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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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松山城跡へ行く
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「松山町歴史公園」・・・・ここが松山城の跡らしい・・・(汗)
あれ?
ハッキリ言って・・・・期待はずれ・・・(大笑)
石垣も何もないしなぁ~
ここにお城があったの?(苦笑)

423_convert_20150307215534.jpg(松山城本丸御殿跡)

この松の木があるあたりが「本丸御殿」跡なのか?
う~ん・・・全然、ピンとこないんですけど・・・(苦笑)
標柱の説明文は・・・



松山城本丸御殿跡

松山藩の藩主が居住した場所と政庁があった場所です。
松山城は、松山藩3代藩主酒井忠休(ただよし)が26年間、幕府の要職を勤めた功績により、安永8年(1779)に築城が許されました。
また、大手門には「鯱(しゃち)」を上げることが許されました。
築城は、天明元年(1781)、本丸・二の丸の総面積が約3万8千坪の広大な計画で着工し、7年の歳月をかけて進められましたが、ついに未完成のまま築城を終えました。

(標柱の説明文より)




かなり大きなお城を造るつもりだったらしいが・・・未完成のまま?
あらら・・・計画倒れ?(大笑)

416_convert_20150307221411.jpg 415_convert_20150307221630.jpg

どこから見ても、ただの公園だな・・・・(汗)

日本庭園のような中に大手門があった!
おお!・・・こりゃ、すごい・・・

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この大手門の目の前に、「馬出(うまだし)跡土塁」が残っている。
う~ん・・・土塁と言われれば土塁かも・・・という土塁であるが・・・(大汗)
この「馬出」の場所に、いくつか石碑があった!(喜)

401_convert_20150307222909.jpg(馬出の土塁跡)

394_convert_20150307223140.jpg(川俣茂七郎碑)



川俣茂七郎碑

川俣茂七郎
天保10年(1839)~元治元年(1864)
松山藩主の侍医川俣玄璞(げんぼく)の三男として江戸に生れ、早くから尊皇攘夷の思想を抱き、文久3年25歳の時、江戸藩邸を脱して、上州赤城山麓で挙兵を企図したが失敗し、江戸長州藩邸に匿われた。
これより水戸勤王派と通じ、元治元年筑波山に挙兵し幕府軍と戦う。
その後水戸藩の志士らと分かれて再び幕府軍と戦ったが敗北、同志は四散し、茂七郎は、志半ばにして、茨城郡大橋村羽衣(現在の茨城県笠間市)で自刃した。
享年26歳。
大正4年11月従五位を贈られ同9年靖国神社に合祀された。
大正13年勤王家川俣茂七郎功績顕彰会が結成され、同15年彼の勤王愛国の精神を顕彰するため砂山公園に顕彰碑が建立され、平成2年歴史公園整備事業により当地に移転した。
川俣茂七郎の所持の槍には時世の句が刻まれてあった。

みちのくの木の間かくれの山桜
     ちりてぞ人や夫と知るらん

(説明板より)



いやぁ~!ここで我が茨城県と縁のある方の顕彰碑に出会うとはねぇ~(大喜)
これだから、石碑を見るのは楽しいんだよねぇ~(笑)
笠間市で自刃されたのですかぁ~
笠間市には何か、この方に関する史跡でも残っていないかなぁ~
「自刃の地」の碑とか説明板とか・・・
ん?“シミズくん”なら知ってるかな?・・・水戸藩士だし・・・(大笑)
それにしても、素朴な疑問なんですけど・・・・
三男なのに、なんで「茂七郎」なんだろう?(大笑)
「茂三郎」ならわかるんだけど・・・(汗)

391_convert_20150307230149.jpg(愛山頌徳碑)



愛山頌徳碑

斉藤元経(げんけい)(愛山)
嘉永5年(1848)~大正15年(1926)
素封家
松山の豪商斉藤弥右衛門の子として生まれ、明治22年市町村制度の施行により松嶺町の町会議員として当選する。
明治24年から明治28年まで飽海郡会の大地主議員に選出された。
さらに明治32年から同34年迄松嶺町第六代の助役として町政進展に活躍した。
また、町内子弟の教育に意を用い、義務教育施設の整備に対し貢献する所大きく、地域産業の振興にも寄与し、乾田馬耕(かんでんばこう)の奨励を始め農業の振興にも尽力した。
風雅を好み俳諧をよくした。
大正11年8月、彼を慕う人たちにより、愛山頌徳碑が建立され、平成2年歴史公園整備事業により砂山公園から当地に移転した。

(説明板より)



この人は、地元で大活躍をした方のようである。
生前に「頌徳碑」を建ててもらうなんてねぇ~
豪商の息子に生まれて・・・かぁ~
拙者も「豪商の息子」に生まれたかったなぁ~(大笑)
それにしても、全国各地を歩き、いろんな石碑を見ているが・・・
なんとなく大正時代に建てられた「顕彰碑」や「頌徳碑」って多いような気がするんですけど・・・
「大正時代」は短かった割には、多いような気がするんだよねぇ~
何でだろう?
景気が良くて、石碑の建立にみんながカネを出しやすかったのか?(笑)
それとも、この時代は、そういう偉い人を顕彰しようというのが流行ったのか?(笑)
大正時代に碑を建てるのだから、そういう人たちは江戸時代末期か明治生まれの人たちか?
となると、その時代の人の気概なのだろうか?
今は、そういうのは少ないような気がするなぁ~
平成なんて、皆無に近いかも・・・(大汗)
人間の質の問題かね?(苦笑)

少し離れた所にも、ちょっと小さな石碑が・・・・

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この碑は「震災記念碑」・・・・
碑文は漢文でかなり薄れて読みづらいが、どうやら明治27年10月22日に、庄内で起こった大地震のことが刻まれているようである。
焼失家屋数などの被害状況などが見られる・・・・
こういう石碑は貴重だよなぁ~
常に多くの人に見てもらい、災害に対する気持ちを新たにするには、もってこいだと思うんですけど・・・
さて・・・現在はどうだろうか?
「東日本大震災」などは、テレビで、「語り継ぐ」と称して今でも相変わらず番組が流れていますが・・・
50年、100年先まで・・・と考えたら、やっぱり石碑に刻むのがいいんじゃないか?
ちょっと残念なのは、この碑の「説明板」が設置されていない点である。
是非、読み下し文の説明板を設置してもらいたいものである。

417_convert_20150308105701.jpg

この公園の敷地内に「松山文化伝承館」というのがあった。
というわけで・・・ちょっと館内を見学・・・
松山藩に関して少々・・・郷土の偉人についてが少々・・・(笑)
地元出身の画家の絵の展示が、かなり・・・(大笑)
あっという間に見終わってしまう程度の展示だが、まぁまぁの内容だった。
松山藩に関する詳しい資料などの販売がなかったのが残念・・・(涙)

で・・・なんと!
約1時間も、タクシーの運転手さんを、ほったらかしにして見学していた!(大笑)
時刻は午後2時半・・・・
今日のところは、このくらいにして・・・(笑)
市内に戻って駅前のホテルにチェックインすることにする。

428_convert_20150308114252.jpg 427_convert_20150308114144.jpg

帰り道に見た景色・・・
道路わきの柵のようなものは、どうやら吹雪き除けの柵らしい・・・(唖然)
正式には何ていうの?・・・「防雪柵」かな?(笑)
雪の多いところは、こういうものを設置するんですねぇ~
拙者の所のように、年に1回から2回、雪が降るかどうかという場所では、決して見かけない風景である。
こういう「その土地ならではの景色」を見るのって楽しいものである。(喜)
が・・・いやぁ~大変だろうなぁ~・・・こういうところに住んでいる人は・・・

無事に駅前のホテルに到着!
運転手さん、お疲れ様でした・・・(喜)

ホテルにチェックイン後、近くのコンビニへ買物にいくついでに、駅前周辺を散策するが・・・・
これといって何もない・・・(汗)
閑散としていて・・・なんとも・・・いやはや・・・・
日本全国、どこでも似たような感じ・・・
やっているんだか、やっていないんだか、よくわからぬシャッターが閉まった店とか・・・(苦笑)
酒田は“粋なまち”のはずなのだが・・・

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ホテルの部屋から見た駅前の景色・・・・
右手向うに見える大きな建物は、別のホテル・・・(汗)
あとは、民家と駐車場・・・(唖然)

夕食はホテルの1階にある「居酒屋」で食事しようと思ったら・・・
どうも地元の団体さんか何かで満席!(汗)
いつになったら席が空くかわからないと言う・・・(唖然)
仕方がないので、外に出たが・・・
食事が出来そうな店が・・・ない!(大汗)
それじゃ、ホテル内の居酒屋が混むのも無理はないか・・・(苦笑)
今は、どの町へ行っても居酒屋ばかり・・・
拙者は居酒屋は好きではないのだ・・・(涙)
うるさいし・・・

明るいうちに、少し周辺を歩き回ったので、おおよその位置関係は分かったので、再び町の中を歩き回る。
歩き回ること1時間以上!(唖然)
そのうち町外れまで行ってしまい、歩道は真っ暗で足元が見えない・・・(大汗)
しまった!
しかも・・・またもや方向を見失った!(大笑)
やっちまった!
真っ直ぐ歩いて・・・左、左、左・・・と曲がれば元の位置に戻るはずなのだが・・・
あれ?(汗)
ここは、どこ?(冷汗)

自分が想像していたより、かなり遠くまで歩いてしまったようである!
「商店街」とか「繁華街」というのは、どこにあるんだ?
駅前が一番賑わっていると思ったのだが、全く閑散としている・・・
町の中が真っ暗なので、道路表示の看板の文字が読めない!
とにかく、駅の方向はどっちだ?(大汗)
線路、線路・・・線路を探さねば・・・(大汗)

散々迷子になって、ようやく駅にたどり着く・・・
拙者は、いったいどこを歩いていたのやら・・・(唖然)
クタクタである・・・
結局、駅の近くに1軒だけあるラーメン屋さんで食事をすることにする。(苦笑)

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旅行 | 14:46:09 | Comments(0)
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