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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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聖跡顕彰歌碑
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聖跡顕彰歌碑

日の本の本の光と仰ぐかな
     朝日たださすみや崎の宮

この歌碑は、宗教法人国柱会創立者田中智学先生が、皇宮屋の聖跡参拝の折よまれた感詠を、地元有志によって歌碑建設を志し、昭和10年5月26日除幕されたものである。
碑の背面にその顕彰記が、田中先生によって左記のごとく録されている。
本年、この地に国柱会会員宮崎大会を催すにあたりこの解説版を設置する。
  昭和11年10月 日     宗教法人 国柱会

聖跡顕彰歌碑之記
日向の国宮崎の丘上なる皇宮屋(こぐや)の地は、神武天皇宸居(しんきょ)の跡なりと伝えられ、わづかに一小字ありて荒廃年久し。
昭和4年7月、予、神宮参拝の時此跡を訪ひ、感懐の腰折(こしおれ)一首を寄せて、地方の有志に聖跡顕彰(せいせきけんしょう)の事を勧説す。
明治会宮崎支部委員長赤間與三次(あかま・よさじ)氏、先ず発奮唱導して有志に計りて其議を立つ。
参同忽ち臻(あつま)り、君島知事及び明治会宮崎支部委員長新原(にひはら)少将等同志協力して、遂に本年10月御東遷(ごとうせん)二千六百年の大慶典挙行に伴ひ、皇宮屋聖跡の事も実現し得て、尊祖追遠(そんそついおん)の風化を扶(たす)け、民心作興(さっこう)に資益する所大なるものあるは、洵(まこと)に昭代(しょうだい)の一美擧なり。
茲(ここ)に有志相議し、聖跡の光揚と共に国体精神の涵養(かんよう)を助けんため、初発の因縁たる予の歌を刻して、傍(かたわら)に建つべく予の揮毫を需(もと)めらる。
予は吾愚詠(わがぐえい)悪筆の神域を汚さんことを恐れて躊躇(ちゅうちょ)せるも、顕彰の起因拙詠(せつえい)より発せる由縁(ゆえん)を思ひ、其懇請を納(い)れ、自ら歌詞を書し、因(ちな)みに縁起を碑背に記す。
   昭和9年12月    田中智学

(説明板より)


【宮崎県宮崎市下北方町横小路・皇宮神社】
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史跡 | 11:55:00 | Comments(0)
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