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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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「サンニコラス」へ行く
いつも日本では親父と早朝に散歩をしている・・・
そのせいか、フィリピンに来ても早起きしてしまった!(笑)
午前5時過ぎには目が覚めた・・・(大笑)

で・・・部屋から見た外の景色・・・
う~ん・・・・面白くない景色である。(大笑)

024_convert_20150720220213.jpg

朝食は午前6時半からだというので、オープンと同時にレストランへ・・・

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レストランから見た景色・・・
う~ん・・・こういう景色・・・嫌いではない・・・(笑)

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午前8時、“ステラさん”、“デグチ”支局長が迎えにきてくれて、共同通信の車で、イザ出発!
パンガシナン州の「サンニコラス」に向かう・・・

029_convert_20150721142138.jpg (ホテルの前の様子)

マニラを出発して北上すること約3時間後・・・
「サンニコラス」に到着した。
ここには戦時中の昭和20年2月頃に祖父の部隊の本部が置かれていた場所である。
たぶん、町役場がある中央公園あたりに本部があったのではないかと思うが、正確な場所は拙者は知らない。(涙)
昭和20年1月、「アイ・シャル・リターン」を合言葉にマッカーサーが率いる米軍がルソン島西部の海岸に上陸した。
本格的な米軍の反攻である。
米軍はいくつかのルートに分かれて進撃・・・
そのひとつが西海岸から真っ直ぐルソン島を横断するルートで進撃してきた米第32歩兵師団である。
祖父の連隊は、マニラから北上する避難ルートを米軍に寸断されないために、ここで米軍の進撃を食い止める任務を与えられたのである。

「サンニコラス」の中央公園の片隅に米軍の記念碑があったはずだが・・・と探してみたら・・・
あら・・・なんとドカンと鎮座ましましていた・・・(唖然)

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(碑文)
ERECTED BY THE OFFICERS AND MEN OF THE 32d INFANTRY DIVISION
UNITED STATES OF ARMY IN MEMORY OF THEIR GALLANT COMRADES
WHO WERE KILLED ALONG THE VILLA VERDE TRAIL
JANUARY 30, 1945 - MAY 28, 1945

以前に訪問した時は、草むらの中に朽ち果てていたような記念碑だったが、いつの間にか新しく作り直されて、周辺も綺麗に整備されていたのには驚いた。
米第32歩兵師団の“戦友会”がやったのかな?
この記念碑であるが、形は「赤い矢」を模している。
これは米第32歩兵師団が別名(ニックネーム?)「レッド・アロー(赤い矢)」なので、その師団のマークをデザインしたものである。
碑文に書かれている「VILLA VERDE TRAIL」は日本語では「ビリヤ・ベルデ道」と言っているが、日本軍は「サラクサク道」と呼んだ場所のことで、我が祖父の連隊と、祖父を応援に駆けつけた戦車第2師団の戦場となった地域のことを指す。
米軍は1945年1月28日から1945年5月28日まで、ここで戦闘したとしている。

この米軍の記念碑の道を挟んだ反対側に高校がある。
その名も「レッド・アロー高校」!!(驚)
米軍の師団名から名付けられたということは、“戦友会”が寄付でもして作った高校なのだろうか?
う~ん・・・ちょっと悔しいなぁ・・・(苦笑)

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(レッド・アロー高校)

041_convert_20150722222242.jpg (町役場の前の道)

この道を写真の手前から向うに向かって車で10分ほど走ると「カバリシアン川」にぶつかる。
この「サンニコラス」には祖父の捜索第10連隊の連隊本部が置かれ、他の分派された小部隊も駐屯していた。
ルソン島に上陸した米軍に対し、戦車第7連隊などが反撃をしたが、第14方面軍のお粗末な作戦のおかげで壊滅・・・
これは方面軍参謀達の稚拙な作戦のせいである。
だから、拙者はテストの成績が良いというだけで「エリート」と呼ばれる連中が好きではない。
そういう連中に限って、「まともな」ことが出来ない。
日本が戦争に負けたのは、彼ら参謀達の出来の悪さのせいだとすら思っている。
米軍に返り討ちに遭い、辛うじて生き残った敗残兵は、ここ「サンニコラス」まで撤退して収容され、さらに後方へ送られた。
同時に、ここへ米軍が進撃してくるのは明白となり、各部隊は一斉に退却・・・
ここに連隊本部を設置していた祖父も、「カバリシアン川」の対岸に構築していた“抵抗陣地”の線まで移動したのである。

次に「カバリシアン川」の“抵抗陣地”に向かう・・・・
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旅行 | 10:28:30 | Comments(0)
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