投稿日:2015-07-14 Tue

慶長5年(1600年)創業の鑰屋(かぎや)可児醤油のお話
美濃の藩主(岐阜県)稲葉貞通が臼杵に移封される1年前
臼杵の町を偵察に来た7人の侍がいた
俗に言う7人の先遣隊である。
行商人に変装していた可児孫右衛門は
1年後に藩主の御供をして来た次男と共に
鑰屋可児傳右衛門店(可児醤油)を本町のこの場所で創める
鑰屋可児醤油は以後、醸造(酒、味噌、醤油)、両替商等手広く商い
城下町商人として稲葉藩に献納し繁栄をもたらし
名字、帯刀を許された。
殿様御家督の折には、金、3000疋献納
1794年江戸邸消失の折には、金、壱百両献納などがある。
本社二階の窓には鉄扉があり四百年建物を守っていましたが
戦時中鉄砲の弾にと供出しました。
白壁は米軍のB29戦闘機の目標になると軍から達しがきて
墨で黒く塗った名残です。
右端の店舗には孫右衛門や丁稚が歩いた「三和土(たたき)」があります。
歩くと石がグラグラと揺れます。
(説明板より)
【大分県臼杵市臼杵・本町商店街(八町大路)】
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