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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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石井君紀功碑
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石井君紀功碑

明治34年(1901)建立。
石井虎治郎は千葉県の生まれ内務省の技手。
明治18年8月最上川と酒田港の改修工事が開始されると同時に来酒して工事の監督にあたった。
工事は粗木打杭をもって水勢を導き泥砂をさらい、河口の交通をよくするもので同25年に完成。
その後洪水の被害がなくなったといわれる。
大正5年61歳酒田で没す。
撰文は依田百川、書は巌谷一六である。

(説明板より)


石井虎治郎

虎治郎は安政3年(1856)7月、千葉県松戸に生まれた。
松戸は江戸川氾濫による水害地で幼児からその苦労をあじわった。
青年時代、政府の江戸川治水工事に従事し河川改良のため政府が招いたオランダ人ファン・ドールンから河川改修の知識や技術を学んだ。
その後、内務省に入り宮城県の石巻湾野蒜港建設にたずさわる。
明治12年7月、最上川は大洪水となり、その被害は甚しく、山形県では政府に最上川治水工事を陳情した。
17年、政府はこの実施をきめ、翌18年8月、内務省御用掛(のち技手)虎治郎を派遣した。
彼は生誕地・古ヶ崎地方で行われていた、突堤をきずきあるいは粗朶(伐り取った樹の枝)を用いて防水し、水勢を押さえ、もしくは誘水転流させる方法に、ファン・ドールンから教わった西洋工法、それに自分の独創を加えて最上川の低水高水工事に力を注いだ。
工事の目的は最上川から洪水をなくすることと酒田港に大型汽船の出入を可能とすることであった。
彼はこまかな計画を立て、先頭に立って事業を指導監督した。
彼は照っても降っても吹雪でも毎日、最上川の水を測り、あるときなど濁流に落ちて大さわぎになった。
16年後の明治34年、さすがの難工事も一応完工し最上川はおだやかとなり、近代港湾としての酒田港の基礎が固まった。
明治38年には山形県工手として最上川及び赤川の治水工事を指導したが、彼の手になると推定される最上川赤川実測平面図(建設省酒田工事事務所蔵)は、現在の技術から見ても立派なものだという。
虎治郎は最上川・赤川治水並びに酒田築港の一大功労者であり、これに感じた市民はここに紀功碑をたてるとともに龍厳寺の墓に墓碑銘をきざみ、その功績にむくいた。
また本間家は彼に家屋敷を与えて酒田に永住させた。
大正5年10月27日、61歳で没する。

田村寛三 撰文

(説明板より)



【山形県酒田市・日和山公園】
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史跡 | 11:43:35 | Comments(0)
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