■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
日和山公園に行く!
ホテルをチェックアウトし、荷物はホテルに預かってもらって・・・(笑)
今日は、この酒田に来た本来の目的地である「日和山公園」にタクシーで向かう。(大喜)

この「日和山(ひよりやま)公園」にある河村瑞賢の銅像の写真を以前から撮りたいと思っていたのである!
ようやく夢が叶いそうである!(大喜)

431_convert_20150315100846.jpg 435_convert_20150315101037.jpg

で・・・最初に出会ったのが・・・松尾芭蕉の銅像!(大笑)
あら・・・松尾芭蕉の銅像もあったの?(大笑)

この公園の碑文によると、この日和山公園は「日本の都市公園100選」に選ばれているのだそうである。


日本の都市公園100選
日和山公園

この公園は遠く芭蕉来遊以来最上川と日本海を望む港の日和を眺めたところで 永く人びとに親しまれ公園として名勝地に指定されてきた
1983年 市制50周年に当り更に改造し文学の散歩道をつくり整備してきた
1989年 わが国を代表する都市公園として緑の文明学会と社団法人日本公園緑地協会が全国から公募して「日本の都市公園100選」の一つに選定された
この公園が永遠に愛され親しまれ誇りとなり後世に引き継がれることを念願する

1989年7月28日
酒田市長 相馬大作

(碑文より)



へぇ~である。
日本には、かなりの公園が存在していると思いますが・・・
その中から100の公園を選んだわけで・・・(なんで120とか200でないのかは知りませんが・・・)
そのうちの一つに選ばれたそうな。
で・・・山形県で選ばれたのは2ヵ所・・・その1箇所がこの公園なのである。
ちなみに・・・我が茨城県の場合は、水戸市の偕楽園1箇所だけ・・・
茨城県には、他に公園がないわけではありませぬが・・・(大汗)
たった1箇所だけかよ!!(怒)
面白くないのは、神奈川県では6箇所も選ばれているのである!(怒)
あ~面白くねぇ~なぁ~(大笑)

462_convert_20150315110659.jpg

他に荒木彦助という人の胸像もあった。


荒木彦助胸像

米穀商荒木彦助は嘉永5年(1852)生まれ。
町会議員、商業会議所会頭をつとめ、築港、河川改修に尽力し大正7年67歳で没す。
昭和8年有志が建立し戦後再建した。

(説明板より)



ようやく念願の河村瑞賢さんを発見!(大喜)
で・・・銅像の所に向かったら・・・

473_convert_20150315133250.jpg 478_convert_20150315133953.jpg

なんと!・・・逆光である!!(大汗)
デジカメのモニター画面で見ると、真黒で何が映っているやらわからない・・・
過去の経験からいうと、こういう状態でも、パソコンに取り込んでパソコンの画面で見ると、なんとか見えるものだが・・・
それでも、やっぱり画像はよろしくない・・・
このカメラ・・・逆光の時には、どうすればいいのだろう?(汗)
プロのカメラマンなら、上手に設定して撮影するんでしょうが・・・
拙者には、そういう能力はない・・・(笑)
誰かプロのカメラマンに教えてもらおうなんていう「向学心」もない・・・(苦笑)
2歩、右に行って・・・1歩前に出て・・・ダメなら4歩下がって・・・(笑)
なんとか、逆光の影響を受けない撮影ポイントを探す。(大笑)
誰かに見られたら、銅像の前で何をやっているのかと怪しまれる行動・・・(大笑)
不審者丸出し状態である。(涙)
時刻は午前9時50分・・・
なんたることか・・・この時間で逆光とは・・・
銅像の向きというのには「決まり」がないようである。
河村瑞賢さんは・・・海のほうを向いて建てたのだろうねぇ~
少なくとも、もう少し南に向いて建ててくれていたら、それほどの影響はなかったと思うんだけど・・・(笑)
午後、夕方近くになれば、ちょうどいいのかもしれないが・・・
マイッタァ~(大涙)

488_convert_20150315135142.jpg

なんだかんだと苦労をし・・・太陽が雲に隠れる瞬間を待って・・・ようやく撮影に成功!(喜)
よっしゃ!目的完遂!!(大喜)

今後は、銅像は必ず南向きに建てること・・・という法律でも作ってくれないかなぁ~(大笑)

公園の端に行ってみたが・・・
なんとも面白くない景色である・・・
全然、見晴らしは良くないし・・・・(唖然)
なに・・・これ・・・である。

498_convert_20150315140949.jpg 497_convert_20150315140850.jpg

この公園には、やたらと文学碑が建っている・・・(笑)
全部とはいかないが・・・(笑)
ほとんどの文学碑を見て回る。(大笑)

499_convert_20150315141640.jpg

「案内板」によれば、この公園の反対側の地域も含め30基の「文学碑」が建っている。

①松尾芭蕉 ②幸田露伴 ③秋沢猛 ④与謝蕪村 ⑤斉藤茂吉 ⑥野口雨情 ⑦若山牧水 ⑧鹿児島寿蔵 ⑨常世田長翠 ⑩東宮殿下 ⑪松尾芭蕉 ⑫松尾芭蕉 ⑬松尾芭蕉 ⑭井上靖 ⑮高山彦九郎 ⑯正岡子規 ⑰伊東不玉 ⑱正岡子規 ⑲斉藤茂吉 ⑳吉田松陰 21竹下夢二 22小倉金之助 23伊藤吉之助 24結城哀草果 25時雨音羽 26伊佐湖南 27佐藤十弥 28田山花袋 29宝夏静 30読み人知らず



文学の散歩道案内板

酒田市には今から1100年前の平安時代・出羽の国府がおかれ現在の山形秋田両県の政治、経済、文化の中心であったと推定される。
室町時代、すでに酒田港には三十六人衆と称する豪商たちが海船を諸国に走らせ、早くから京都文化を受け入れていた。
とくに寛文12年(1672)河村瑞賢が幕命により、西廻り航路を開発してから日本海有数の港として繁栄した。
日本海に沈む太陽、秀峰鳥海山、日本三大急流の最上川、景勝を誇る酒田には、芭蕉をはじめ多くの文人墨客が足をとどめ、すぐれた文芸作品を残している。
酒田市では市制50周年記念事業の一つとして、日和山公園を整備するに当り、来遊文人の文学碑を建立し、「文学の散歩道」をつくり、往時をしのび後世に伝えようとするものである。

昭和59年10月
酒田市

(案内板より)



504_convert_20150315162817.jpg(幸田露伴の文学碑)

公園内には復元されたと思われる「千石船」が展示されていたが・・・
池の水は殆どないし・・・船体も、荒れているような雰囲気なんですけど・・・
大丈夫?酒田市役所さん・・・(笑)
100選に選ばれた公園なんですよね?(悔し紛れに・・・イヤミを少々・・・)(笑)

492_convert_20150315163329.jpg(千石船)

514_convert_20150315163801.jpg

公園内をブラブラ散策・・・・
この公園に到着して、もう30分以上も歩き続けているのである。(大笑)
まぁ、いい運動である。(大笑)

この公園に沿った坂道・・・・
「芭蕉坂」と名付けられているそうだ。

515_convert_20150315163936.jpg

標柱の説明文によると・・・


芭蕉坂

昔、鶴岡・酒田間は赤川を走る日通し船で主に往来していた。
旅人は御米置場付近から上陸するとこの坂を歩き、鶴岡街道とよばれる出町・六間小路を通って町に出た。
古い石段はそれを物語る。
俳聖芭蕉も曽良とともにこの坂を歩いて伊東不玉宅を訪れたのであろう。

昭和63年2月
酒田市

(標柱の説明文より)



この「芭蕉坂」を登りきったところに、神社の入口が・・・

519_convert_20150315173304.jpg

標柱によれば、この辺りは昔、「出町(でまち)」と呼ばれた場所らしい・・・


旧出町

明暦図や天和3年(1683)巡見使覚書には漁師町(りょうしまち)と出ている。
元禄以降船場町が栄えると共にできたものであろう。
ここから秋田町に至る通りを鶴岡街道といい、鶴岡から赤川を下ってくる旅人で賑わった。
芭蕉翁もここを通ったものと思われる。

昭和61年3月 (平成7年3月修補)
酒田市

(標柱の説明文より)



521_convert_20150315191720.jpg

現在は、イマアイチ、パッとしない、この通りは、その昔は賑わっていたんだろうねぇ~

525_convert_20150315192007.jpg

神社に向かう石段・・・・
この石段の石は、綿積石(わたつみいし)というらしい。
調べてみたら・・・この綿積石というのは綿を積んで航海する船が、船の安定性のため船底に積む石のことをいうらしい。
そういうわけで、この綿積石は「海神石(わたつみいし)」とも書くらしい。
ということは・・・
船底に積む石で、この石段を造ったということか?
この石の本当の名前は「笏谷石(しゃくだにいし)」という火山の噴火で発生した火砕流などに含まれる火山岩や灰が堆積して凝縮されて出来た石らしい。
石段の直ぐ脇に「酒田スワンロータリークラブ」が設置した「酒田湊繁栄の証」という名の看板が設置されていたが・・・
「綿積石(笏谷石)の石段」との表記しかされていない。
“ふりがな”が欲しいし、どういう石なのかの説明も欲しかった。
ちょっと単純すぎる説明板なのが残念である。
どうせなら、もう少し詳しい説明が欲しいなぁ~(苦笑)
この石段が築造されたのは1833年とのこと・・・
日本の元号でいうと・・・天保3年から4年ごろになるかな?
2013年9月20日に修復されたのだそうだ・・・・

526_convert_20150315194455.jpg

石段を登ってたところにある神社は・・・「皇大神宮(こうたいじんぐう)」・・・・
う~ん・・・名前の割には小さな神社である・・・(汗)

531_convert_20150315195449.jpg

再び日和山公園に戻る・・・・
公園の一角に白い灯台が・・・
「酒田の灯台」もしくは「六角灯台」と呼ばれる木造の灯台である。



日和山六角灯台

明治28年(1895)対岸の宮浦最上川河口に置かれたがその後北岸の大浜に移され、さらに近代灯台の完成によって移築保存された。
明治の木造建築では日本最古の灯台の一つである。
(山形県指定文化財)

(説明文より)



ここに灯台があったわけではなく、移築されたものらしい・・・・
それにしても、明治時代の木造の灯台ねぇ~
へぇ~すごいもんだ・・・
スポンサーサイト


旅行 | 09:58:50 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。