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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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臼杵を歩く
今日は、半日だけ臼杵を見て回り、その後、佐伯に移動予定・・・・
朝の天気予報では、午後から雨が降るような話である。
う~ん・・・台風が近づいているからなぁ~(汗)
できるだけ、早目に佐伯に移動したほうがいいだろう。

ホテルをチェックアウトして、タクシーで「吉丸一昌記念館」に向かう。
午前8時半・・・オープン早々の訪問である。(笑)
この吉丸一昌という人・・・拙者は知らない・・・(大笑)
水戸藩士の“シミズくん”は博学だから「あの“早春賦”の吉丸一昌ですよ」と簡単に言う。
「早春賦?・・・なんだそりゃ?」
「知らないんですか!」と馬鹿にされた・・・(大笑)
う~ん・・・面白くない・・・(大笑)
ということで、この記念館を訪問することにした。
特に興味もないのだが・・・(苦笑)

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この記念館の建物は、吉丸一昌の奥さんの実家だそうだ・・・(笑)

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で・・・この人が吉丸一昌という人・・・(笑)
「早春賦」という歌の作詞者だが、ただの“作詞家”ではなさそうである。
童謡の先駆けとなる『新作唱歌』(全10集)を発表した人だそうで・・・
臼杵市が生んだ有名な国文学者なのだそうだ。(汗)
胸像を見るとかなり若い人のように見えるが・・・と思ったら・・・
大正5年に43歳の若さでお亡くなりになっている。
ちょっと早いよなぁ~
才能のある人に限って早死にしたりするのである・・・
長生きしている人は“凡人”ということになるか?(苦笑)
拙者は55歳・・・・無駄に歳を取ってるなぁ~(大汗)
記念館の方の説明などいただきながら見学・・・
ジックリと見学してしまったので、ここだけで1時間も潰してしまった。(大笑)
帰りに、水戸藩士の“シミズくん”へのお土産に資料集などを買う。

帰りに「タクシーを呼びましょうか?」・・・と記念館の方に言われたが・・・
いや、いや、それじゃ面白くない・・・
やはり旅は歩かねば・・・(笑)
ということで、テクテクと歩いて臼杵城に向かうことにした。

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万里橋を渡る・・・・
向うに何やら雰囲気の良さそうな中洲が見える・・・
松島神社と住吉神社があるらしいが・・・今さら向うまで行くのは面倒だ。(笑)
縁がなかったということで無視して歩く・・・(大笑)
まもなく、町の中に入った・・・

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向うに三重塔が見える・・・あら、すごい・・・いい景色・・・・
観光マップを取り出し、見てみる・・・
だいたい、拙者は観光マップを持っていながら、これに従って歩くということはしない。(大笑)
適当に、右に曲がって・・・左に曲がって・・・と勘に頼って歩く。
だから道に迷って迷子になるのだが・・・(大笑)
縁があれば出会えるし、縁がなければ出会えない・・・それで良いと思っている。(笑)

この三重塔は、九州に2つしかない江戸期に建てられた三重塔の一つだそうだ。
あら・・・すごい・・・(笑)

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臼杵の商店街を歩く・・・
平日のせいか、誰も歩いていない・・・(苦笑)
古い建物が並んで・・・これ・・いいなぁ~(喜)
キョロキョロしながら歩くので、明らかに“不審者”だな・・・俺・・・(苦笑)

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こういう建物・・・・好きだなぁ~(笑)

臼杵には「歴史資料館」や「野上弥生子文学記念館」や国の登録有形文化財の「稲葉家下屋敷」など、見所があるようだが・・・
行ってみたいが・・・パス!(大笑)
時間がない!(汗)
臼杵には「臼杵城」くらいしかないのだろうと思っていたが、そうでもなさそう・・・
拙者の場合、何だかんだで全てをジックリと満足行くまで見学したら2日はかかるだろうな・・・(大汗)
半日程度で十分だと思っていたのは、ちょっと甘かったかな?(苦笑)

商店街を抜けると、そこに「辻広場」と呼ばれる場所があった。

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説明板にある昭和中期のころの古写真と比較してみたが・・・どの方向から撮影したものか残念ながらわからなかった。
説明板によれば、寛永4年(1627)に臼杵城の外周を整備するため菊屋町という町を壊して空き地にしたそうだ。
で・・・この空き地に「辻の大井戸」という井戸があって、昭和の初期頃まで飲用や醸造用に使われていたそうだ。
現在ロータリーになっている「辻の広場」は、江戸時代から多くの人が行き交い、語らう広場だったそうである。
今は・・・道路・・・・残念である。

と・・・目の前にお城が・・・・!!

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臼杵城である。
あれ?・・・・こちらが正面か?
昨日は、裏から登ったのか?(笑)



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大分県指定史跡 臼杵城跡

臼杵城は弘治2年(1556年)、大友義鎮(よししげ)(宗麟)によって建てられた城です。
臼杵城が築かれた丹生島(にゅうじま)は、文字通り元々は臼杵湾に浮かぶ島でした。
守りの堅いその地の利を生かして、この地を城郭にしたと考えられます。
大友氏改易後は、福原直高(ふくはらなおたか)、太田一吉(おおたかずよし)と城主が替わり、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後、稲葉氏が臼杵藩5万石余の主として、臼杵城に入ります。
以後、明治維新まで臼杵藩は稲葉氏によって支配されました。
その後、明治政府の廃城決定により卯寅口門脇櫓、畳櫓(たたみやぐら)以外の建物はすべて破壊され、公園化されました。
現在は臼杵の歴史のシンボルとして、皆さんに親しまれています。

臼杵市教育委員会

(説明板より)



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二の丸跡に「臼杵護国神社」があった。(喜)
小さな神社だが、周囲は綺麗に手入れされている。
ちょうどお参りにきていた地元の“オバサン”と、世間話をする。(大笑)

どこまでが境内なのか、よくわからないが・・・(笑)
「慰霊碑」の代わりだろうか、「説明板」の形で、戦没者の顕彰がされていた。
こういう形は珍しいが、大したものだと思う。
臼杵の人たちは戦没者に対する慰霊の念が強いのだろうと思った。



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武功抜群
木梨鷹一(たかいち)海軍少将の戦死

鷹一は、明治35年3月7日臼杵町野田753番地で生誕した。
大正9年臼杵中学から、当時受験競争率最高30倍に達したと言われる海軍兵学校に進学(海兵51期生)、大正12年卒業。
昭和5年航海学校航海学生(大尉)となり同6年に卒業後、潜水艦航海長になったが、同12年11月海軍少佐となり、同15年3月潜水学校甲種学生を命ぜられた。
卒業時には、成績優秀により恩賜の銀時計(各種学校首席卒業者に天皇が与える銀製の時計)を拝受している。
太平洋戦争勃発するや、潜水艦長として各海洋に進出し転戦偉功を奏す。
伊号19潜水艦長として、昭和17年9月15日ソロモン海峡で敵機動部隊を捕捉し、魚雷6本を発射うち5本命中で敵空母ワスプを撃沈、戦艦ノースカロライナ、駆逐艦オブライエンを大破させた。
昭和18年11月には、重大な使命を負いドイツへ向かった。
インド洋上で補給船から補給を受け、昭和19年3月11日フランスのロリアンに入港。
そこで、新兵器操作技術の習得のほか、ジェット機の設計図等新世代兵器設計資料を受取った。
その時の軍服には、ヒトラーから贈られた二級鉄十字勲章が輝いていた。
87日を経て、7月12日シンガポールに入港。
空輸可能な設計資料は、巌谷技術中佐が取りまとめ空路帰国。
7月26日にバシー海峡で米潜水艦と遭遇、鷹一の乗った艦は魚雷を受けて沈没した。
この旨が上聞に達し、生前の殊勲を嘉せられ二階級特進海軍少将に任ぜられた。
行年43歳。

「近代臼杵人物辞典」より

(説明板より)



木梨鷹一さんは、戦記の中にもよく出てくる、有名な潜水艦長である。
へぇ~木梨さんって、臼杵出身だったんだぁ~



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臼杵護国神社

御祭神は稲葉良通ならびに歴代藩主と國家公共につくした人の神霊をお祀りしています。
明治10年西南の役で戦死した臼杵藩士43名の御霊をお祀りするため明治11年6月に招魂社が創建されました。
後に事変や戦争で亡くなった御柱が祭神として祀られています。
稲葉神社は稲葉家の祖、稲葉良通公(一鉄)を祭神として明治12年11月に創建されました以後歴代(15代)藩主も祀られています。
昭和35年4月には稲葉神社と招魂社を合併して社名を臼杵護国神社と改称しました。
御祭神は2千柱になります。

臼杵護国神社

(説明板より)


稲葉良通(一鉄)公

一鉄の祖父・稲葉塩塵(通貞)は伊予国の名族越智河野氏の一族で、美濃に流れ国主土岐成頼に仕えて土豪になったとされている。
永正12年(1515年)、一鉄は稲葉通則の六男彦六(良通)として、美濃国に生まれる。
幼少時に僧侶となり学んでいたが、大永5年(1525年)に父と5人の兄たちが全て牧田の戦いで浅井亮政と戦って戦死したため還俗して家督と曽根城を継いだ。
はじめ土岐成頼の子土岐頼芸に、次にそれを追い出し継承した斉藤利政(道三)に仕え、西美濃三人衆の一人として活躍する。
永禄10年(1567年)に三人衆は道三の娘婿でもある織田信長へ内応し、道三の孫龍興が稲葉山城の戦いで美濃からの敗走を決定的にした以後、信長に従う。
永禄11年(1568年)、信長の上洛に第一隊として従い、姉川の戦いでは徳川家康と共に戦功を挙げた。
一鉄の号の初見はこの後の頃である。
その後も、殿軍を指揮、軍使も務め、後詰め、先鋒など各地に転戦して武功を発揮したことから、美濃清水城を新たに与えられた。
天正5年(1577年)には有岡城の戦い(織田信孝の副将として安土城の留守居役を務める)に参加し、武功を挙げた。
各地の戦に参加しその戦功は、20年負けなし言われるほどである。
天正7年(1579年)、家督と曽根城を嫡子の稲葉貞通に譲り、美濃清水城に移る。
天正10年(1582年)、武田攻めより凱旋した信長を、領内の呂久の渡しにて饗応する。
本能寺の変の後、織田信孝と対立を深める羽柴秀吉に従うようになる。
天正13年(1585年)に秀吉が関白になると、法印に叙され「三位法印」と称した。
同15年(1587年)、「島津攻め」から凱旋してきた秀吉を、西宮に出迎え、大坂城山里丸の茶室に招かれる。
天正16年(1588年)11月19日、美濃清水城にて死去。
享年74。
後を子の稲葉貞通が継いだ。
一鉄は敬神崇祖の心も厚く伊勢神宮への寄進や寺の建立保護に努めた。
又歌道や茶道のみならず、医道においても造詣が深く、覚書きを伝えている。
頑固な一面があり、そのことから号の「一鉄」にかけられて、「頑固一徹」の言葉が生まれたとされている。
文武両道、知勇兼備の名将と言われる由縁である。
臼杵では廃藩にあっても、なお一鉄の威徳を仰ぎ稲葉神社を設立した。

(説明板より)



稲葉一鉄ねぇ~・・・・どこかで聞いたことがある名前である。
曽根城ねぇ~・・・・あれ?・・・行った事があるような気がする・・・・(苦笑)
あ~・・・・曽根城へ行った時に、説明板か何かに書かれていたな・・・・(汗)
なにせ、自分でホームページを作っておきながら、そこに書いた内容は全く覚えていないのである。(大笑)
「知らないなぁ~」などと言うと、人から「あなたのホームページに書いてありますけど・・・」と言われ恥をかくこと、しばしばである・・・(大汗)
曽根城・・・春日局・・・・稲葉一鉄・・・梁川星巌の銅像・・・モヤモヤ~っと記憶にあるぞ・・・(苦笑)

すぐ近くに、大友宗麟のレリーフが・・・・

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どうして大友宗麟のレリーフなんかがここにあるんだろう?
あっ・・・そうか・・・臼杵城は大友宗麟が築城したんだっけ?(苦笑)
どうも3歩歩くと直ぐに忘れてしまう・・・
これが拙者の最大の欠点か・・・(苦笑)

レリーフのすぐ側に、「国崩(くにくずれ)」とも名付けられたオランダから贈られた「フランキ砲」という大砲のレプリカもあった。

179_convert_20151023114849.jpg (城跡から見た景色)

昨日の夕方、途中まで見学した臼杵城跡の「臼杵公園」の残り半分(笑)を見学・・・・
文学碑・顕彰碑・歌碑・句碑・・・等々が建っていた・・・

日名子実三という人が造った「廃墟」という名の像・・・・・
久家常蔵の「俳諧塚」の句碑・・・
アララギ派の歌人・中根貞彦の「歌碑」・・・・
勤皇臼杵隊の碑
臼杵城跡の払い下げに資金を提供して貢献した人・田中豊吉の「顕彰碑」・・・・
教育者・野中蘭畹(らんえん)という人の「顕彰碑」・・・・
剣道の先生だったらしい「河崎義教先生剣道記念壽表」という碑・・・・
野上弥生子の「文学碑」・・・・

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これらをパァ~ッと見て歩き、城跡を下りる・・・・

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なかなか素晴らしい石垣である!(喜)

城跡を出て北上・・・
しばらく歩くと、市役所が・・・(笑)

222_convert_20151023125337.jpg (臼杵市役所)

う~ん・・・・どこかに大友宗麟とか、初代市長とか、初代名誉市民とかの銅像がド~ンと建っていないものかと思ったが、何もない様子・・・・(苦笑)
あら・・・・つまらない・・・(笑)
仕方がないので、Uターン・・・・
今度は市民会館に向かう。
何かないか?・・・・銅像とか・・・(苦笑)

見つけたのは「吉丸一昌先生の歌碑」・・・・

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ここ歌碑は、臼杵ロータリークラブが創立20周年を記念して昭和55年に建立したものである。

時刻は11時20分・・・腹が空いた・・・・(笑)
駅に向かって歩きながら、どこかに適当な店があったら入ろうと歩き出す。
途中で、ずっと先の歩道に何かが横たわっているような・・・(汗)
大きな犬かと思ったら、そうではないようだ・・・
段々近づいたら・・・・一人の“お婆さん”が歩道に寝そべっている!(唖然)
はぁ?・・・・(汗)
すぐに救急車が到着!
あらら・・・もしかして、この暑さだから熱中症で倒れたのかも・・・・
人通りが全くないという駅前通り・・・・
もうちょっと早い時間に拙者がここを通りかかったら、拙者が第一発見者になり救急車を呼ぶことになったかも。(大汗)
人通りが殆どないという場所では、発見が遅れたら命を落としかねない・・・
この“おばあさん”は運が良かったと言っていいだろう。
この後、大事に至らなければいいのだが・・・

と・・・・そのうち駅についてしまった・・・・(汗)
食事する場所はない!(唖然)
もしかしたら、昨晩宿泊した駅前のホテルのレストランなら開いてるかも・・・とも思ったが・・・
チェックアウトした後、ふたたび訪れるというのもねぇ~
それなら最初からフロントに荷物を預けたのに・・・・(苦笑)
なんとなく“くやしい”ので(大笑)、ホテルには行かず、駅の売店で売っていたパンを買って、これを「昼食」とする。(苦笑)

待合室でパンを食べながら電車を待つことにする。
で・・・地元の乗客の方とおしゃべり・・・(笑)
「どちらから来たんですか?」
「茨城県です」
「へぇ~・・・・茨城県?・・・・そりゃ、遠いところからわざわざ・・・」(汗)
ん?もしかして、茨城県と聞いても、この人はピンときてないかも・・・・(大笑)
「茨城県・・・茨城ねぇ~・・・・何が有名でしたっけ?・・・・公園?・・・後楽園?」
「いや・・・後楽園じゃなくて、偕楽園っていうんですけど・・・」(汗)
「へぇ~・・・・他に何かありましたっけ?」
「納豆!」
「納豆?・・・・あ~納豆・・・納豆ねぇ・・・・」(苦笑)
う~ん・・・茨城県はマイナーな県だからなぁ~・・・・仕方がないか・・・(大笑)
「昨日、このあたりで地震があったようですが、どうでしたか?」と尋ねてみた。
と・・・・他の乗客の方々や売店の“オバチャンまで話しに加わり、「大おしゃべり大会」となる。(唖然)
結局、結構揺れはすごかったらしいが、被害はなかったそうだ・・・(苦笑)

タバコが吸いたくなったので尋ねてみたら、喫煙場所はホームにあるという。(唖然)
じゃぁ・・・ということで皆さんとお別れし・・・ホームへ行く。

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ん?・・・・・乗客が誰もいないけど・・・・本当に電車は来るんだろうな?
先ほどオシャベリしていた皆さんは隣りのホームへ・・・・
あっちは、大分方面だよな?・・・・北へ向かうんだよね?(汗)
拙者はこれから南に向かって、佐伯に行くのだが・・・・
あれ・・・・なんとも不安・・・・南下する乗客は拙者一人だけなのか?(大汗)

ホームには・・・・ここにも「早春賦」!(驚)
やっぱり吉丸一昌という人は有名な人なんだ・・・・(笑)

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旅行 | 09:56:05 | Comments(0)
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