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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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新聞社の取材に付き合う
先日、読売新聞の千葉支社から連絡を頂いた・・・
「戦後70年」ということで、地元に駐屯していた騎兵第14連隊の従軍経験者にインタビューをしたいとの事。
中国戦線での従軍体験を聞かせてくれる人はいないかと言う。
騎兵第14連隊の方で生きている人っていたっけ?(苦笑)
よくよく考えたら・・・・一人だけいた!(笑)
今年の春の「軍馬の慰霊祭」に来ておられた“オオクボさん”!!
95歳になられるが、お元気である。
連絡を取ったところ、乗る気満々・・・(大笑)
ということで・・・新聞記者を“オオクボさん”宅までご案内することとなった。

昨日のうちに上京し、東京に一泊・・・
地下鉄の駅で新聞記者と待ち合わせ。
遅れては申し訳ないので、早目に待ち合わせ場所に向かう。

途中・・・なにやら由緒あるお寺を見かけたので覗いてみる。(笑)

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瑞鳳山祥雲寺

祥雲寺は後北条氏の重臣江戸城主遠山隼人正景久によって、永禄7年(1564)に江戸城和田倉門内に駒込吉祥寺の末寺として創建されたのが始りで、開山は吉祥寺安充和尚である。
当初は景久の室(北条上総綱成の娘)の菩提所として法号にちなみ浄光院と称し、永禄7年に戦死した景久の法号から瑞鳳山浄光院と号した。
天正18年(1590)後北条氏滅亡にともない遠山氏も退転したため、しばらく吉祥寺の隠居所となり、神田台(駿河台)、小日向金杉、小石川戸崎台と移転した。
寛永6年(1829)に信州松本藩主戸田氏は壇越(だんおつ)となり、数度の火災の復興に際しても多大な尽力をした。
宝永6年(1709)、五代将軍徳川綱吉の死により御台所が落飾して浄光院殿と称したのち憚かり、戸田氏最初の壇越康長の法号により瑞鳳山祥雲寺と改号した。
当地への移転は明治39年であり重宝類は昭和9年の火災に焼失した。
現在の本尊の薬師如来は胎内銘によれば、天正17年(1589)の造立になるという。
墓地には戸田家代々の墓、酒豪として知られた三浦樽明、首斬り浅右衛門の七代山田浅右衛門などの墓がある。

昭和56年3月
東京都豊島区教育委員会

(説明板より)



時間に余裕があったので、墓地も覗いてみたが、説明板に載っている方々のお墓が見つからず残念・・・
説明板に載せるなら、墓石の近くにも何かわかるようなものを設置していただきたいものだ。

地下鉄の出口で待ち合わせして、近くの喫茶店で、まずは下打ち合わせを・・・(笑)
それから“オオクボさん”宅に向かう。
ご自宅には、一度だけ行ったことがある。
戦友会の集まりで、酔っ払ってしまった“オオクボさん”を自宅まで送り届けたのだが・・・
その時に、拙者も酔っ払っていたので・・・(苦笑)
自宅の正確な場所は・・・ちょっと自信がない・・・(大笑)
「とにかく、こっちの方向です」などと、知ったような口をきいたが・・・
いつの間にか自宅の前を通過して見知らぬ景色・・・(唖然)
慌てて引き返し、ようやく見つける・・・(大汗)
あれ?・・・建て直した?(大笑)
拙者の記憶している家と少し違っている・・・(大笑)

ご自宅には、“オオクボさん”お一人が待っていてくれた・・・
春にお会いして以来の再会である。
で・・・挨拶もそこそこにインタビュー開始・・・
ところが、本人としては、「先祖代々」からの話をしたくて仕方がない・・・(大笑)
特に、お父様の話・・・
お父様は文官で軍人ではなかったが、東郷平八郎には特に目をかけてもらっていたそうで・・・
「日露戦争の時には・・・」という話から始まって、なかなか先に進まない・・・(大笑)
「あのぉ~日露戦争の話はそのくらいにして、本題は太平洋戦争なんですけど・・・」と、ついつい拙者が口を挟むことに・・・(苦笑)
「あ・・・そうだった!すまん、すまん」と“オオクボさん”・・・
「では・・・・・お願いします」
「あ、そうそう、それでね・・・うちの親父は日露戦争の時に・・・」と話がやっぱり戻っちゃう・・(大涙)
さすがは95歳である・・・やっぱり95歳である・・・・(苦笑)

そうこうしているうちにお昼になってしまった・・・(汗)
息子さんが事前にお昼の出前を頼んでおいてくれていたので、遠慮なくご馳走になる。(喜)
食後、インタビュー再開・・・・
午後3時で、一応、終了ということにした。
ご高齢だし、あまり長時間のインタビューはキツイと思ったからだが・・・
本人は、まだまだ話し足りないらしい・・・
「また、来てくれる?まだまだ話し足りないから・・・」とおっしゃる。
「いや、いや、いつまでも取材ばかりしていたら、いつまで経っても記事になりませんよ」と拙者・・・
3人で大笑い・・・

新聞記者の“ハラさん”に「これで記事が書ける?」と尋ねたら大丈夫との事なので、取材は終了とした。
本人は、もっといろいろと話したい様子・・・
「なかなか話を聞いてくれる人がいない」とおっしゃる。

こりゃ、取材とは関係無しに話を聞きに再訪問するようかなぁ~(大笑)
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日記 | 10:59:56 | Comments(0)
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