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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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史跡めぐり
市内に戻ってきたときには、時刻は、ちょうど12時・・・・
運転手さんのお勧めの食事処へ案内してもらう。
で・・・ついでに一緒にお昼でもどうですか?・・・(笑)

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お昼は「カツ丼」を食べる。
拙者の大好物なのである!(大喜)
で・・・御会計・・・・
どうせだから、運転手さんの分もご馳走してあげる。(笑)
さすがに運転手さんは驚いていたが・・・
まぁ、タクシーの運転手さんに食事をご馳走するような客は滅多にいないでしょうねぇ~(大笑)
いいんじゃない?・・・楽しくオシャベリしながら食事できたし・・・(笑)

食後に、まず向かったのは・・・「近江屋三郎兵衛宅跡」・・・・
運転手さんは、知らなかったようだが・・・(笑)
「庄内證券の建物の所!」と言ったら、わかってくれた。(笑)

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酒田を訪れた松尾芭蕉が、この地を去る前日に、このお宅で開かれた納涼会に招かれているのである。
拙者はべつに松尾芭蕉のファンというわけではない・・・・(苦笑)
が・・・ここは一応、史跡だよね?(笑)
「なにも残ってませんけど・・・」(苦笑)・・・と、運転手さん。
「標柱が建っているでしょ?史跡の・・・」
「あ~・・・・あれねぇ~・・・・あれを見に来たんですか?」(唖然)
わからん人には、わからんでしょうねぇ~・・・・拙者はワクワクするんですけど・・・(大笑)
説明板が何もないので、ちょっと不満ではありますが・・・(汗)

この近くに「不玉亭跡」もあるはず・・・
「あ~・・・それは、そっちの道を入ったところにありますよ。でも、何もないですよぉ~。あ、石か何かがあったかな?」と運転手さん・・・
「そう!そう!それ!石碑でしょ?それを見たいの!」(笑)
「石碑・・・ねぇ~」(またもや唖然)
タクシーはそのまま適当な場所で待っていてもらい、一人で徒歩で「不玉亭跡」を探しに向かう。(大笑)

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芭蕉遺跡 不玉亭

元禄2年(1689)の夏、芭蕉と曽良が訪れた伊東玄順(俳号不玉)宅跡である。
象潟行の前後を通じ9泊した「奥の細道」ゆかりの地であり、この間翁は左の名句を残した。
不玉の墓は妙法寺に再建されている。

暑き日を海に入たり最上川
温海山や吹うらかけてゆふ涼
初真桑四にや断ン輪に切ン

(説明板より)


この「不玉宅跡」の石碑は、酒田観光協会により昭和35年6月13日に建立されたものである。
ん?・・・拙者の生まれた年に建てたのか・・・
50年以上も、ここに頑張って立っていたわけだ・・・
なぜか、嬉しい・・・(笑)

「不玉亭跡」を見て・・・(笑)
タクシーの所まで戻る途中、なにやら大きな看板を見つけた!
酒田の「三十六人衆」というものについて解説している看板だった。

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酒田のまちづくりと三十六人衆

中世以降、酒田のまちづくりを支えてきたのが「酒田三十六人衆」といわれる自治組織でした。
京との流通に携わった地元の商人や全国各地から酒田の地に移住した商人たちで構成されていたようです。
16世紀初頭、最上川南岸の向(むこう)酒田(袖の浦)から最上川北岸の当(とう)酒田への移転が始まり、約百年の間に湊、町、人が移動し、現在の酒田市中心部を形作りました。
江戸期には、町奉行の下、廻船問屋の経済力を背景に、殿様入部のお出迎え、御用荷物積船の付添い、御城米の最上川下し、巡見使や大名通過の際の本陣・脇本陣、亀ヶ城の堀浚(さら)い、土手の草刈、夜回り、火消しなど幅広い役割を担いました。
三十六人衆に名を連ねるには、本町通りに屋敷を構え、人柄と資力を備えた問屋であることが条件でしたが、商人たちの浮き沈みも激しく、17世紀末から明治元年まで存続したのは10家のみで、残る26の家株を巡って、91家が入れ替わりました。

(説明板より)



こういう看板はいいねぇ~・・・大いに勉強になりますよ。
でも、これ、誰が建てたんだろう?
市役所とか観光協会とか、設置者の名前がどこにも見当たらない・・・(汗)
でも、すばらしい!

次に向かうのは・・・「松山町歴史公園」・・・・
ここは「松山城跡」らしいので、どんなところか時間に余裕があったら行ってみようと思った場所。
ちょうど、時間に余裕がある・・・(大笑)

タクシーの運転手さんから、お寺や神社にも興味があるなら・・・と提案が出た・・・
ようやく、拙者の“趣味”がわかってくれましたね?(大笑)
ということで・・・歴史公園に向かう途中、運転手さんお勧めの「総光寺」に立ち寄ることにする。

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このお寺の庭園は有名だそうで、国指定の名勝だそうである。
が・・・・時刻は午後1時・・・
庭園を眺めて時間を潰すと、「歴史公園」を見る時間がなくなりそうなので、庭園の見学は諦める。(笑)

ここの山門が・・・すごい!(喜)
“重厚”という表現が当てはまるんじゃないか?

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山門

文化8年(約200年前)3歳を要して落慶
扁額「洞瀧山」は第5代松山藩主酒井忠禮公の揮毫

(説明板より)



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この門には、仁王様が安置されている。
ちょっと漫画っぽい、お顔であるが・・・(大笑)
目が光っているようで、ちょっと不気味である・・・(大汗)
仁王様って・・・正確には「金剛力士像」って言うんだっけ?
口を開いている方を「阿形(あぎょう)」、口を閉じている方を「吽形(うんぎょう)」と呼ぶらしい・・・
で・・・この2体で一対ということになるが・・・
「阿吽の呼吸」というのは、ここから来た言葉なのだろうか?
いや、神社の狛犬の方か?(汗)

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境内に「伊勢守佐藤正信公之墓」というのがあったが・・・・
「佐藤正信」って誰?(苦笑)
“公”って付くんだから、偉い人なんだろうなぁ~
これは水戸藩士の“シミズくん”なら、わかるか?(笑)
いずれにせよ、説明板がないのが残念である。

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有名な庭園があるのは・・・あの本堂の向こう側だろうか?
人気(ひとけ)がないので、静かに・・・Uターンする・・・(大笑)
拙者は、結構、気が小さいのである・・・(大笑)

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お寺の参道に杉の木の並木が・・・(笑)
「総光寺のキノコスギ」で有名なのだそうである。
へぇ~・・・・
そういう杉があったのかと思ったら、元和年間に、ここの和尚が植えてから、毎年刈っているうち、キノコの形になったので「キノコ杉」と呼んでいるそうだ・・・(唖然)
それは、わざとキノコの形に刈ったということではないか?(汗)
本当の名前は「土湯スギ」あるいは「山ノ内スギ」というそうで、最上川のどこかに自生しているものを植栽したのだとか。
これで樹齢は350年だという・・・(唖然)
その割には、背が低いが・・・巨大なスギの盆栽だと思えば納得できるかな?(大笑)

そうか・・・我が家の庭木も、こんなふうにキノコの形に刈るのも面白いかも・・・(大笑)

次に向かったのが「中山神社」・・・・
運転手さんの話しだと、ここも有名だとか・・・

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ちょっと、どこにでもある小さなパッとしない神社のような気がするが・・・(苦笑)
説明板を読んでみると、かなり昔からの由緒ある神社のようである。

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おお!小さな石碑が!・・・(大喜)
手前の石碑には「威風流砲術十代目 庄司惣次郎重政碑」と刻まれていて・・・弘化3年に建立されたもの。
その隣りの碑には「威風流砲術十一代目 庄司惣右衛門元継碑」と刻まれている。
威風砲術?・・・・
聞いたことがないけど・・・どういう砲術だったのだろう?
廃れちゃったのか?
この2つの碑の、最後の「碑」の部分は、削った跡に、あらためて「碑」の字を刻んでいる。
ということは、もしかしたら、最初は「庄司惣次郎墓」と「墓」の字でも刻まれていたのだろうか?
当初は「墓」と刻んだが、実は墓じゃないから、これじゃマズイということで「碑」に直したのかも・・・と想像してみる。
こういうのも楽しんだよねぇ~(笑)

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この碑は「舊松嶺藩戊辰戦死之碑」・・・・
碑文は薄くなっていて、ちょっと読み取れない・・・(涙)
明治14年7月に建立されたもの。
それにしても、「松嶺藩」ねぇ~・・・・そういう藩があったんだ・・・へぇ~
チョット調べてみたら・・・(笑)
庄内藩の支藩の松山藩(出羽松山藩)が明治2年に「松嶺藩」と名前を変えたそうな。
ちなみに、庄内藩も同年に「大泉藩」と名前を変えているそうな・・・(笑)
なんとも、ややっこしい話である・・・(苦笑)

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この碑は「舊藩松嶺侯酒井氏遺徳碑」・・・・
碑文が薄くてよく読めなかった・・・(涙)

で・・・・この近くに・・・この看板・・・(唖然)

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『この付近にクマ出没 注意! 酒田市』・・・・
ここ・・・熊が出るのか?(大汗)
帰ろう・・・さっさと帰ろう・・・
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旅行 | 12:42:37 | Comments(0)
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