■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
高崎城址
218_convert_20150124115351.jpg 251_convert_20150124115440.jpg

高崎市指定史跡
高崎城址
(三の丸外囲の土居と堀)

箕輪城主井伊直政が徳川家康の命により、この地に城を築き箕輪より移転したのは慶長3年(1598)のことであった。
築城にあたって直政は、当時和田と呼ばれていたこの地の地名を松ヶ崎と改めようとし、竜広寺の住持白菴に相談した。
白菴は、諸木には栄枯があることを説き「成功高大」の意味から高崎と名づけるように進言し、これが採用された。
「高崎」の地名はこうして誕生したといわれる(川野辺寛『高崎志』)。
この地にはかつて和田氏により和田城が築かれていた。
直政により新たに築かれた高崎城は、和田城址を取り込む形で築かれたといわれており、坪数5万1613坪にも及ぶ広大な城郭となった(土屋老平『更生高崎旧事記』)。
築城にあわせ、城下町の整備も開始され箕輪城下から多くの寺院や町が移された。
連雀町や田町はこのとき箕輪より移転した町である。
また、城下町を囲む形で遠構と呼ばれる土塁と堀も築かれた。
明治4年(1871)の廃藩置県後、高崎城の敷地は兵部省、次いで陸軍省の管轄となり、乾櫓をはじめとする多くの建物が払い下げとなった。
さらに、兵営や練兵場を建設するために城内は整地された。
このため本丸や二の丸の土塁や堀は現存しておらず、三の丸の堀と土塁がわずかに昔の面影を止めている。

所在地 高崎市高松町5-8ほか
指定年月日 昭和57年2月17日
平成23年10月31日設置

高崎市教育委員会

(説明板より)

【群馬県高崎市】
スポンサーサイト


史跡 | 14:50:12 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。