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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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新町諏訪神社
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高崎市指定重要文化財
新町(あらまち)諏訪神社本殿及び御宝石

新町諏訪神社は、江戸時代の高崎について記した地誌『高崎志(たかさきし)』によれば、慶長4年(1599)、箕輪城下の下ノ社勧請(かんじょう)したことにはじまるという。
本殿は土蔵のような外観を持つ珍しい総漆喰(しっくい)の塗籠造(ぬりごめづくり)で、しばしば大火に見舞われた高崎の町にあって、大切な社を火災から守るための工夫だったとも考えられる。
平入り・入母屋造(いりもやづくり)の建物は一見すると二層のように見えるが、実は裳腰(もこし)をつけた平屋建で、外壁の下半は海鼠壁(なまこかべ)となっている。
本屋根と裳腰の間には手の込んだ七賢人の漆喰彫刻が施されている他、波しぶき、飛龍、四隅の牡丹(ぼたん)、正面の鳥居に付けられた躍動感あふれる昇り龍・下り龍など、随所に見事な漆喰彫刻を見ることができる。

この神社は享保14年(1729)、文化4年(1807)の二度に渡って火災に遭っており、近年の修復工事の際にも屋根材や彫刻の骨木の一部に、その痕跡が確認されている。
礎石背面には文化11年(1814)の刻銘があり、建築的な特徴などを考え合わせ、この建物が元の社殿の部材を利用して再建が行われたことが推測される。
高崎城下の名所のひとつでもあったらしく、太田蜀山人(しょくさんじん)の『壬戌(じんじつ)紀行』の中でも紹介されるなど、当時から町の人々、往還(おうかん)を行く旅人たちの目を和ませていたことがわかる。
信州諏訪にゆかりのある御宝石は、重さ約8キロの鶏卵型の石で、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の屋蓋(おくがい)を裏返しにしたものを使った台座に安置されている。

所在地 高崎市あら町85-1番地
指定 平成2年2月26日

高崎市教育委員会

(説明板より)

【群馬県高崎市あら町】
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史跡 | 17:39:30 | Comments(0)
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