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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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12年ぶりの久保田城
東海林太郎の銅像を見た後、坂道を登り、「千秋公園(久保田城跡)」へ向かう。
途中、小さな石碑を見つけたので、それを見ていたら、いきなり後ろから声をかけられた!(汗)
声をかけてきたのは、久保田城跡の歴史ガイドをされている“キシさん”・・・・
こんな小さな目立たない石碑に興味を持つとは、“ただ者”ではないと思って声をかけてきたようである。(大笑)
それから、しばし、おしゃべり・・・
で・・・城跡をご案内してくれるという・・・
集合時間までには2時間ぐらい余裕があるが、普段、拙者は「ボランティアガイド」を利用することはない。
説明を聞いても3歩も歩けば忘れちゃうし・・・(大笑)
自由に写真を撮りながら歩けないので、逆に不便なのである。
が・・・どういうわけか、この時は、素直にお願いする気になっちゃった。(大笑)
この方の持つ雰囲気のせいだろうか?(笑)

150_convert_20150218174051.jpg(松下門跡)



松下門跡
中土橋(なかどばし)からの二の丸の入り口に位置する。
藩政時代、正式な登城路は黒門側であったが、土崎、城下町中央部に近い松下門側も多いに利用された。
門の周囲の縄張りは初代義宣(よしのぶ)自身が手がけた自慢の設計であったと伝えられる。
(標柱の説明文より)



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久保田城跡
久保田城は秋田20万石佐竹氏の居城である。
秋田初代義宣(よしのぶ)が慶長7年(1602)入部し、翌8年現在地に築城した。
天守閣と石垣のない城として知られている。
本丸は明治13年(1880)7月の火災で全焼した。
同23年公園として解放されその後千秋公園と称し現在に至っている。
公園面積 162,900平方メートル
平成10年10月 秋田市
(説明板より)



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158_convert_20150218191106.jpg 163_convert_20150218191259.jpg
(黒門跡)

この場所は、記憶に残っている・・・(笑)
12年前に来た時、一緒だった“オダクラくん”が、この城には石垣がないという話をしてくれたのが、ちょうど、この門跡を歩いている時だった。(大笑)
茨城には石垣を積んで造られたという城はない・・・
石積みの技術がなかったのかどうかは知らないが・・・
茨城(常陸の国)から、ここにやってきた佐竹さんも石垣を築くということはしなかった。
茨城の伝統か?(大笑)
なぜそうなのかを“オダクラくん”が話してくれたような気もするのだが・・・
12年前のことなので、完璧に記憶から消え去っている・・・(大笑)

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(二の丸跡)

二の丸跡・・・・全く記憶にない!!(大汗)
ここを歩かなかったはずがないのだが・・・完璧に記憶から消え去っている・・・(大汗)



二の丸跡
本丸に次ぐ城の要衝地であり、城内に入城する道は、内掘を渡って二の丸に集まった。
勘定所・境目方役所・安楽院(祈祷所)・時鐘・金蔵・厩などがおかれ、特に、二の丸広場は多数の家臣が集まる際の集合場所として利用されたほか、能や踊りの見物のために町人に開放されることもあった。
(標柱の説明文より)



我が法人会の青年部の全国大会で、かなりのメンバーが全国から集まっているはず・・・
ということは・・・この「久保田城」は、訪問客でかなり混雑するのだろうと思いきや・・・
あれ?・・・殆ど誰もいない・・・(大汗)
スーツ姿の“観光客”は、間違いなく、我が法人会の会員である・・・ということを“キシさん”に話していたら・・・
ちょうど、一組の“観光客”とすれ違った。
と・・・
「法人会の方ですか?こちらの方も法人会の方なんですよ。茨城から来た方です!」と“キシさん”・・・
あらら・・・(大汗)
そう言われちゃうと「来年の全国大会は茨城なんで、是非、来てください」と言わねばならない・・・(涙)
なんで、ここで拙者が“営業活動”をしなくちゃならんのか・・・(大涙)
まぁ、考えようによっては“キシさん”のおかげで“営業活動”が出来たのだから、感謝すべきかな?(大笑)

結局、ここで見かけた法人会のメンバーは3つのグループだけ・・・(大汗)
中小企業の若手経営者たちよ・・・歴史に興味は無いのかね?
あ~あ~情けねぇ・・・知的レベルを疑わざるを得ないな・・・(苦笑)

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170_convert_20150218203833.jpg(長坂門跡)



長坂門跡
長坂門は本丸の玄関口である表門(一の門)の前に設けられており、二の門とも呼ばれていた。
現在、久保田城跡に唯一残っている御物頭御番所(秋田市指定文化財)がこれらを管理していた。
長坂門の名称は、二の丸から本丸へとのぼる長い石段「長坂」にちなんで名付けられたものである。
(標柱の説明文より)



173_convert_20150219114826.jpg(久保田城表門)

おお!この門は覚えているぞ・・・(笑)
この場所から写真を撮った・・・
ここ、ここ、12年前にここに立って写真を撮った・・・
12年後に、またここに来て同じ場所に立つとはねぇ~
人間の未来なんてわからないものである。
今が苦しくても、10年後はどうなっているかなんて誰にも分からないのである。
その逆も、しかり・・・
そう考えると、人生は面白い・・・(大笑)
それにしても、どうも拙者は写真を撮った場所しか覚えていないようである。(大汗)

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この復元された門は、当時の位置と少しずれている場所に建っているようである。
昔の門の礎石が見える・・・・
いや、もしかして、昔の門の礎石のほうをずらしたのか?(汗)
3歩以上歩いたら“キシさん”の説明をすっかり忘れている・・・・(大汗)
申し訳なし・・・

185_convert_20150219132422.jpg(本丸跡)



久保田城本丸跡
久保田城が築かれた神明山(しんめいやま)は、三つの高地からなる標高約40メートル程の起伏のある台地で、別名三森山(みつもりやま)とも呼ばれていた。
築城は慶長8年(1603)5月から着工され、翌9年8月に完成した。
本丸は、最も高い所を削平や土盛をし、平らにして造られた。
東西六五間(約117メートル)、南北百二十間(約215メートル)のほぼ長方形を呈し、周囲には高さ四~六間半(約7.3メートル~11.8メートル)の土塁を構築している。
本丸の建造物には、表門から入った正面に玄関が置かれ、政庁である政務所が設けられており、池を配した中央部には藩主の住居である本丸御殿があった。
また、土塁の上を多聞長屋(たもんながや)と板塀で囲み、要所には隅櫓を置き、北西隅には兵具庫を兼ねた御隅櫓(おすみやぐら)を設けた。
西南隅の土塁上には櫓座敷と呼ばれた書院風二階建ての「御出(おだ)し書院」が造られた。
出入口は周囲に表門(一ノ門)、裏門、埋門(うずみもん)、帯曲輪門(おびくるわもん)の四門に通じる切戸口があった。
(説明板より)



本丸跡???・・・・これまた記憶に無い!(唖然)
が・・・これだけは、よく覚えている!
秋田藩最後の藩主の銅像!(笑)

187_convert_20150219142341.jpg 192_convert_20150219142639.jpg

秋田藩最後の藩主、第12代藩主の佐竹義堯さんである。
ご無沙汰しております!お久しぶりでゴザイマス!(喜)

196_convert_20150219143234.jpg(御隅櫓)

さらに奥へ向かって坂を登っていくと・・・隅櫓が・・・
しかし・・・これまた記憶に無い!(大汗)
この目立つ建物が記憶に無いとは我ながら呆れるが・・・(大笑)
内部は資料館になっていて、最上階は展望室となっている。
内部を見学し、最上階から“天下”を眺める・・・(大笑)

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ササッと見学を済ませ、今度は丘を降りていく・・・

203_convert_20150219150937.jpg(埋門跡)



埋(うずみ)門跡
埋門は本丸の背面(西側)に設けられ、土手を切って出入口とし、その上に多門長屋を渡した一種の隠し門である。
門は西曲輪(くるわ)の兵具蔵に通じており、攻撃や防御、また緊急避難的な役割をはたしたと考えられる。
(標柱の説明文より)



本丸跡に戻る・・・・
と・・・あら!・・・こんなところに「歩兵第十七連隊」の碑が!(大喜)

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しかし・・・光沢のある石に刻まれた碑文は、陽の光に反射して読めないのである!(怒)
どうしてこういう石に刻むかなぁ~
読めなきゃ意味が無いだろうに・・・・
“キシさん”が、後日、碑文の資料を郵送で送ってくれるという。
いやぁ~かたじけない!
大感激である。(喜)

211_convert_20150219152559.jpg(八幡秋田神社)

歴代の藩主を祀る「八幡秋田神社」・・・
説明板によると、平成17年に放火のため焼失したという・・・(汗)
あらら?・・・ということは、拙者は焼失前の社殿を見ているはずだが・・・
いやぁ~全く記憶に無い!!(涙)
現在の社殿は平成20年に再建されたとのこと・・・
以前の社殿は、どんな感じだったのか・・・いくら頭を振っても記憶が甦らない・・・(大涙)

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二の丸にある「佐竹史料館」まで戻る・・・
ここは、安楽院、勘定所、境目方役所があった跡地である。
“キシさん”は、さらに案内したいようだったが、時刻は間もなくお昼になる・・・
今から昼食を食べるとなると、他のメンバーとの待ち合わせ時間ギリギリとなるので、ここで「史跡めぐり」は終了ということにする。
ご案内してくださった“キシさん”には感謝、感謝である。
佐竹史料館を見学できなかったのは残念だが、やむを得ない・・・(涙)
“キシさん”は今日、法人会青年部会の全国大会があることをご存知なかったようで、特設物産展などを見てみたいというので、一緒に、会場まで行き、そこでお別れする。
お世話になりました!

さて・・・お昼だが・・・・
ちょうど、知的障害者(?)がやっているお店を見つけたので、そこで食事をすることにする。
どうせなら、こういうところでお金は使いたい・・・(笑)
「何にしますか!」
「ピラフをお願いします」
「ピラフですね?」
「そうです」
「コーヒーもありますけど、どうしますか?」
「それは・・・セット?」
「はい!」
「じゃぁ、コーヒーもお願いします」
「いつにしますか?」
「一緒に持ってきてください」
「はい!・・・え~・・・ありがとうございます!」
大きな声でキッチリと話すのである。(笑)
まぁ~元気がいいこと・・・(大笑)
こちらも、ついつい、ハキハキと答えねばならなくなった・・・(大笑)
愛想の無いウェイトレスがポンと水を置いて、ボソボソとオーダーを取るような店には、カネを落とす気にはなれない。
どうせなら、こういう場所のほうがいい・・・(笑)
このお店は障害者の自立支援の一つなのであろう。
障害者が、社会に関わるということは、いいことである。
大いに頑張ってもらいたいものだ。
うまく“役を演じる”ことができて嬉しいのだろう。(笑)
ニコニコして楽しそうである。
食事を終えて会計を済ませ出て行くときには、みなさんが大きな声で「ありがとうございました!」と言ってくれた。
いやぁ~こちらが恥かしくなるほどの大きな声なのだが・・・(大笑)
でも、気持ちのいいものである。
いいところで食事が出来た・・・・満足、満足・・・・(喜)
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旅行 | 11:26:38 | Comments(0)
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