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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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「池の台」のM4戦車
夜が開け切らない午前5時前には、もう目が覚めてしまった。(大笑)
何度も寝直すが、すぐに目が覚めてしまう・・・(大笑)
もう、嬉しくて仕方が無いのである!(大笑)
そのうち、鶏が鳴き始め、ようやく外が明るくなった・・・

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これはカメラのレンズが曇っている訳ではない・・・
霧がかかっているのである。(笑)
数メートル先は真っ白で何も見えない・・・
これは毎度のこと・・・
この時期は、ちょうど祖父たちが戦っていた時期と同じ時期である。
昭和20年・・・戦時中も同じように霧が深かったのだろうか?
以前、生還者に確認したことがあるが、当時も朝は霧が深かったという。
う~ん・・・・まさしく「追体験」である。
この早朝の霧の中、日本軍は移動をしたり、伝令を走らせたりしたのだろう。

朝もまた寒い・・・・
Tシャツ1枚の運転手君・・・やっぱり昨晩は寒くて寝られなかったという。(大笑)
「だから言ったでしょ?・・・寒いって・・・」
「フィリピンに、こんな寒いところがあるなんて信じられない」と言う。(大笑)
ルソン北部の山岳地帯をナメてもらっては困る・・・(大笑)
「日が昇れば暖かくなるから、それまで我慢して!」と慰める。(笑)

“オマリオ氏”は、我々が山に登っている間に「バギオ」に帰るという。
そういえば、いまだかつて一度も二人で写真を撮ったことがないので、記念写真を“デグチ支局長”に撮ってもらう。

ここに来る前に道路がかなり拡幅され便利になるようなので、この村の地価も上がり、村も活気が出るのではないか?土地を買うなら今のうちかも・・・という話を“ステラさん”に話したのだが・・・
そのことを“ステラさん”が“オマリオ氏”に話したところ、彼が大いに乗る気になってしまった・・・(大汗)
「ちょうど慰霊碑の丘の下あたりに適当な土地があるから、それを買って家を建てたらどうか?」と言う。(唖然)
へ?・・・拙者は、ここに移住するなんて言ってないんですけど・・・(汗)
「俺が何とか手を打ってやるから・・・家を建ててここに住んだらいい」と言う。
「で・・・ぼくがここに住みついて、慰霊碑の管理をするのか?」と言ったら、ニヤリと笑う・・・(汗)
おい、おい、・・・それ、マジで言ってるの?
「でも、外国人は土地を買うことは出来ないから無理ですね」と言ったら・・・
「大丈夫!書類は全部俺が揃えるし、俺がサインすれば買えるから安心しろ」と言う。(唖然)
う~ん・・・まだ、本気で自分の人生設計を考えていないんですけど・・・(笑)
晩年は、ここに住んで・・・慰霊碑を守って・・・・ここに骨を埋めることになるのか?
それも悪くはないが・・・(笑)
ちょっと、まだ気が早いような気がしますが・・・(汗)

前回来た時に、彼が透析を受けている話を聞いたので、「御見舞い」として奥さんに多少の額を手渡したことがある。
人工透析は、結構カネがかかると話では聞いていたので、今回も「御見舞い」と称して、治療代に使ってくれるよう、多少の額をお渡しした。
それで、なんとかお礼をせねばと思っているのだろうか?
「俺が手を貸すから、ここの土地を買って家を建てて住め」としきりに勧めるのである・・・(大汗)
いやはや・・・参った・・・(苦笑)

朝食を済ませ、家の外にあるテーブルで食後のコーヒーを飲みながら、しばしおしゃべり・・・
今回のガイド役のおじいさんと高校生の青年がやってきた・・・
この二人に先導してもらい、拙者と“デグチ支局長”の2人で「サラクサク峠」の戦跡を見に行く。
“ステラさん”とドライバー君にはお留守番・・・(大笑)

午前8時過ぎ、“オマリオさん”の家を出発!
最初に向かうのは、日本軍が「池の台」と呼んでいた場所・・・
ここに米軍のM4シャーマン戦車の残骸が今でも残っているのである。

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午前8時を過ぎた頃から霧が流され晴れてくる・・・
これまた、いつものこと・・・
山の斜面に道が見える。
ここを歩いて行くのだが、この道は多分、祖父たちが米軍を引き付けながらジワジワと後退してきた道だと思う。

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この道は、祖父たちが歩いた頃は、もっと狭い道だったのではあるまいか?
その後、後ろから追いかけてきた米軍はブルドーザーを導入して、道幅を拡幅し、トラックや戦車が通れるようにした。
その当時は急げ、急げの戦闘中であるから急造の道路だったに違いない。
そして戦後の何十年もの間に崖崩れや路肩が崩れ、今の道幅が残ったものと思われる。

ちょうど、この写真を撮影した辺り・・・
拙者が初めてここに来た時は、ここは崖が崩れていて道が消滅していた場所である。
ここは谷底に向かっての真っ直ぐな斜面になっていて、ここを通るときには山肌にへばりつくようにして渡った・・・
それでなくとも高所恐怖症なのである!(大汗)
足を滑らせれば、真っ逆さまに谷底に滑り落ちていく・・・・
下を見ちゃったのがいけなかった・・・(大笑)
腰が抜けたと言うか、足が凍りついたと言うか・・・(苦笑)
なかなか次の一歩が出せなくて、この場所を通り抜けるのに苦労したことを覚えている。
本当に、あの時は怖かった・・・(涙)
その後、再び道を造ったのだろう。
今では、あの崖崩れの痕跡は残っていない・・・
今回は楽に通り抜けることができた・・・(大笑)

出発してから1時間弱で「池の台」に到着・・・・

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戦車の残骸は今も残っていた・・・
その戦車の前に土手があるが、その土手の脇に人工的に造られたと思われる窪みがあるのを“デグチ支局長”が発見した。
「これは何ですかね?」
拙者が以前、来たときには、こういうものは見なかった・・・
というのも・・・この辺りには草木が茂っていて、土手があることすら知らなかったのである。

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写真の向こう側・・・つまり、土手の向こう側に日本軍の陣地がある「サラクサク峠」がある。
土手のこっち側が米軍の陣地で、横穴の痕跡は、こちら側にある。
日本軍の攻撃から身を守るための退避壕の跡か、それとも弾薬等を集積した壕の跡か?
可能性としては後者のほうだろう。
あくまでも拙者の推測であるが・・・(笑)
弾薬などをそのまま野積みしていたのでは、日本軍の攻撃を受けたときに簡単に誘爆してしまうだろう。
土手の横穴壕に入れておけば、その心配はなくなるはずである。

ここには米軍のM4戦車が1両だけ残されているが、当時は、何両かが横一線に並んで日本軍陣地に対して砲撃をしていたと思われる。
土手の横穴跡が等間隔にあるところを見ると・・・そういう気がする・・・

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この戦車・・・
いつの間にか砲塔の部分が緑色に塗られていた!(唖然)
村のガキどもらの仕業だな・・・
以前に来た時は、当時のままだったのだが・・・
わざわざ緑色のペンキをここまで持ってきて塗ったのか?(唖然)
まったく、とんでもねぇことをしてくれたものだ・・・

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後ろから見た戦車・・・
戦車第10連隊の佐藤(旧姓・高田)中隊長の話によると、この戦車を破壊するために1週間も近くの草むらに隠れて、攻撃のタイミングをみていたという。
ようやく隙を見つけ、戦車の左後方から走ってきて、この戦車に飛び乗り手榴弾をぶち込んだという。
ここで、ジッとこの戦車を見ていると、そのときの様子が目に浮かぶのである。(笑)
最初にここに来た時に、佐藤中隊長が、どのあたりに隠れていたのか、どうやってこの戦車に飛び乗ったのかと、戦車の周囲をウロつき、自分ででも試しに「戦車攻撃」をやってみたり、歩数を測ったりしてみた・・・
次に来た時には、なんとこの戦車の周囲にいくつもの穴が掘られていた。
ガイド役をした村の青年に尋ねたら、前回、拙者がこの戦車の周囲をウロウロしていたので、たぶん「山下財宝」(山下将軍がフィリピンに持ち込んだという金銀財宝)が、この辺りに埋められているに違いないということで、村の若い連中が「宝探し」をしたそうだ・・・(唖然)
ここは米軍の陣地である・・・・日本軍が財宝なんて隠せるわけがないだろうに・・・(苦笑)
戦車の周囲をうろつく拙者の挙動がかなり怪しかったんだろうねぇ~(大笑)
距離を歩数で測ってみたりしていたから・・・(苦笑)
日本人が、歩数を測ったりしているんだから、きっと財宝を埋めた場所を探していたに違いないということになったらしい。(大笑)
今は、その穴も崩れたのか埋めたのか・・・残っていない・・・(笑)

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戦車の後ろにある台地・・・
日本軍が「池の台」と名付けたこの場所・・・池はどこにも見当たらない・・・(苦笑)
池が無いのに「池の台」と名付けたのか?
何でだろう?
それとも、当時は池があったのか?
「池の台」の名前の由来は不明・・・
生還者がもう一人もいない今となっては、永遠の謎か・・・(汗)

それにしても、この戦車・・・どこからやって来たのだろう?
唯一の道は、先ほど我々が歩いた、あの狭い道しかないのである。
あそこを通ってきたんだろうなぁ~(大笑)
この「池の台」は、今では孤立した一つの丘となっている・・・
山道からこの台地に入る道は消滅していて、我々も大きく迂回して日本軍陣地方向からこの台地にたどり着いた。
戦後70年の間に何度も崖崩れや土砂の流出があって台地に繋がる道は消えてしまったようである。

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今回、新たな発見をした!
この写真では、ちょっと見づらいが・・・
「池の台」の端から下を見た写真である。
この写真の右側に狭い小路が1本通っている・・・・
「池の台」の外周部をグルリと回りこむ道である・・・
これは、まさしく祖父が歩いた道!(大喜)
生存者80名を引き連れて、祖父は、この道を歩いてきたのである!
この「池の台」の外周部の小路を通り、「サラクサク第2峠」に向かって後退していったのである。
どんな事を考え、どんな景色を見ながら、ここを歩いたのだろう・・・
あそこまで降りて、あの道を歩いてみたい衝動にかられたが・・・時間が無い・・・(大涙)
う~ん・・・残念だ・・・・
次回、一人でもう一度来るしかないな・・・

時刻は9時半・・・・そろそろ「サラクサク第2峠」に向かわねばならない・・・
「池の台」から一度降りて、そのまま進むと「サラクサク第2峠」の日本軍名「アキ陣地」のある山の裾野にたどり着くのだが・・・
以前は、問題なく歩けたが、今回、そこへ向かう道は密林に囲まれていた!(汗)
あれ?・・・・いつの間にこんなに木が育ったんだ?
誰かが植えたんじゃあるまいな?・・・・と思うくらいの森林と化していた・・・(唖然)
わずかに歩幅程度の細い道(多分当時の道)は残っているようだが、ガイド役のおじいさんは、この道を通るのを拒否・・・(大笑)
密林の中では先の見通しもきかず、万が一のことがあってはマズイと思ったのだろう。
先ほど通った道をそのまま引き返すことになる。
この最短コースを取れば、時間的には半分以下で陣地に到着するのだが・・・
やむを得ない・・・
現地の人に従うのが、こういう時は賢明である。
拙者に万が一のことが起こっても構わないが・・・(大笑)・・・・“デグチ支局長”にケガでもされたら困る・・・

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帰り道の途中で見た景色・・・・
写真の一番奥の山は、形から言って、日本軍名「ゲリ山」ではないかという気がするが、確証は無い・・・(汗)
「ゲリ山」も日本軍の陣地が置かれていた。
その手前の山の裾野の台地部分・・・・禿山となっているが・・・
たぶんここも日本軍の陣地跡だろう。
というのは・・・米軍は砲撃と空からの爆撃で徹底的に日本軍の陣地を攻撃し森を焼き払った。
おかげで、そういう場所は、今でも木が育っていない・・・
だから、周囲が密林なのに、一部が禿ているような場所は、日本軍の陣地跡の可能性が高いということになるのである。

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ここに来る時に見た景色・・・・帰り道に振り返って見る・・・
もう完全に霧は晴れた・・・・これから暑くなるぞ・・・(笑)
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旅行 | 10:22:24 | Comments(0)
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