝6回 日本シリーズ優勝4回

(説明板より)


水原 茂(1909~1982)

高松市に生まる。
旧制高松商業学校時代全国優勝2回、慶応大学時代優勝5回。
投手・三塁手として学生野球の黄金時代を築く。
プロ野球巨人に入団、俊敏・強肩の名三塁手として活躍した天才的スタープレーヤー。
巨人・東映・中日の各球団監督を歴任し、洗練された誇り高き勇将として名声を博す。
1977年野球殿堂入り。

監督歴
1950~1960巨人 1961~1967東映 1969~1971中日
通算21年 2,782試合(歴代4位) 1,586勝(4位) 1,123敗 73分 勝率 .585
優勝9回 日本シリーズ優勝5回

(説明板より)


碑文によれば、この公園は、昔は球場だったんですか?(唖然)
へぇ~・・・・である。

次に見つけたのが「玉楮象谷先生」の像・・・・
ん?・・・この方は何をした人なんだろう?

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漆芸家 玉楮象谷(1806~1869)

文化三年、高松市磨屋町に生まれ、性格は豪放磊落(ごうほうらいらく)で鬼才に富んでいました。
二十歳の時、高松藩主に天分を認められ京都へ遊学し、中国伝来の漆塗技法の研究を重ねながら自らの漆芸を創作しました。
帰高後、三代の藩主に仕え、香川漆芸の礎を築いたばかりか、日本漆芸界に不朽の名をとどめました。
藩主に献上した「蒟醤(きんま)料紙箱」「硯箱」の意匠と巧妙の高さは、神技とさえいわれています。

高松市
高松観光協会

(説明板より)


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この銅像の台座の部分に何やら貼り紙が・・・
どうも小学生のグループが社会科の勉強の一つとして調べたものを掲示したようである。
ビニール袋で保護したらしいが、残念ながら雨水が入り込んだのか滲んでしまっていた。
あらら・・・もったいない・・・
こういうのは、できればもっと丁寧に扱って、半恒久的に掲示してあげるといいんだけどねぇ~
せっかく、子供達が作ったんだから・・・
教育委員会の説明板並みに扱ってあげてもいいんじゃないのかな?
子供たちの励みにもなるんじゃないのかな?
将来、優秀な郷土史家が彼らの中から出てくるかも・・・(大笑)

次に見つけたのが「國東照太翁」の像・・・・

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どこから見ても政治家の銅像だなとわかる銅像である。(大笑)



元高松市長 従四位勲三等 高松市名誉市民第一号の國東照太翁は 明治二十年一月一日 旧中野村に生まれ 昭和四十七年六月十一日 八十五歳で永眠された。
高松市議会議長を経て 第十二代官選市長となり 昭和二十二年四月 初代公選市長に当選 以来連続五期二十一年間にわたり 戦災復興 町村合併 玉藻公園開設など高松市政の発展に多大の功績を挙げられた。
市長をやめられてからも 市長はん おやっさん と市民から慕われ 優れた庶民市長であった。

(碑文より)


で・・・・次が・・・ド~ンと・・・「菊池寛」の銅像である!
菊池寛って、こういう人だったのかぁ~・・・である。(笑)
なんで拙者は名前だけ知っていて外見も中身も業績も何も知らないのだろう?(大汗)
教科書か何かだけでしか習わなかったからなのかな?(苦笑)

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文豪 菊池 寛

明治二十一年高松市生まれ、香川県立高松中学卒業、大正五年京都大学英文科卒業。
中央公論に“無名作家の日記”を発表して作家生活に入り、文藝春秋を創刊します。
“藤十郎の恋”“忠直卿行状記(ただなおきょうぎょうじょうき)”“父帰る”“義民甚兵衛”“屋上の狂人”等多くの作品を残し、昭和二十三年六十一歳で死去。
菊池寛顕彰会により、昭和三十一年この銅像が建てられました。

(説明板より)


説明板には「菊池寛記念館」への案内図が載っていた。
う~ん・・・どんな記念館なのか博物館・資料館好きの拙者としては行きたい気になるのだが・・・
時刻はまもなく午前10時・・・・
記念館に行っていたのでは、次の予定がこなせなくなる。
ここは我慢して、当初の予定通りの行動をするか・・・(涙)
改めて次回来た時に・・・ということになるが・・・
それが10年後になるか20年後になるか・・・(苦笑)

そろそろ、次の場所に移動しようかと思ったら、変な銅像(石像?)を見かけた・・・
「ハゲさん」と言うらしい・・・
どこから見てもタヌキに見えるのだが・・・
なんで「ハゲ」なのか?(苦笑)

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ハゲさん

その昔、この辺りは、浄願寺の広大な境内で大木の茂った森があった。
この寺は殺生が禁じられていたので狸の住むにはあつらいむきの場所であった。
昔この森の中に一匹の狸が住みついていた。
ある年の暮近く貧しい老夫婦の生活を救うため、茶釜に化けたまま売られて行った。
茶釜は毎日磨かれるので狸の頭はつるつるに禿げてしまい痛い痛いと泣いていた。
住職は、かわいそうに思って鏡餅を三つ与えたところ泣きやんだ。
それから「今泣いたのだあれ・・・お鏡三つでだまあった」と子供をなだめる歌となった。

平成5年8月28日
高松市四番丁校区
地域おこし事業推進委員会

(説明板より)


へぇ~・・・・なるほどね・・・それで「ハゲ」?(笑)
道理で頭の上に誰かが帽子を乗せたわけだ・・・(大笑)

1時間弱、公園内をウロウロして銅像めぐりをした・・・
さて、次は、「琴電」の駅に行って「志度」という町に向かうことにする。

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途中、「高松国税総合庁舎」を見つけたので、歩道橋の上から写真を撮る。(大笑)
この総合庁舎の中に「高松税務署」があるらしい。
なんで、国税局の建物なんかを撮影するのかというと・・・・
この間、九州へ行った時に、たまたま臼杵税務署や佐伯税務署の前を通ったので写真を撮ったのである。
で・・・・これはいけるかも・・・と、ひらめいた・・・(笑)
法人会の会報に税務署の写真を載せて・・・題して「全国税務署めぐり」!(大笑)
別に税務署を訪問して署長にお話を伺おうなんていう気はさらさらない・・・(大笑)
外観だけを撮影するだけ・・・・(笑)
しかも、「巡り」という割にはわざわざ訪問するわけではない。
旅行中に、たまたま偶然、税務署を見かけたら写真を撮るというだけ・・・
広報委員としては、楽な仕事である。(大笑)
これで、簡単な記事ができるので、紙面の余白を埋めるには、ちょうどいいのではなかろうか?

徳島税務署は撮影できなかったが、高松税務署はゲットしたぞ!(喜)
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旅行 | 09:04:13 | Comments(0)
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