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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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内村鑑三記念碑
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内村鑑三記念碑

この碑は1961年内村鑑三先生の生誕百年を迎えるにあたり、先生の金言を碑に刻み、その崇高なる人格と、その偉業を後世に伝えるため、先生の思い出の地烏川を望むこの境内を選んで建てられた。
先生を敬慕する全国の方々に募金を仰ぎ、その結果、高崎市内の全小中学校及び群馬県下全高校の生徒を含む6万人から寄付が寄せられた。
先生は、1861年3月23日、江戸小石川鳶坂上(とびざかうえ)高崎藩中屋敷の武士長屋に、御側頭取にして漢学者内村宜之の長男として生まれた。
幼少の頃高崎の柳川町に移り、碓氷川・烏川で魚とりなどをして上州の自然に親しみ、高崎藩主が創設した英学校に学ぶ。
上京して有馬私学校英学科に入学し、東京外国語学校に編入。
1877年に札幌農学校へ入学(第2期生)し、在学中に洗礼を受け、水産学を修める。
開拓使や農商務省水産課に勤務したが、キリスト教への関心から渡米、アーマスト大学などに学び1888年に帰国。
第一高等中学校の教師となったが教育勅語のことから教壇を去り、聖書の研究に専念した伝道活動と、時代を導く数々の論文を発表した著述活動を通して、多くの人材を育て全世界に知己を持つに至った。
足尾鉱毒事件救済のために奔走、日露開戦に際しての非戦論の提唱、教会の無い者のための教会という無教会論などで知られる。
1930年3月28日東京柏木の自邸にて70年の一生を終わる。
正面碑文の「上州人 上州無智亦無才 剛毅木訥易被欺 唯以正直接萬人 至誠依神期勝利」は、病床の先生を見舞った同郷(高崎市)の旧友住谷天来牧師との会話中に書いた無韻詩で、自らのことを詠んだものである。
「上州人は無智無才であり、意思が強く言葉を飾らないため人に欺かれやすい。ただ正直をもって万人に接し、まごころを尽して神による勝利を待つ」との意味であろう。
上部の碑文「I for Japan Japan for The World The World for christ and all for God」は、アーマスト時代、自身の墓碑銘のためとして愛用の聖書に書きとめたもので、「自分は日本の為に、日本は世界の為に、世界はキリストの為に、凡ては神の為に」と訳される。

この説明板は、2011年11月12日
内村鑑三生誕百五十年記念講演会での募金による

(説明板より)

【群馬県高崎市・頼政神社】
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史跡 | 13:42:03 | Comments(0)
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