投稿日:2015-07-14 Tue

聯合艦隊機動部隊 眞珠湾攻撃發進之地
碑文
日米関係が緊迫し、時の大勢に抗し難く、意を決した聯合艦隊司令長官山本五十六大将は、有事の作戦を想定して各地で激しい訓練を重ね、佐伯湾に集結した聯合艦隊の旗艦 「長門」から聯合艦隊機密作戦命令を発令した。
昭和16年11月5日命令第一号「対米英蘭戦争ニ於ケル聯合艦隊ノ作戦ハ別冊ニ依リ之ヲ実施ス」。
同11月7日命令第二号「第一開戦準備ヲナセ。Y日ヲ十二月八日ト予定ス」。
発令に並び、11月4日から6日にかけて、山本長官査閲のもとに、佐伯湾在泊中の聯合艦隊主力と佐伯航空隊を真珠湾の敵戦力と仮定し、飛行機隊による最終の攻撃訓練が行なわれた。
11月17日の午後には、湾内の機動部隊旗艦 空母「赤城」艦上において壮行会が開かれ、山本長官の切々たる訓辞を受け、翌18日、山本長官らに見送られて、南雲忠一中将の率いる機動部隊が、真珠湾攻撃の秘策を胸に、三三五五、択捉島単冠湾に向けて発進したのが、ここ佐伯湾である。
一縷の望みを託した日米最後の交渉も空しく、昭和16年12月8日未明、機動部隊は真珠湾を急襲し、遂に悲劇的な太平洋戦争に突入した。
戦後はや五十数年の月日は流れ、明治の末から昭和にかけて度々聯合艦隊が演習のため入港し、また太平洋戦争の起点となった佐伯湾は、過去の戦争も知らぬげに波静かである。
かつて国の存亡を賭けた戦いに、死を覚悟して出撃した雄々しくも哀しい海のつわもの達が、波枕に夢を結んだ風光明媚な佐伯の海よ永遠に平和なれと願い、戦没者の御霊安らかならんことを祈るものである。
平成9年11月18日建之
歴進会
建碑の趣意
佐伯湾は、豊後水道の喉元に位置する天然の良港で、古くから海軍の重要な港であり、明治の末から昭和にかけて、度々連合艦隊が演習のため入港した。
世界の歴史を塗り替えた太平洋戦争の開戦に際しては、真珠湾攻撃の機動部隊発進の地として、佐伯湾がその起点となった。
歴進会は、戦後半世紀余の歳月の流れを思い、太平洋戦争に於ける佐伯湾の秘められた史実を後世に伝え、併せて恒久平和を願い、戦没者の冥福を祈るため、ここに記念碑の建立を計画、これを実施した。
註
碑銘を揮毫された山本義正氏は、太平洋戦争開戦当時の聯合艦隊司令長官山本五十六元帥の長男で、予備学生出身の元海軍士官である。
記念碑建立委員
佐伯市下久部 檜垣 七郎
佐伯市向島 赤松 勇二
佐伯市常盤南町 宮田 光夫
佐伯市長島町 市野瀬 仁
佐伯市常磐東町 増村 貞一郎
歴進会会長
佐伯市中野西 河野 豊
設計施工
株式会社 佐伯墓石販売
公園管理者
佐伯市長 佐藤 佑一
(碑文より)
【大分県佐伯市・佐伯市平和祈念館やわらぎ】
スポンサーサイト
△ PAGE UP