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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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「ダガミ」と「ビリヤバ」、「カンギポット」
「ブラウエン」を出発して、「ダガミ」に向かう途中・・・
多分、出発して10分程度走った程度だと思うが、日本の慰霊碑がある場所へ到着・・・
一瞬、この時は気がつかなかったのだが・・・
あれ?・・・ここには以前来たことがある・・・・
あまりの景色の違いにビックリした・・・

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10年前に来た時は、椰子の林の中に建っていたのである。

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(10年前)

台風で椰子の木が全部倒れちゃったのかな?

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平和の塔

This is memorial of all country where soldiers dead on these field during the world war Ⅱ
erected by the Japanese memorial Service

こゝは太平洋戦争に於て、比、日米の多くの戦士達が祖国の為に、激しい攻防戦の中で無残に散り果てた痛恨の地である。
人類が再びあの愚かにして悲惨な殺戮を繰返さぬ為に、不戦の誓いをこめて、■魂の誠を捧げると共に、悠久の平和を祈念してこの塔を建立するものである。

1977年7月建立
京都 比島桃陵遺族会
    垣兵団生還者

(碑文より)



碑文にある「垣兵団」というのは、京都で編成された第16師団のことである。
昭和16年の開戦直前まで、拙者の祖父はこの師団の副官を務めていた。
そういう意味では、第16師団は縁のある部隊である。

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「平和の塔」の道路を挟んだ向こう側に山が見えるが・・・
あの辺りに一時期、第16師団司令部が置かれていたと思う。

午前9時半、「ダガミ」の慰霊碑のある場所に到着!
ここにも10年前に来たことがあるが・・・
あらぁ~綺麗になっちゃって!・・・驚きである。

155_convert_20150830134037.jpg (現在)
PICT4807_convert_20150830134322.jpg (10年前)

慰霊碑は、この建物の裏にある・・・
位置は昔と変わっていないが、雑草に覆われ、ゴミ捨て場になっていた・・・(唖然)
黄色の建物は、どうやら警官の宿舎のようで、我々の後にくっ付いて警官たちが集まってきた。(笑)
「マズイところを見られちゃったなぁ~」という雰囲気・・・・
数名の警官が、我々と一緒になって雑草やゴミを取り除いてくれた。
予算が付けば、慰霊碑の周辺は整備して綺麗にします・・・とか、なんとか言い訳を言っていたが・・・どうなりますか・・・(大笑)

154_convert_20150830135436.jpg (現在)
PICT4805_convert_20150830135803.jpg (10年前)

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英霊碑
京都第二次比島方面慰霊団

This is a memorial of all country unknown soldiers died on these field during the World War Ⅱ
erected by The Japanese memorial service tour.

(碑文より)



次にどこに向かうのか、拙者は知らないが・・・・(笑)
「パロ」の町を通過する・・・・
向うに見える山が、日本軍が「十字架山」と呼んだ山・・・
頂上に十字架が建っているから、そう呼んでいたようである。
米軍は「522高地」と呼んでいる。

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山の向こう側の麓に日本の慰霊碑があって、そこを10年前にお参りした。
山の頂上に日本軍の陣地跡が残っているらしいが、頂上まで登った事はない。
ここで歩兵第33連隊の鈴木辰之助連隊長が戦死している。
で・・・
ここに向かうのかなと思ったら素通り・・・(唖然)
え?・・・行かないの?(苦笑)

バスは30分以上も走り続ける・・・
途中でスコールに遭う・・・
外の景色が見えないので・・・寝る!(笑)

で・・・到着したのは・・・レイテ島とサマール島を結ぶ橋・・・(汗)

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この橋は、戦後賠償ということで日本が架けた橋だそうである。
橋の上に大型観光バスを停め、急いで写真撮影をするのだそうだ・・・(汗)
で・・・・向うに見えるのは・・・サマール島?それともレイテ島?
ついさっきまで寝ていて説明を聞いていなかったのでわからない・・・(大笑)

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サマール島の「戦跡」でも見るのかと思ったら、ただこの橋を見るだけで戻るとのこと・・・(大汗)
この橋を見るだけの為に延々と走ったのか?(唖然)

時刻は11時を過ぎた・・・昼食会場に向かう・・・

166_convert_20150830152643.jpg (中華の昼食)

昼食を終え、次に「リモン」方面へ向かっていると思うのだが・・・
地図等の資料はないので、どこをどう走っているのかわからない・・・(笑)
しかも、頼りのタブレットのGPSは携帯電話の電波が入らず、現在地も地図も表示できない!(涙)
今回のレイテ島では、タブレットはただの「お荷物」と化した・・・(苦笑)

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移動途中で見た橋・・・・
台風の被害がまだ残っている・・・
バスは仮設の橋ではなく、そのまま川の浅瀬を渡る・・・(驚)
今は乾季だから川の水も少なくていいが、雨季になったら、こんな渡り方は出来まい。
雨季に入る前に橋を架け直さないと大変なことになると思うのだが・・・
どうも、まだ架け替え工事に着手していないみたい・・・(汗)
俺・・・しらねぇよ・・・(苦笑)

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場所によっては、今もって路肩が崩れたままになっている場所もあった・・・(汗)

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午後3時・・・・「工兵の碑」に到着。
ここにも10年前に来たが、ここは当時と殆ど変わっていなかった・・・(笑)

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鎮魂

1944年此の峠で工兵第一連隊及師団防疫給水部が奮戦し大半の将兵が戦没した
英霊よ安らかに眠り給え
祖国の平和に御加護あらんことを
合掌

1983年8月

(碑文より)



次に向かったのは・・・「ビリヤバ」・・・・
ここは日本の第68旅団(通称:星兵団)が米軍と戦った場所である。

「ビリヤバ」には10年前に来たことがあるが、ここは初めてである。
「日比合同慰霊碑」なんていうものが、あったのか・・・
あの時は、ウロウロ走り回って、ようやく見つけたのが・・・「フィリピンゲリラの慰霊碑」!(大笑)
日本兵の慰霊をするつもりが、フィリピンゲリラの慰霊になった・・・(苦笑)

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日比合同慰霊碑の由来

第二次世界大戦におけるレイテ戦は、比類無き激戦であり、日比双方の兵士は大儀のため身を挺し、多くの犠牲者をだしました。
西海岸山岳周辺の日本軍兵士は、弾尽き、食無く、病魔に倒れ、ひたすら望郷思念に、待つものは死以外のものはありませんでした。
この慰霊碑は多くの諸霊の冥福を祈るとともに、再びこの非を繰り返さないことを誓って、当会会長永田勝美さんと、かつて敵と味方で戦った、当地戦友会の方々が協力し、多くの遺族や戦友の方々の浄財によって1995年7月に建設されたものです。

管理 佐賀県・・・・(以下:略)
    NPO法人 戦没者追悼と平和の会
    電話・・・(以下:略)
    E-mail:・・・・(以下:略)

(設置説明板より)



日本のNPO法人が建立した「慰霊碑」だそうである。
で・・・ひと言・・・・
説明文の中の「大儀のために」の「大儀」は誤字だと思う・・・
「大儀」では「おっくうだ、面倒くさい」という意味になってしまうと思う。(苦笑)
「おっくうだ」・・・ではマズイでしょ?(苦笑)
正しくは「大義」だと思う。
ついでに、住所・電話番号、メールアドレスは、拙者の独断で省略しました。
あとで、何か迷惑をかけたら大変ですから・・・(苦笑)

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日比合同慰霊碑建立の由来

緑豊かで静寂なレイテ島、このレイテ島は1944年10月20日、アメリカ軍の上陸作戦開始と共に、日米決戦の激戦地となり1945年8月の終戦まで修羅の島と化し、日本軍将兵八万人とレイテ島の住民に多大なる犠牲者を生み、太平洋戦争の中でも有数の悲劇の地となりました。
1994年の秋に、レイテ島在郷軍人会の皆様と相談して、戦後50年を契機に日比両国戦争犠牲者の鎮魂と永遠の平和を誓う記念碑建立の運びとなりました。
建立にさいしては、遺族、戦友のご支援とレイテ島住民の暖かいご理解とご支援により、ここバリティの丘に日比両国の戦争犠牲者慰霊碑を建立し、日比両国の永遠の信頼と友情の絆となり、日比両国の友好を確立し、両国の繁栄と幸福を祈ってやみません。

1995年7月1日
日比合同慰霊碑建設委員会一同
顧問 元日本国内閣総理大臣 中曾根康弘

(展示パネルより)



これが「合同慰霊碑」らしい・・・
あまりのシンプルさに皆さん唖然・・・(笑)
まるで「給水タンク」に慰霊碑のプレートを貼っただけのように見えてしまうんですけど・・・(汗)

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ツアーの女性参加者から「トイレに行きたいんですけど・・・」と声をかけられた。(汗)
なんで、拙者に尋ねるのか理由がわからんが・・・(笑)
探してみたら、裏のほうに、トイレらしきものがあったが、廃墟のようになっていて使用できない状態・・・(大汗)
ガイドに、トイレに行きたい人がいる旨を伝えて・・・
ここに来る途中、海岸に、公衆トイレのような建物がバスから見えたので、あれがトイレならあそこがいいのではと言ったら・・・
「そう、あれはトイレです。あそこにしましょう」とガイド・・・
で・・・帰りにそこに立ち寄ると思ったら・・・全然違う場所にバスを止めた・・・(唖然)
「はい!ここでトイレ休憩をします!」
え?・・・・話が違うんじゃないの?(唖然)

そこは、小さなドライブインのような場所・・・・
ガソリンスタンドと売店が建ち並ぶ・・・
そこのトイレを使ってくれとのことだが、なんと・・・使えないシロモノだった・・・
“ウンチ”が便器にタップリと溜まっているのである!!(驚)
ガイドに店員の言うことを通訳してもらったら、水不足のため流せない・・・という。(唖然)
「使えませんか?だめですか?」とガイド・・・
あのね・・・もう少しまともなトイレがある場所を知らないのか?(怒)
我慢にも限界があるから・・・(笑)・・・これから再びトイレ探しをするわけにもいかぬ・・・
とにかく、、皆さんに先に使ってもらい・・・
最後に拙者が使うことにした・・・(涙)
更に“こんもり”とウンチが溜まっている・・・(大泣)
ゲゲッ・・・オエェ~・・・・である。

どうも、ここはガイドの知り合いの場所のようである・・・
“顔を売る”か・・・“恩を売る”ために、ここに我々を連れて来たのだろう。
「お客をつれて来てやったよ」・・・・ということなのだろう・・・
ツアー客がお店で何か買物をすれば、バックマージンが入るのかもしれない・・・
過去に何度か慰霊団に参加したことがあるが、フィリピン人の女性ガイドは、よくこういうことをする。
ツアー参加者のことより自分の都合を優先することがよくあるのだ・・・(怒)

いずれにせよ、レイテ島のトイレ事情はあまり良くないことは確かなようだ。

レイテ島を走り回っているときに、別のトイレにも行った。
ガイドが「有料のトイレですが、いいですか?」とガイドが言う。
有料なら、さぞかし綺麗なトイレだろうと思ったら・・・大間違い・・・
小さな小屋のトイレ・・・
電球が切れていて電気はつかない、便器は汚い、ドアの鍵はかからない・・・
これで有料なのかよ!(怒)
「みなさん、ちゃんとお金を払ってください!払いましたか?」とガイド・・・
このトイレの持ち主は彼女の“友だち”だそうである。
つまり、このトイレの持ち主の小遣い稼ぎにガイドが協力してやっただけのことである。(怒)
我々男はいいが・・・女性は、このトイレではキツイかっただろうなぁ~

実は、拙者の戦友会の会員の中で、お父さんがレイテで戦死された方がいる。
いつか現地に慰霊に行ってみたいと仰っていたので、実は、今回のツアーの参加は、この下見も兼ねての事・・・
機会があれば拙者が案内してあげようと思っているのだが・・・
遺族は女性なので・・・このトイレ事情には参った・・・
もう少しまともなトイレがある場所を調べておかねば、安心して案内も出来やしない・・・(涙)

おかげで・・・トイレに関しては、全く参考にならないツアーとなる・・・(苦笑)

午後4時半過ぎ・・・・
「カンギポット」の慰霊場に到着・・・・
ここは「カンギポット山」がよく見える場所で、ここに「慰霊場」を作り、慰霊碑や卒塔婆が建てられていた。
が・・・見るも無残・・・今は何も残っていない・・・・(唖然)
台風で完全に破壊されてしまったようである。

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ここにも10年前に来たことがあるが・・・
記憶の中の景色と全く違っているので、本当にここなのか?・・・と、とても信じられない・・・(唖然)

PICT4742_convert_20150831131829.jpg PICT4740_convert_20150831131744.jpg
(10年前)

レイテ島で戦っていた日本軍は、米軍の猛攻に追われ、最終的に、このカンギポット山に籠もって抗戦したという。
一部の将兵は隣りのセブ島へ脱出したようだが、その数は少ない・・・
カンギポット山に立て籠もった将兵は、その後、壊滅・・・・
一人も生還しなかったという話を聞いたことがあるが・・・本当かどうかは知らない・・・
その最期の様子を書き残すような生還者がいなかったことは確かなようで、このため最期の様子はよくわからない。
いずれにせよ、病死、餓死で玉砕したのだろうということになっている。

203_convert_20150831133057.jpg (カンギポット山)
PICT4736_convert_20150831131949.jpg (10年前)

たまたま、10年前とほぼ同じ場所から写真を撮ったようで・・・・
比較してみたら、ほぼ同じく見えるから、この場所で間違いないと思うが・・・・
いやはや・・・この荒れようには驚いた。
その後、「慰霊場」は復興されないようで・・・
どうも土地の持ち主と揉めているというような噂を聞いたが、どうなんだろう?
10年前に来た時は、ここに民家があって、目つきの悪い連中が住んでいたから、そういう噂が出ても不思議ではない気がする。
その家も、今は消滅している・・・

時刻は午後5時を過ぎた・・・
今日の戦跡めぐりは、これで終了し、今晩の宿泊場所のある「オルモック」へ向かう。

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「オルモック」も2年前の台風で大被害を被ったはずだが・・・
一見すると、全く傷跡が残っていないような感じである。
都市機能は復旧しているように思える。

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午後6時・・・「オルモック」の港近くのレストランで夕食・・・・
改装したのか、新しく建てたのか・・・綺麗なレストランである。

午後7時45分・・・すぐ近くにあるホテルにチェックイン・・・
ここもまた、綺麗なホテルである。

214_convert_20150831142437.jpg (ホテルのロビー)

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かなり綺麗なホテルであるが・・・・
台風の直撃を受けたときは、3階建てのうち2階まで高波(津波?)が押し寄せてメチャクチャになったとホテルのボーイ・・・・
拙者の部屋は2階にあるが、2階まで波にぶち抜かれたという割には、結構、綺麗に修復されている。
ホォ~・・・・大したものだ・・・
このホテルなら、ご遺族を案内して宿泊してもいいかも・・・(笑)

ボーイにマッサージが呼べるかどうか尋ねたら呼べると言うのでお願する。
やってきたマッサージ師・・・・オバチャンなのだが、やたらと明るい性格・・・(大笑)
英語は拙者と同じくらいの片言英語なので、会話はいつの間にかビサヤ語になってしまうのが玉に瑕・・・(笑)
こちらはビサヤ語だろうがタガログ語だろうが、フィリピンの言葉は全くわからない。(大笑)
話によると、セブ島から出稼ぎに来ているらしい。
で・・・拙者を揉みながらケラケラ笑いながらビサヤ語で話しかけてくる・・・
あのね・・・何言ってるかわからないんですけど・・・・(汗)
「なんで笑ってるの?」
「×○■△※・・・」(大笑)
「へ?・・・何よ?・・・何?」
こちらも仕方がない、ビサヤ語でやられたときは日本語で返す・・・(大笑)
すると、また彼女は大笑い・・・・
おい、おい、英語に切り替えろって・・・(大汗)
しかし、気のいい楽しいオバチャンだった・・・・
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旅行 | 14:39:12 | Comments(0)
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