■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
旧久原本部
078_convert_20150924141950.jpg 090_convert_20150924142126.jpg

茨城県指定文化財(史跡第24号)
昭和45年9月28日指定
旧久原本部


旧久原本部は、明治38年(1905)の暮、久原房之助氏が日立鉱山開発の本部として建てた当時の小家屋である。
この辺はその頃杉の大木がおい繁った昼なお暗い山間の乗り物もない交通不便の僻地であった。
久原氏はこの本部に起居し、ある時は鉱山経営近代化の構想を練り、ある時は経営不振に心を痛めながらも、その克服に勇気を振い起こしたこともあった。
公害問題解決のため、大正3年(1914)建設され、当時世界一を誇った大煙突の世人を驚かした計画も、実はこの本部の一室で立てられたものである。
現在その一室に「苦心惨憺處」という額が揚げられてあるが、これは久原氏が後年、ここを訪れた際、創業当時を回顧して書かれたものである。
たしかに労使の共にした苦心惨憺の毎日こそ、常陸の豪族佐竹氏が、近世のはじめ秀吉時代に鉱床を発見して以来三百余年、御三家水戸藩の力をもってしてもついに成功しなかった鉱山を、わが国屈指の銅山たらしめた原動力である。
日立鉱山の近代的開発は、日立発展の礎となったばかりでなく、茨城県勢前進の上に大きな役割を果たした。
歴史的に意義のあるこの旧久原本部が、生きた史跡として長く保存されることを望む。

日立市文化財保護委員会 瀬谷義彦 撰文

日立市教育委員会

(説明板より)

080_convert_20150929115927.jpg

日本鉱業の社祖久原房之助翁が此処に現存する小舎を本部として日立鉱山を創業したのは明治38年暮のことであった
爾来幾多の辛酸をなめながら翁の不屈の精神と大煙突を建設して早くから公害問題の解決に当たるなど雄大斬新な計画性とは本鉱山をして日本有数の銅山たらしめる要因となった
翁は後年往時を回顧して苦心惨憺處の額を旧本部内に掲げた
この苦心惨憺の努力こそ大日立市発展の礎となったばかりでなく我が国産業発達の鍵でもあった
今翁の遺徳を偲び縁深い本山の川石に翁の遺墨を刻んで記念とする

昭和45年4月吉日

日本鉱業株式会社
社長 河合 堯晴

(銘板より)


【茨城県日立市宮田町3585・「日鉱記念館」敷地内】
スポンサーサイト


史跡 | 11:38:35 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。