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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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共楽館
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日立武道館(旧共楽館)のあらまし

日立鉱山はかつて日本有数の銅山として日立市発展の礎を築き、鉱山の従業員とその家族の福利厚生施設として、大正6年(1917)に“共楽館”を創建しました。
日立鉱山の技師が帝劇、歌舞伎座その他劇場を参観して設計し、西洋の洋小屋トラス組の骨組みを採用して、幅22mの大空間を実現しています。
また、唐破風の屋根や格天井などには伝統的な日本建築の意匠が見られます。
当時、1階には長椅子席、2階には桟敷席で、回り舞台や花道があり、1,500名が入場できました。
共楽館には15世市村羽左衛門や6代目尾上菊五郎などの名優も共演しています。
共楽館は当初から単なる芝居小屋ではなく、実に多様な利用がされていました。
大歌舞伎、小芝居、素人演芸に始まり映画、講演会、演奏会、展示場、納涼会、大相撲の地方巡業の会場等々あらゆる催し物が行われたマルチホールでした。
また、学校教育とも深い関わりを持ち、学芸会や学校映画会などの情操教育の場にもなり、共楽館は日立の文化発信基地としての役割を担っていました。
昭和42年、日立鉱山から日立市に共楽館が寄贈され、内部の舞台や桟敷などが撤去され「日立武道館」へと変身しました。
平成11年に国の有形文化財「旧共楽館」として登録されました。
近年トタン屋根や樋の腐食が激しく、雨漏りによる天井、土台の腐食に加え、耐震強度不足(震度6以上で倒壊)などでその保存が危ぶまれていました。
平成21年に日立市は文化財に指定し、約4億円で改修補強工事が翌年1月から工事が始まり、平成23年3月に完成しました。
3月11日に発生した東日本大震災前に耐震強度補強工事がほぼ完了していたため、震度6強の地震に対しても被害は軽微なものでした。
今後、日立市の貴重な文化財であると同時に産業遺産として、スポーツ・文化発信基地としても、後世に伝えて行かなければなりません。
また、市民のために大いに活用したいものです。

(チラシより)


【茨城県日立市白銀町2-21】
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史跡 | 11:34:00 | Comments(0)
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