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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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フィリッピン方面戦没者慰霊顕彰碑
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フィリッピン方面戦没者慰霊顕彰碑
防衛庁長官 中曾根康弘 謹書

郷土出身陸海軍所属各部隊従軍
比島方面戦没将兵等6429柱


この碑は太平洋戦争に於てフィリッピン方面で散華した同胞47万6千余柱のうち、群馬県関係6429柱の英霊を顕彰する慰霊の碑であります。
大東亜戦争の天王山といわれた比島では、南方諸地域中、日本国でも、また群馬県でも最高数の戦没者を出した一大決戦場でありました。
顧りみれば昭和16年12月10日、日本軍がルソン島リンガエン湾に上陸して以後、戦況が次第に苛烈となった、昭和18年仝19年頃に内地より臨時召集や現役兵編入等で郷土部隊の母体(軍旗)と共に派遣されずに数百名が一単位となり、高崎連隊から或は宇都宮、水戸、千葉その他の各連隊を始め、海軍部隊諸基地や、遠く朝鮮、満州、支那等の各現地部隊と共に続々と緊急南下され、途中台湾沖やバシー海峡等で敵潜水艦や空襲のため数千人乗船したまゝ輸送船もろ共海中に消えた多くの将兵・軍属・従軍看護婦等を始め、昭和19年10月レイテ島に米軍を迎撃して以来、遂に南方面の制海権と制空権を手中に納めた米軍は、総てに圧倒的有勢を誇る新鋭兵器、航空機、艦船等の絶対的物量を以てルソン島を始めミンダナオ島、ネグロス、セブ、ミンドロ、サマール、パラワン、パナイ、コレヒドール等の各島々に於て日本軍と対決しました。
特にレイテ・ルソン島等は米軍上陸の水際戦斗のその日から、各兵団諸部隊は肉弾斬込み戦を繰返し山岳戦に到るまで悪戦苦斗し、全諸島に渡り将兵等は、ひたすら祖国日本を直接戦場にしてはならぬと胸に堅く誓い、悪條件の下爆弾を抱いて特別攻撃機となり又は人間魚雷となって全機全員敵艦に体當りし、或いは人間爆弾となり、むらがる敵戦車に飛び込み、深山幽谷の地に或は南海の孤島に空に海に一塊の肉片も残さず散華、弾薬食糧の補給全く杜絶し、道なき熱帯のジャングルに分け入り困難辛苦、飢餓と風雨にさらされ勇戦奮斗むなしく戦傷や、マラリヤ、赤痢等の悪疫に尊くも斃れ或は自決、血で血を洗う鬼哭啾々たる戦場で激斗の末、最後の突撃を敢行して全員玉砕するなど全滅的運命となり遂に護国の神となられたが、戦争の結末は敗戦という烙印を押され総ては無言のまゝ終了しました。
二度とこのような戦争を繰返し巻込れてはなりませんが戦後20有余年を過ぎた今日に到ってもこの戦没英霊を讃る事は充分でなくすごして参りました。
然し平和を完全に取戻した現今、この尊き殉国の犠牲・鬼神も泣く無言の戦没諸兄の武勲を顕彰、御霊の御冥福を祈り、その勲功を永久に讃え奉るものであります。

昭和46年3月21日
フィリッピン方面戦没者慰霊顕彰碑建立委員会
代表 群馬県フィリッピン会
    比島方面戦没者遺族有志一同
後援 群馬県遺族の会・群馬県軍恩連盟
    群馬県郷友会・他有志一同

(碑文より)

【群馬県高崎市・群馬県護国神社】
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史跡 | 10:43:53 | Comments(0)
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