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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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「ラムット川の悲劇」の現場に行く
「マリコ村」から幹線道路上の「サンタフェ」に出て、国道5号線を北上する。
この「サンタフェ」は「ヌエバ・ビスカヤ州」の南の端に位置する町・・・・
昔は、この南にある「バレテ峠」から九十九折の坂道を下りてきた場所に位置する「宿場町」だったと思う。
交通の要衝でもある。
ここに戦時中は日本軍が戦闘指揮所や部隊本部などを一時期置いたのである。
また北上してくる雑多な日本兵たちを、この町で部隊として移動していないものを主に、憲兵隊が捕まえ、100人単位程度の臨時編成の部隊を作っては最前線のサラクサク峠に送り込んだのである。

我々はこの州を縦断し、北にあるお隣の州、「イフガオ州」に入る。
入ってすぐのところが、「ラムット」という町になる。
この「ラムット」の町に入る手前に川が流れていて、その河川敷きが『ラムット川の悲劇』の現場と思われる。

思われるというのは・・・・実は、拙者はここに来たことが過去に一度もないのである。(苦笑)
当時の「現場」の詳しい位置関係を示す地図も見たことがない。
話だけでしか聞いたことがないので、ちょっと案内するというのは「無謀」のような気もしたが・・・
こういう「悲劇」があったんですよ・・・ということを知って欲しいと思ったので、今回のコースに組み入れてみた。

“オマリオさん”の家を辞するのが予定より少し遅くなったため、ちょっと心配したが・・・
3時間ほど走り、午後5時には“現場”に到着できた!(喜)

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ここは『ラムット川の悲劇』と呼ばれる“事件現場”であるが・・・
「悲劇」という言葉が正しいかどうか、拙者としては、ちょっと疑問・・・
『ラムット川の惨劇』とか『ラムット川の虐殺』という言い方もあるようなので、そちらのほうが的を得ているような気がしますが・・・

昭和20年6月9日頃・・・
マニラ方面から北上してきた日本軍兵士や日本人の民間人らが、この川のところまでやって来たそうである。
今ではコンクリートの立派な橋が架かっているが、当時は粗末な木橋だったそうである。
6月は雨季・・・
川も増水して激しい濁流だったらしい・・・
正確な記録がなく、わずかな“目撃者”の「証言」のみしか残っていないのだが・・・
それによると、証言者によって微妙に内容が違うのだが、どうもこの橋の中央あたりでトラックが脱輪したのかエンジン故障かで立ち往生したらしく、写真のこちら側の岸に集まっていた“避難民”が川を渡ることが出来なかったという。
そこへ、次々と後方から“避難民”がやってきて、かなりの人数が川岸に滞留してしまったらしい。
6月10日に、濁流により、この木橋が崩れて流されてしまった。
万事休す・・・である。
日本兵や“避難民”がさらに、この岸に集まり身動きが出来なくなってしまったらしい。
そこへ後方から米軍が戦車を先頭に攻めてきたという。
マニラに立てこもる日本軍を撃破し、北へ避難する日本軍と民間人を追いかけて北上してきた米第37師団だったらしいが・・・
この師団の戦車隊だろうと思うが、川岸にいた日本人を戦車で轢き殺しまわったというのである。

米軍の主力戦車はM4シャーマン戦車(サラクサク峠で見たあの戦車である)・・・
この戦車・・・重量は30トンほどある・・・
30トンもの重さのもので轢き殺されると、人間はどうなるか・・・
ほとんど挽肉状態のグジャグジャ、ドロドロになるらしい・・・(汗)
それらが戦車のキャタピラにへばりつくそうである。
まさしく地獄絵図だったと「目撃者」の証言がある・・・
その主な犠牲者は、日本人の女性や子供達だったという。
ご主人が「現地召集」で軍に取られたために、奥さんは赤ん坊を抱き、幼い子供の手を引いて北へ北へと逃げてきた。
この川岸で逃げ惑う、そういう女性や子供を米軍の戦車は“面白がって”、追い掛け回し轢き殺したという。
その犠牲者の数は千人を超していたという・・・(唖然)
まさしく「虐殺」である。

しかし、なぜか戦史には大きく取上げらられていない・・・
米軍の第37師団の戦史でも、この件には触れていないそうだ・・・(民間人を虐殺したなら当然か・・・)
まぁ、広島、長崎に原爆を落として多くの民間人を殺しても「虐殺」とは誰も言わないんだから、民間人を千人くらい戦車で轢き殺しても、たいしたことではないということなのだろう。(大汗)

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現在の「アガット川」の河川敷・・・・
“証言”によれば、この川幅は増水のため、100メートルほどだったという・・・
このコンクリート橋の長さは、126.84mと橋の欄干に書いてあった・・・
ということは、この河川敷も、当時は川の中か?
ということは・・・もっと手前のほうが「虐殺現場」だったのかもしれない・・・
「勝てば官軍、負ければ賊軍」であるから・・・当然、慰霊碑なども建立されていない。
慰霊碑があれば、お線香をあげられるのだが・・・
他人の土地に勝手にお線香を立てたら、ちょっとマズイだろう・・・(汗)
残念・・・・

この場所は、拙者の祖父とは全く関係がない場所だが、余り知られていない戦史の一つとして支局長をご案内した。

ここから、今来た国道5号線を戻り、本日宿泊するホテルのある「バヨンボン」という町に向かう。

途中、「ボンハル」という町を通過・・・・

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走る車窓から撮影したので、ちょっとよく撮れなかったが・・・(苦笑)
この「BONFAL」という町(集落?)は、当時の日本語では「ボンハル」と言っているが、正確には「ボンファル」かも?
ここはマニラから北へ北へと逃れてきた在留日本人たちが、いくつかの村(集落?)を作って自給自足の生活をした場所である。
今は日本人は住んでいないと思う・・・
北上する米軍に追われて、村を捨てて北上したはずである。
ということは・・・「ラムット川」で“虐殺”された日本人たちは、ここに住んでいた人たちかも・・・

「ボンハル」から車で20分弱で「バヨンボン」のホテルに到着する。

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このホテルは、昔から、よく日本の慰霊団が宿泊したホテルだそうである。
拙者も16年前、生まれて初めてフィリピンに来た時に一度だけ宿泊した記憶がある。
あの時は、我が戦車第2師団の戦友会の最後の慰霊巡拝旅行ということで、拙者も同行を希望したが、仕事の関係で後から一人で追いかける形となった。
ガイドを雇い、バスに乗ってマニラを午後5時ごろ出発し、このホテルに到着したのは真夜中の1時過ぎだった・・・
夜中の移動は危険だと旅行社から言われていたが、そういうわけにもいかぬ・・・(苦笑)
とにかく、皆に追いつかねばと必死の移動だった・・・
あの「冒険旅行」が良かったのかもしれない・・・
もし、最初の滞在地がマニラの繁華街だったら、今のような人間にはなっていなかっただろう。(大笑)
生まれて初めての滞在地が北部ルソンの田舎の町である。(苦笑)
それが良かったんだろうねぇ~・・・・田舎に行く事に全く抵抗がないし、どちらかと言えば好きになったのだから・・・

真夜中の真っ暗闇の町の中をホテルを探して移動した時は、果たして辿り着けるのかと心細かったが・・・
なんとか辿り着き、慰霊団に参加していた伯父の部屋に転がり込んだが、翌朝5時には出発ということで・・・・(大汗)
結局、ホテルのことは、よく覚えていない・・・(大笑)

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というわけで・・・・ホテルの前の道の様子も全く記憶にない・・・(大笑)

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部屋も16年前から比べると、リニューアルされたのか、随分、拙者の記憶と比べると良くなっているような気がする。
変わっていないのは・・・・シャワーの装置かな?
新しいタイプだが・・・基本的には昔のままである。(笑)

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この機械のタイマーみたいなダイヤルを回すと、機械の中の電熱ヒーターが温まり・・・
そこを通過する水がお湯になって出てくるようである。(実はよくわかっていない・・・)(笑)
で・・・このダイヤルが元の位置に戻るまでに手早く体を洗わねば、電熱ヒーターが切れて水になってしまう・・・
(・・・と、拙者は思って急いで体を洗った・・・)(苦笑)
不思議なことに、温度を調節するようなものはどこにも見当たらない・・・(苦笑)
いずれにせよ、たいしたことのないヒーターだから、熱湯になるほどは温まらないのだろう。(・・・と、勝手に思っている)
ぬるめのお湯が出てくるだけ・・・である。
何やら英文で説明書きがされているのだが(多分、使用方法だと思うが・・・)・・・高い位置に取り付けられているので、文字が読めない!(大汗)
これでは、意味がないと思うが・・・
16年前にやった使い方で、今回もとりあえず、シャワーを無事に浴びる・・・(大笑)

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夕食は町の中の洒落たレストランで食べる・・・

今日は、山登りもしたし・・・(大笑)
栄養補給をして・・・・(笑)
しかし、さすがに疲れた・・・ホテルに戻り爆睡である。
歳を取っちゃったなぁ~(大笑)
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旅行 | 23:13:59 | Comments(0)
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