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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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秋田へ行く
明日、秋田で法人会青年部会の全国大会が開催される。
というわけで、秋田に向かう・・・
拙者は正確には“青年”ではない・・・(大笑)
青年部のOBであるから、正しくは“中年部会会員”もしくは“老年部会会員”と言うべきであるが・・・(笑)
来年の全国大会の開催予定地は、我が茨城県!(喜)
今年の全国大会への茨城県の参加者は、その宣伝活動を兼ねるのであるが・・・
相変わらずまとまりの悪い茨城県人のこと・・・
我が法人会からの参加者も少ない・・・
現役の青年部会会員の参加者は、ようやく掻き集めても4名・・・・
いくらなんでも、これでは格好がつくまい?
というわけで・・・OBである“ケムちゃん”と拙者の2名も応援に行くことになった。
これで、ようやく6名である・・・(泣)
こういう場合は、二桁くらいの人数が欲しい所だが・・・・
意識が低いんだから仕方が無い・・・(汗)

で・・・・
みんなと一緒に行くのかというと、そうではない・・・(大笑)
他の5名は車に乗って茨城県から秋田県まで走るという。
彼らの車に同乗したのでは自由が利かなくなる・・・(大笑)
というわけで、一緒に車に乗らず、いつものパターン・・・
拙者だけ、単独行動を取らせてもらう。(大笑)
特急に乗り南下して上野駅へ・・・上野で新幹線に乗って北上し、秋田へ向かう。(大笑)
歴史や史跡にあまり興味の無い人たちと行動したのでは、時間がもったいない・・・(大笑)
拙者は我が道を行く!・・・・我がままである・・・(大笑)

早朝に我が家を出発し、秋田に着いたのは午後2時過ぎである・・・(汗)
結構、時間がかかるが、これでも、このルートが一番早いのである。

早速、タクシーで「秋田県護国神社」に向かう!

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ここには12年前に後輩の“オダクラくん”と来たことがあるので、12年ぶりの訪問である。
が・・・参道は覚えているが、本殿はまったく記憶に無い・・・(唖然)
お参りしなかった、などとは考えられないから参拝したはずなのだが・・・
記憶にない!
拙者の記憶力は、ここまで衰えていたのか・・・と唖然・・・(涙)

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あの時は、後輩が一緒だったので、あまりゆっくりとは出来ず、さぁ次に行こうということになった・・・
今回は一人なので、少し周囲を散策することにする。
タクシーには、そのまま待っててもらう・・・・(大笑)

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神社の脇の松並木は、旧参道の松並木・・・
説明板には、こう書かれていた・・・


旧参道松並木
明治2年 秋田藩主佐竹義堯候によって創建された旧招魂社の参道を造成したとき植えられた松並木(樹令約130年以上)
社殿は西向きで、羽州街道から参拝した。



ん?樹齢130年以上と書かれているが・・・そんなふうに見えないところが不思議である。(苦笑)
松の木って、130年でも、この程度しか育たないのか?
ところで・・・「羽州街道」ってどこなんだろう?(苦笑)
わからん・・・・

042_convert_20150129103641.jpg(秋田招魂社跡)

神社の裏に回ってみたら、石碑が建っていた!(喜)
「忠魂碑」「満蒙開拓青少年義勇軍慰霊碑」・・・・
「細野三千雄君の碑」の細野さんって誰なのか知らない・・・(笑)
碑文が磨耗していてよく読めないのである・・・あ~残念だ!
しかも逆光!
日差しもまぶしいので、各碑の碑文の写真が上手く撮れない!(涙)
こういう時は、曇りだとありがたいのだが・・・(大笑)

040_convert_20150129104008.jpg

さらに奥に回りこむと、小高い丘が・・・

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この丘にも石碑があった!(喜)
五輪塔も1基あったが、由来を記した石碑の碑文は以下・・・


五輪塔復元縁起
昔この所に巨大な五輪塔があって港に入る船のよき目標となっていた
五輪の坂という呼び名はこれに由来したものである
此の塔は寛永廿年1643年久保田の豪商森九蔵翁が建てたものだがその後文化元年1804年の象潟及び文化7年1810年の男鹿大地震で崩壊してしまったことは残念至極でありその復元は万人ひとしく熱望するところであった
奇しくもこの悲願に応えるようにこの姉妹塔が秋田市當福寺の森家墓所に温存されていたのを幸い同家の末流森一氏及び當福寺に請い■然その寄進を得たので秋田県護國神社鎮座壱百年を記念してここに復元したものである
昭和42年9月16日  戸崎■雄



ここには“巨大な”五輪塔があったそうである・・・
港に入る船の目印になったって言うんだから、どれほどの巨大さか?(唖然)
復元された、この五輪塔は、全然大きくない・・・(苦笑)
ごく普通と言うか・・・これより大きな五輪塔は過去にいくつも見たことがある。
“復元”と言っているが、森家の墓所にあった“姉妹塔”を移設したものであろう。
で・・・この“姉妹塔”は、多分、ここにあった五輪塔の縮小版、ミニチュアだったのではあるまいか?
10分の1とか20分の1とか・・・
海は・・・かなり向こうのほうに、それらしきものが見える・・・(笑)
江戸時代の頃は、もっと海岸線は手前であったに違いない・・・
う~ん・・・あのあたりは、後に埋立てて作られた陸地ではあるまいか?
などと想像を巡らす・・・

それにしても、その“巨大な五輪塔”・・・・
石を丸く削ったり四角く削ったり。当時の石工はどうやって作ったのだろう?
しかもそれを重ねるのである・・・
多分、何トンもの重さだったと思うのだが・・・どうやって積み重ねたのだろう?(笑)
昔の人は大したものである。
地震で崩壊して“消滅”してしまったのは、本当に“残念至極”である。
どこかにその欠片でも落ちていないものか・・・とウロウロ・・・(大笑)
欠片から、本来の大きさが想像出来るような気がするんだけど・・・
そんなものは平成の世に残っているわけもないか?
いや、この丘を発掘したら地中から出てくるかも・・・
そう思うと・・・掘りたいなぁ~・・・ここ・・・(大笑)

この由来碑の碑文には、1804年と1810年に大地震があったことが刻まれている。
こういう記録は貴重である。(喜)
この時から数えて200年も経っているのだから、この地で再び大地震が起こる可能性はある。
注意すべきであろう?
大事なのは、こういう石碑の碑文をちゃんと読んでおくことであろう。
石碑をなめてかかってはいけないのである!(笑)

最近はステンレスの板に説明文をプリントしたものをよく見かけるが・・・
こういうものは何年もつのだろうか?
やはり、石に刻むほうが、後世に残すことができるのではなかろうか?
磨耗しづらい硬い石を使えば100年でも200年でも残るのではなかろうか?
そういう石碑を「邪魔だ」として撤去するのは愚かな行為であると拙者は思うのである。

東日本大震災後に、実は江戸時代にも同様の地震がありまして、津波で被害を受けていました・・・などといまさら寝ぼけた話が出回って呆れたが・・・
港町の場合、高台に神社があるという港町が結構ある。
これは、大昔に津波の被害を受けたときに、この高台に逃げた人たちが命拾いをしたので社を建てたのではあるまいか?
そう想像してみると、いざとなったら、この社に避難すれば、生き残れる確率が高くなるだろう。
そういう高台を削って造成するなんていうのはバカのやることである。
なんであんなところに神社があるのだろう?・・・・考えてみるべきである。

これは、「地名」も同様である。
「沼」とか「沢」などが地名に付いている場所に家を建てるのは好ましくない。
地震の際に液状化現象が起こるのは当然である。
そこは昔、沼だったり沢だったりした場所なんだから・・・
地震で家が傾いても、それは、そこに家を建てた人が悪い・・(苦笑)
昔からの地名が教えてくれるというのに、地名を変えるというバカなことをする奴がいる・・・
先人の”教え”を抹殺するような奴は行政官になるべきではないと拙者は思う・・・

というわけで・・・石碑は、後世にいろいろなことを教えてくれるというのに誰も見向きもしない・・・
なんたることか・・・と拙者は思うのである。

石碑の碑文を読むだけで、いろいろなことが頭に浮かぶ・・・
それだけで楽しくなるし、勉強にもなる・・・
ついつい時間を忘れてしまうのである。(大笑)

033_convert_20150129132749.jpg 032_convert_20150129132643.jpg

この地には天皇陛下もいらしたようで、記念の石碑が建っている。
左の写真が、「明治天皇御休憩所」の碑で明治14年9月16日と刻まれている。
右の写真は「大正天皇御休憩所」の碑で明治41年9月21日と刻まれている。
こちらは明治にいらっしゃったのだから、正確には大正天皇が皇太子の時にいらっしゃった記念ということになるかな?
ここを「御休憩所」にされたというは、多分、ここから見える景色が素晴らしかったからに違いない・・・(笑)

と・・・何だかんだとノンビリしていたら、まもなく午後3時である!
急がねば・・・タクシーを待たせたままである。(大笑)
たぶん、いつまで経っても戻ってこないので運転手さんは心配しているに違いない・・・(大汗)
タダ乗りして逃げたと思われたら大変である!(大笑)
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旅行 | 09:52:50 | Comments(0)
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