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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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富山県護国神社に行く
ホテルをチェックアウト・・・
ホテルの目の前に富山城があるので、見学したい気分だが・・・
天気予報によれば、どうも天気が崩れるらしい。
ならば・・・先に護国神社をお参りしたほうが良いだろう。
ということで・・・タクシーで護国神社に向かう。

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鳥居の近くの境内に、いくつもの碑が建っていた!(喜)
一つ一つ丁寧に見て歩く・・・

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「嗚呼 トラック島」の碑は、金沢の第52師団司令部と富山の歩兵第69連隊が中心とする「トラック諸島戦友会」が建立したもの。
そうかぁ~富山の連隊はトラック島に派遣されていたのか・・・
トラック島には過去に二度ほど行く機会があったが、タイミングが合わず断念したので、まだ行ったことがない・・・
トラック島はグアム島より更に南へ1000キロぐらい行った所にある。

157_convert_20151214171230.jpg(馬魂碑)

「馬魂碑」は、昔、歩兵第69連隊が建立したものだが、戦後、行方不明になっていたらしい。
で・・・昭和51年に富山大学の構内で見つかったそうで、ここに移設したそうだ。

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境内の片隅・・・目立たないところに「石柱」が・・・
うっかり見落とすところだったが、「戦八慰霊祭記念碑」と刻まれていた。
「戦八」は・・・戦車第8連隊か?
碑の裏を覗いてみたら「戦車第8連隊戦友会北陸富山大会」の文字が・・・
おお!やっぱり戦車第8連隊か!(喜)
なぜか、嬉しくなっちゃうんだよなぁ~
我が戦友会・・・戦車第2師団には、戦車6、戦車7、戦車10、戦車11の4つの戦車連隊があった。
そのうち戦車第11連隊は、北千島の占守島(シュムシュ島)に転属となり、残り3個連隊はフィリピンへ派遣され壊滅した。
戦車第8連隊は・・・中国大陸からラバウルへ移動し、ニューアイルランド島で戦うことなく終戦を迎えたようである。
この碑が建てられたのは昭和54年8月25日・・・拙者が高校を卒業して浪人していた頃である。(苦笑)
今は、この戦友会はどうなっているのだろう・・・
もう解散しちゃっているのかなぁ~
「慰霊碑」や「記念碑」を建てる割には、さっさと解散してしまう戦友会が多い・・・
残された碑は誰が責任を持つのだろう?
細々と戦友会を維持している事務局長としては、ちょっと気になるところである。

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何の碑とは刻まれていない碑・・・・
銘板には「不正なる裁判の害悪は原子爆弾の被害よりも甚だしい 印度国判事 ラダビノード・パール」と刻まれている。
あの「極東軍事裁判(東京裁判)」を指しての言葉である。
ごもっともの御言葉である。
この「東京裁判」は、戦後70年経っても、まだ日本人を縛っている・・・・
この碑を建立したのは富山県憲友会・・・・平成9年1月の建立である。
「憲友会」とは、陸軍の憲兵の戦友会である。

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「嗚ニューギニア」の碑・・・
富山県ニューギニア戦友会および遺族が昭和55年10月に建立したもの。
ニューギニアでは富山県出身者もお亡くなりになっているようである。
「戦友会」を組織するくらいだから、かなりの人数なのだろう。
ニューギニアでも、東部のほうには行ったことがあるので、現地の景色を思い出した。
なんとも感慨深い・・・

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富山県護国神社の社殿は、他の護国神社の社殿とは、ちょっと形が違う。
面白いといえば面白い・・・
これは何という造りなんだろう?

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境内には「遺芳館」と名付けられた遺品館があった。
社務所に見学を申し出て、鍵を開けていただいた・・・
お手数をおかけして恐縮・・・

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展示ケースの中に、懐かしい名前が・・・・
「武田友治(たけだ・ともはる)」である・・・・

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彼は、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に参加した海軍の航空兵である。
空母「加賀」の九七式艦上攻撃機(雷撃機)に乗り、真珠湾に碇泊する戦艦に魚雷を放った・・・
九七式艦上攻撃機は3人乗りで、彼は最後部の通信兼後部機銃手だったと記憶している。
この時の攻撃では、九七式艦上攻撃機が5機、未帰還となっている。
その中の1機が、武田友治の乗った攻撃機だった。
彼は、この時、17歳である。
現在で言えば、高校2年生である。(汗)
多分、真珠湾攻撃に参加して戦死した最年少の航空兵だろう。
開戦早々に戦死するとは本当にかわいそうだ・・・
以前、彼の最期の地を調べるためハワイに行ったことがある。
拙者にとっては、生まれて初めてのハワイだった。
現地で米国人の戦史研究者からの聞き取りもおこなったが・・・
やっぱり4機の墜落現場は米軍側が調査して記録しているが、武田が乗った飛行機だけが墜落現場がわからないという。
ある証言によれば、オアフ島沖を煙を吐きながら飛んで墜落したというので、ヘリコプターをチャーターして似たコースを飛んでみた。
が・・・どうしても考えられない距離を飛んでいる。
被弾して煙を吐きながら、こんなに遠くまで飛べるとは思えない・・・
いったいどこに墜落してしまったのやら・・・
魚雷を放った後、そのまま敵艦に体当たりしてしまったのか・・・
被弾して敵艦の上を通過して山のほうへ飛んで墜落したのか・・・
だとしたら、あのハワイの切り立った山の全てを踏査しなければならない。
結局、わからず仕舞い・・・
とりあえず、空から慰霊を行なった・・・
彼とは、不思議な縁がある・・・
彼の誕生日と拙者の誕生日が同じなのである!(驚)
当然、生まれた年は違うが・・・(大笑)
彼は大正生まれ・・・拙者は昭和生まれである。
不思議なこともあるもんだ・・・誕生日が一緒とは・・・
まさか、拙者も死ぬのは12月8日じゃあるまいな?(大汗)
あ~懐かしい名前を見つけて・・・大感激である。

見学中に、雨が降ったようだが・・・・
その後も降ったり止んだり・・・
傘をささねばならぬほどのひどい雨ではなかったので助かった。

遺品館の見学を済ませ・・・今度は富山城に向かう・・・・
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旅行 | 10:42:13 | Comments(0)
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