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投稿日:2015-09-10 Thu

午後3時・・・
高岡駅から徒歩で高岡城へ向かう。
駅からはそれほど遠くない・・・
10分も歩けばお城に到着する。

「大手口」の所に銅像が・・・
おお!高山右近の銅像だ!(喜)

が・・・
どうして「高山右近像」って、みんな同じポーズなんだろう?(苦笑)
フィリピンのマニラにある高山右近像も同じポーズである。
正直言って、面白くない。
違うポーズの銅像に会いたいんだけどねぇ~(苦笑)

富山県史蹟高岡畳城趾
慶長3年(1598)利家の後をついて加越能三国の大守となった前田家二代の藩主利長は慶長10年封を利常に譲り富山城に隠退したが慶長14年3月同城は火災にかかり新たに高岡に築城して町づくりを行なった
設計はキリシタン大名高山南坊(みなみのぼう)右近が行ない約半年後の同年9月13日入城した
総面積71,261坪(内水濠22,400坪)あり、城内は本丸、二の丸、鍛冶丸、三の丸、明丸などに分かれていた
慶長19年5月利長薨りしまもなく廃城となり明治維新後民間に拂下げされんとしたが時の高岡区長服部嘉十郎等の奔走により明治8年7月公園とし保存されることになった
昭和14年7月富山県史蹟に指定、往年の水濠はそのまま遺存
水のある城趾公園として全国にも稀である。
高岡市
古城公園を愛する会
(説明板より)

まず最初に向かったのは、公園内にある「高岡護国神社」!(笑)
まずは御英霊にご挨拶をせねば・・・
地元出身の戦没者を祀る護国神社・・・
思ったより小さな神社である。
境内には、部隊関係の慰霊碑等はない・・・(涙)

高岡城跡 石垣
高岡城は元和元年(1615年)廃城となったが、当時の城壁の名残りとして、二の丸と本丸を結ぶこの地に土橋の石垣が見られる。
この石垣の石にはいろいろな文字や文様が刻印されており、キリシタンに関係があるという説もあるが、石工が石を切り出した時につけた目印だと考えられる。
石垣の積み方は乱積みという素朴ながら堅固な方法を用いている。
高岡市
(説明板より)

本丸跡に銅像を発見!(大喜)
前田利長の騎馬像である。






緑の中を歩くのは気持ちのいいものではあるが・・・
どう見ても「自然公園」・・・
とても「城跡」を歩いているという気分になれない。(汗)
正直言って、面白くない・・・(苦笑)
濠の脇を歩いていたら、ちょうど携帯が鳴った・・・
フィリピン在住の日本人、“ナカムラさん”からである。
「どうも茨城県が大変なことになっているそうですね。大丈夫ですか?」とおっしゃる・・・
さて・・・何事なんだろう?
話によれば、台風の影響で大雨が降り洪水が起こっているとか・・・(唖然)
「さぁ~・・・私は今、富山県に来ておるのもですから・・・どうなっているのか・・・知らないんですけど・・・」(汗)
「え?・・・ということは、お父さん一人でいるってこと?大丈夫?お父さん・・・」
「え?・・・さぁ~どうなんでしょう・・・」(大汗)
この後も、次々に知人から電話が入った・・・
で・・・必ず言われるのが・・・「お父さんを一人にしていて大丈夫なのか?」である。(苦笑)
マイッタァ~・・・タイミングが悪過ぎ・・・である。(大涙)
息子は老いた親父を一人にして旅を楽しんでいるとバレてしまった!(大笑)
時刻は午後4時半・・・
松本の“ミヤザワさん”宅訪問を急遽変更して高岡城を見学したが・・・
う~ん・・・こんなものか・・・
ちょっとガッカリ・・・
ここから再び高岡駅に戻り、電車で富山駅に向かう。
午後6時、駅前のホテルにチェックイン・・・


(夕食はヤキソバ!!)
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