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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『ある遺族の二・二六事件』


まえがき

第1章 平穏な日々

生い立ち
   父、海軍を退く
   熊本の生活
学生時代のあれこれ
   水泳のアルバイト
   野球部を創立
   商大を卒え松坂屋へ
   福岡へ移った父母の死
   母の想出
   弟、寿の死
第二の人生への出発
   あっさり松坂屋を辞める
   本領信治郎氏のこと
   松坂屋の三羽烏
   銀座の艶話
   競馬場通い
   結婚。夜の世界との別れ
   吉原とのつながり
   やくざとの交際

第2章 波乱人生の幕開け

護国仏心会の設立
   護国仏心会の誕生まで
   栗原安秀中尉との関係
   護国仏心会の誕生
2・26事件因縁の人々
   賢崇寺と藤田住職
   百日祭、卒哭忌の法要
   一周忌法要
   その後の法要
   一周忌後の、幸楽の会
   幸楽女将のことども
   龍土軒、岡野甚内さん
遺家族訪問―対策と資料蒐集
   安田少尉姉宅の訪問
   その他遺家族の訪問など
受刑者の調査と家族宅の慰問訪問
2・26事件の将校たち―自決者と刑死者の死後
   自決者の死後
   刑死者の死後
   栗原家の出来事
   お骨騒動の数々
   栗原家の57日忌
満州落ち
   満州落ちを決める
   蒐集資料の処置
   満州への旅出
   安東での生活
   岡部君来満
   安東での法要
   家族を満州に呼ぶ
   両児の死
   満州から蒙彊へ
   大谷尊由師の死
   蒙彊の想出
   水上未亡人との出会い
   満州雲母を退く
   姜君姿を消す
   南進への準備―さらば安東
   満州の想出―競馬とゴルフ
海南島での6年間
   渡南を前に
   海南島に赴任
   石碌鉄山の開発
   中村新八郎氏のこと
   三亜の生活
   開発の進展と街造り
   多数の犠牲者
   初期の現地
   沖縄への大名旅行
   長谷川総督の視察
   新入島社員のボス、チンピラ
   鉄道の開通
   僧侶の派遣を要請
   列車転覆事故で遭難と内地帰還
   療養名目の内地帰還―追放
   東京本社へ転勤
   戦時下の東京生活と抜道
   再び海南島復帰がきまる
   福岡への疎開と海南島復帰
   帰島して見る完成近い石碌開発
   戦局悪化と鉱石船来らず
   空襲の激化
   事業中止命令来る
   緊急事態への対策
   生産隊の発足
   三度目の遭難
   終戦を知る
   接収準備の諸問題
   円満な接収完了
   香港苦力問題の跡始末
   海南寺始末記
   六郷村集中営あれこれ
   故国の土を踏む
   東京本社での清算事務

第3章 新たなる苦難

賢崇寺の罹災
   原好さんのこと
坂井中尉生存説のニュース
『湯河原襲撃』の公表
戦後、栗原勇氏との連絡再開
   戦中―戦後の栗原さん
   栗原勇氏の死
仏心会の再興
   戦後初の法要を行う
   丹生家と岡田首相
   林家の場合
「二十二士之墓」建立の悲願
   建立の経過
   再興仏心会、合同埋葬へ始動
   香田大尉の分骨のこと
   「二十二士之墓」建立へ
   難航する建墓
   「二十二士之墓」開眼供養
立野信之氏の『叛乱』との握手
芝浦親分衆とのつきあい
   海南島と浅生山組
   親分衆からの好意
勾坂検察官の死
   賢崇寺の法要と勾坂氏
   藤田師と勾坂氏の霊前へ
   勾坂氏と事件との因縁
善通寺に平石看守を訪れる
陸軍省保管の遺書綴還る―日本国土開発役員落第記
   政界ジープ事件の落し子
   通謀犯人は誰か
   2・26事件の獄中遺書集、仏心会へ
   処刑後、軍が保管した遺書
   高価な代償―大阪転勤
   東京復帰と詰腹
   高木会長と懇談
   あっさり役員辞任
弟、正五の非業の死
   正五の想出
   正五、諫死の血書
   運命児、正五の終焉
   正五の葬儀

第4章 執念の結実

『二・二六事件』の刊行
   出版への苦難
   謹んで霊前に捧ぐ
   出版記念会
大赦報告墓前祭
「磯部浅一行動記」仏心会へ
刑場跡、初の慰霊祭
   防衛庁と米軍司令部への訪問
   『7月12日の記録』
   初の刑場跡慰霊祭
刑場跡地一角払下げに成功
   残っていた供養塔
   慰霊塔用地の獲得
2・26事件記念慰霊像の建立
   建立案を練る
   建設準備事務所の発足
   石碑案から立像案へ
   川元良一先生に相談
   アトリエ通い
   難産の資金問題
   募金計画
   募金活動の開始
   計画齟齬の原因
   地方同志の献身的な協力
   慰霊像の銘名と由緒書
   万端の準備を終える
宿願達成の日
   慰霊像除幕式
   慰霊像碑文
熱海、自決現場の慰霊祭―30年目の再会
   想出の地を訪れる
   慰霊祭を思い立つ
   現地慰霊祭の模様
   小室看護班長の手紙
   後記
35回忌法要と殉難警察官遺族の参列
三島由紀夫氏の合祀
元皇族賀陽恒憲氏を迎える
藤田俊訓師の死
   最後のお手紙
事件満45周年記念追悼法要
二十二士諸霊墓参行脚
   野中四郎大尉の墓
   河野寿大尉の墓
   磯部浅一、登美子の墓
   北輝次郎の墓
   西田税の墓
   安田優少尉の墓
   中橋基明中尉の墓
   中島莞爾少尉の墓
   香田清貞大尉の墓
   田中勝中尉の墓
   竹嶌継夫中尉の墓
   坂井直中尉の墓
   渋川善助の墓
   村中孝次の墓
   相沢三郎中佐の墓
   栗原安秀中尉の墓
   水上源一の墓
   安藤輝三大尉の墓
   林八郎少尉の墓
   対馬勝雄中尉の墓
   高橋太郎少尉の墓
   丹生誠忠中尉の墓
   二十二士の墓詣でを終って

あとがき



著者は、2・26事件で湯河原の牧野伯爵を襲撃した後に自決した河野寿大尉のお兄さん。
本書は、著者本人の人生記と、戦後の2・26事件犠牲者等の慰霊の話・・・
河野司氏の波瀾万丈の人生記は、こう言っては失礼かもしれないが面白い。
この波瀾万丈な人生になったのには身内が2・26事件に参加したということも大いに関係しているだろう。
軍人の家庭に育ちながら大学卒業後は、なぜかデパートの松坂屋に就職。
もうその段階で面白いと笑いたくなる。
その後、海南島など外地で生活・・・
やくざとの関わりも面白い話。
「あの2・26事件の河野大尉のお兄さんですか!」ということで一目置かれてしまうところも面白い。
必ずしも、事件の首謀者の兄だから不幸な人生を歩んだというわけでもないと思う。
人生、色々だが、読んでいるうち、こういう波瀾に満ちた人生に、ついつい憧れてしまう。(笑)

2・26事件処刑者と犠牲者の遺族会「仏心会」についても詳しく書かれている。
また慰霊像の建立の経緯等は、いい記録である。

実は、本書の著者、河野司氏とは一度だけお電話でお話をしたことがある。
20年ほど前だろうか・・・
2・26事件の慰霊像の存在を知り、お参りに行った時に名刺入れに名刺を入れたのである。
私の祖父は、2・26事件後、軍法会議が開かれた留守第1師団の副官を務めていた。
事件の首謀者の処刑にも関わり、遺体を遺族に引き渡す役も務めたという。
また、それに先立ち、2・26事件に参加しないかと誘われてもいたという。
当時、祖父は習志野の騎兵連隊の中隊長代理の中尉だった。
決起への参加を断った理由を尋ねたが教えてはくれなかった。
2・26事件の首謀者の一人である栗原安秀中尉が士官学校に在学していた同じ時期に祖父も士官学校に在学していた。
ただ、祖父は少尉候補者制度で士官学校に入校していたので、かれらより10才ほど年長である。
各連隊の中から優秀な下士官を1名だけ士官学校に進学させるという制度での入学。
すでに長い軍隊生活を送っているので、中学校からストレートに陸軍士官学校に入って来た「エリート」とは少々毛並みが違う。
少尉候補者は、そういうわけで一般学生より10才ほど年を食っていたのだ。
たぶんそういうことも関係していたと思う。
心情的にはわかるが・・・というところだったのだろう。
「あの時参加していたら、俺はこうして生きてはおらんよ」とだけ言っていた・・・
決起部隊に参加していたら、当然指揮官として参加したということだろう。
決起への参加を拒否した祖父が、どういう運命の悪戯か、処刑する側に回ることになったのである。
そういうことを名刺の裏に書いて名刺受に入れたところ、数日後、河野氏から会社にお電話をいただいたのである。

その時に、連絡先を教えいていただいたのだが、仕事中に電話を受けたせいか・・・
そのメモを失くしてしまったので、とうとう、その後、連絡を取ることが出来ず、そのままとなってしまったのである。
本書を、もっと早いうちに読んでいれば・・・と今頃になって後悔している。
あの時は、河野氏が、どういう方か知らなかったのである。
が・・・これも運命だと諦めるしかない。
本書の著者、河野司氏は、もうお亡くなりになっているだろうと思うが・・・
本書を読んでいて、もっと直接お話を伺いたかったと思った。
久し振りに河野氏との電話でのやり取りを思い出した・・・・

今は「仏心会」はどうなっているのだろう?
多くの方に本書を読んでいただいた上で、東京の渋谷税務署脇にある慰霊像にお参りに足を運んでいただきたい・・・
そう思う・・・・


今年の読書:48冊目

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読書 | 01:24:26 | Comments(0)
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