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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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徳島県護国神社に行く
今日は、法人会の全国大会が午後に開催される。
というわけで・・・午前中に徳島県護国神社を参拝することにした。
ホテルをチェックアウトして、タクシーで護国神社に向かう。

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午前9時45分、護国神社に到着・・・
早速、本殿を参拝して・・・境内にある慰霊碑を参拝・・・

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ここには・・・
海軍飛行予科練習生第12期前期で鹿児島航空隊に入隊した徳島出身者の戦没者慰霊碑である「桜飛会徳島戦没者慰霊碑」
「関東軍防疫給水部呉支部戦友会」の碑
「軍馬の霊」碑
「硫黄島戦没者之碑」
「徳島市傷痍軍人会・同夫人之会」が建立した歌碑
「ソロモン群島戦没者慰霊碑」
陸軍少年飛行兵の「若鷲の碑」
徳島船砲会という船舶砲兵部隊の「慰霊碑」
「歩兵第43連隊戦没者慰霊碑」
歩兵第62連隊第2大隊の「戦友之碑」
「海軍戦没者慰霊碑」
海軍甲種飛行予科練習生の「殉国の若鷲慰霊之碑」
などが建立されていたが・・・
その中に、フィリピン関係の慰霊碑が一つあった・・・(喜)

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徳島県遺族会青年部が昭和54年1月に建立した「比島戦没者」の碑である。
あれ?・・・・この銘板、見たことがある!(汗)
「徳島県遺族会青年部」というのも記憶にある名前である。
説明碑文にはこう書かれていた。


太平洋戦争における比島戦没者の内、本県出身者の多くは首都マニラの東部に位置する山岳地帯で散華されました。
昭和54年、徳島県遺族会が主催した第2回比島戦跡巡拝団によって戦没者の山々が望めるアンチポロの丘陵地に鎮魂の碑を建立しました。
しかし、時代の経過の中で碑の建立地周辺が市街化によって慰霊環境の悪化が進んだため、鎮魂碑を平成16年に日本に持ち帰り、当護国神社境内に再建立しました。


あらら・・・もしかして、拙者が平成16年にテレサという町で参拝した「慰霊碑」ではなかろうか?
あの時は住宅密集地の中の、ある家の庭の中に、この碑が建立されていた。
「比島戦没者之碑・昭和54年1月建立・徳島県遺族会青年部」としか書かれていない碑だったので、いったい、この町とどういう関係があるのかが全くわからず、もう少し内容のある碑文も一緒に設置してくれればいいのにと思っていたので、なおさらよく記憶に残っていたのである。
あの時お参りした碑かな?・・・・
再建立の経緯を刻んだ碑文には「市街地化」と書いてある。
確かに周囲は住宅街・・・民家の庭先なので全く目立たなくなっていた。
しかし「アンチポロの丘陵地に建立した」と書かれているのだが・・・あの住宅街は丘陵地だったかな?
ずいぶん低い位置にあった気がするが・・・
拙者が訪問したとき、この慰霊碑は現地住民の洗濯物の物干し場として使用されていて、周囲にはゴミが散乱していた。(唖然)
住民が慌ててやって来て洗濯物を取り込み、箒でゴミを掃いて掃除をし始めたのには苦笑した。
いくばくかのカネを渡して、どうか慰霊碑の周囲は綺麗に掃除して管理してくれるよう頼んだのだが・・・・
翌年、再び、この地を訪れた時には、住民も替わっていて、慰霊碑も消滅していたので驚いた。
関係者が日本に持ち帰っていたらいいのだが・・・と思っていたのだが・・・
ここに移転されていましたか!(大喜)
約10年ぶりの再会である。
うわぁ~感激!(大喜)

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同じ境内に「大國神社」というのがあったが・・・・
その近くには「大國神社発祥の地」の標柱が建つ祠がある。
さて・・・この場合、どちらをお参りすればいいのか?
京都の「生八橋」を「本家」の店で買うべきか、「総本家」の店で買うべきかと悩むのと同じくらい悩むな・・・(大笑)

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境内の隅に「徳島県戦没者記念館」という建物があったので見学する。

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内部には、パネル展示と若干の遺品の展示・・・
一番多いのが、戦没者の遺影の展示である。
「今流行の・・・」と言っては失礼に当たるだろうが・・・・
たぶん、鹿児島県の知覧にある「特攻平和祈念館」の遺影の展示がその先駆けかもしれない。
靖国神社の遊就館でも、リニューアルの時に遺影の展示をするようになったし・・・・
しかし、これだけの遺影を一人一人見て歩くのは大変である。
フィリピンのルソン島で戦死された方々を探しながら、遺影を拝見させてもらうことにした。
あ~・・・・この写真に写っている人たちは、みんな戦死しちゃったんだよなぁ~
この写真を撮影した時には、まさか自分がフィリピンなんかで戦死するなんて夢にも思っていなかっただろうなぁ~
現地へ慰霊に行った時にみなさんのお顔を思い出しながら慰霊をしたいが・・・
どうも顔と名前を覚えるのが苦手で・・・・(大汗)
申し訳なし・・・

「戦死者数」を数字だけでカウントするとピンと来ないが・・・
こうしてズラリと並ぶ遺影を見ると・・・
戦争というのは、こういう若い人たちが、これほど多く死んでしまうのだぞ・・・ということがビジュアル的にわかる。
単に「戦争反対」を叫ぶのではなく、ここに来て、よく見学してもらいたいものだ。
実感として、よくわかると思う・・・
拙者は護国神社や靖国神社に参拝しない人間に「戦争反対」や「平和」を言う資格はないと思っているのである。

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社務所の近くに顕彰碑が・・・・
「川崎阿佐恵女史顕彰碑」とある。
碑文を読んでみたら、平成12年に、城山から護国神社が移転することになった時、この川崎阿佐恵さんという人が、この場所の土地を寄進したそうで、この新社地に護国神社が遷座したらしい。
それを顕彰する碑ということか・・・
なんとすごいことをする人だろう。
今の人は、財をなしても、そういうことはしないよなぁ~
あの“ホリエモン”と呼ばれた人も、こういうことをしてれば、少しはバッシングが弱まったと思うのだが・・・(苦笑)
川崎さんは明治41年生れの方だそうで、さすがは明治生まれの人は違うなと思った・・・・
もともと護国神社があった「城山」という場所は、徳島城のあった場所だろう。
城址公園(正式には徳島中央公園)にあったほうが、観光客など多くの人が参拝してくれるからいいと思うのだが、どうして移転(遷座)することになったのだろう?
「城山」って言うんだから、山の頂上にでもあったのか?
それでは不便だということで移転したのかな?(笑)

時刻は午前10時半・・・
護国神社の参拝に45分ほどかけたが、その間、タクシーには待っていてもらった。(笑)
なにせ、辺鄙な場所にあるので・・・(苦笑)

さて、まだ時間に余裕があるということで、もう一度、市内に戻ってもらい・・・
観光マップに載っている「某史蹟」に向かったが、結局見つけられなかった・・・・
場所は間違いないと思うのだが・・・なにせ、この観光マップは「イラストマップ」なのである。(汗)
正確な位置が描かれているわけではない。
距離も、いいかげんなものだろう。
一応、このあたりだと思われる場所に行ったが、個人住宅が建っているだけ。
「史蹟」の看板もプレートも何も見当たらない・・・
そんな・・・いい加減な・・・
観光マップを不正確な「イラストマップ」で描くのだけはやめて欲しいものである。

仕方がないので、再び、護国神社方面へ向かい・・・
時間的には早すぎるのだが、本日の全国大会会場に行く事にする。

ちなみに、タクシーの運転手さんに尋ねたところ・・・
今日、全国大会があることを知らないという。
1千人以上が全国から集まるんですけど・・・・(汗)
こういう情報は大事だと思うんですけど・・・
タクシー会社は何をしておるのかね?
売上げを上げるチャンスではないか?(苦笑)
シャトルバスは運行することになっているが、多分、それでは間に合わないはず。
会場のタクシー乗り場は長蛇の列になるのでは?
今日は“稼ぎ時”だと思うんだけど・・・(苦笑)
一応、余計なお節介で・・・大会終了予定時間と懇親会終了予定時間を教えてあげる。(大笑)
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旅行 | 09:57:51 | Comments(0)
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