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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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小松導平翁頌徳碑
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舊笛吹川廢河敷拓殖者
小松導平翁頌徳碑
向獄寺派管長敬學書

頌徳碑建立由来
明治四十年八月山梨県河川氾濫者四日就中石和邑一帯最甚家屋人畜亡失無算沃野万頃化為砂磧乃拡張旧剃鵜川遷笛吹川以治水而廃河身一百二十余町委棄二十余年小松導平翁慨然奮起挺身当其衝説県衙得其允許準拠耕地整理法■貲施工試科学的大農組織建農戸数十以誘致住民創設理想的農場栽植甲陽八珍果謀其繁盛我石和邑今日富厚実翁一代恵賚也郷民感其徳胥謀卜開拓地之中心建設頌徳碑欲伝功徳于後昆銘曰
 天殃地変 洚水滔天 新疏流域 河身東遷笛吹廃迹 砂礫充填
 此翁興起 能拓石田 建屋移民 栽果開阡 恵徳千古 豊碑屹然
 昭和二十三年歳次戊子十一月
          蘇峰徳富正敬撰
    医学博士物外佐藤恒二書

明治四十年八月山梨県河川氾濫は四日にわたる。
就中(なかんずく)石和邑(むら)一帯最も甚だし。
家屋人畜の亡失算(かぞ)ふる無く、沃野万頃化(よくやばんけいか)して砂磧(されき)と為り乃(すなわち)拡張して旧剃鵜川は笛吹川に遷(うつ)り、以(も)って水を治めて河身(かしん)を廃す。
一百二十余町二十余年を委棄(いき)す。
小松導平(どうへい)翁慨然(がいぜん)として奮起し、挺身其の衝(しょう)に当たり、県衙(けんが)を説き、其の允許(いんきょ)を得て耕地整理法に準拠して■貲施工(ぶんしせこう)し、科学的大農場組織を試(し)し、農戸(のうこ)数十を建て、以って住民を誘致し、理想的農場を創設す。
甲陽八珍果(こうようはっちんか)を栽植し、その繁盛を謀る。
我が石和邑(むら)が今日富厚(ふこう)なるは、実(まこと)に翁の恵賚(けいらい)なり。
郷民(きょうみん)其の徳に感じ、胥謀卜(みなぼうぼく)し、開拓地の中心に頌碑を建設し、功徳を後昆(こうこん)に伝へんと欲す。
銘(めい)に曰(いわ)く
 天殃地変(てんおうちへん) 洚水滔天(こうすいとうてん) 新疏流域(しんそりゅういき)
 河身(かしん)は笛吹に東遷(とうせん)して廃迹(はいしゃく)し、砂礫(されき)は充填す。
 此の翁興起(こうき)し、能(よ)く石田(せきでん)を拓(ひら)き、屋(や)を建て民を移し、果を栽(う)え、阡(あぜみち)を開く。
 恵徳(けいとく)は千古まで、豊碑屹然(ほうひきつぜん)たり。
 昭和二十三年歳次(さいじ)戊子(つちのえね)十一月
          蘇峰(そほう)徳富正敬撰
     医学博士物外(ぶつがい)佐藤恒二書

1999年9月

(説明板より)


【山梨県笛吹市石和町八田】
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史跡 | 12:31:14 | Comments(0)
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