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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『戦争倫理学』
戦争倫理学 (ちくま新書)戦争倫理学 (ちくま新書)
(2003/01)
加藤 尚武

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第1章 戦争に関する正気とは何か
  『ガリヴァ旅行記』の思考実験
  大量殺人を可能にした機関銃

第2章 戦争の二種類のルール
~戦争目的規制(jus ad bellum)と戦闘経過規制(jus in bello)~
  小林よしのりの戦争観
  小林『戦争論』の奇妙な曖昧さ
  誤解から生じた「戦争=祝祭」論

第3章 連続テロに対する報復戦争は正当か
~私の第一の反戦メイル~
  反戦メイルに対する反応
  戦争をめぐる三つの立場
  「正義の戦争」という考え方
  両大戦を支配した無差別主義
  米の報復戦争は正当化できない

第4章 国家という猫には誰も鈴をつけられない
~トーマス・モアの処刑とグローティウスの戦争論~
  新しいものが旧いものを裁いた日
  国家が主権をもったとき、戦争状態が始まる
  国家と教会の地位の逆転
  歯止めなき「地上の力」

第5章 アメリカの良心は「ヒロシマ」に「ノー」と言った
~ロールズの原爆投下批判~
  「極限的危機」とは何か
  原爆はなぜ投下されたのか

第6章 ゲルニカを忘れないで
~私の第二の反戦メイル~
  空爆に対する意味づけの変化
  「正義の戦争」、7つの条件
  「非戦闘員の殺傷」を当然視する現代の戦争
  アンスコムの警告
  「正義の戦争」を基礎づける「二重効果」
  「正義の戦争」と国家主権の臨界点

第7章 鉛の兵隊さんはどうして美しい制服を着ているのか
~傭兵軍から国民軍への転換~
  演技のごとき18世紀の戦闘
  18世紀の軍事革命
  ナショナリズムの学校としての軍隊
  ロックとスピノザの国家観

第8章 カントの「永久平和論」
  『永遠平和のために』の構成
  「民主主義国は平和的である」という誤解
  国家に人格的統合を認めたカント
  軍備撤廃という目標の核心とは

第9章 人は共和国のために命を捧げる
~ヘーゲルの考えた国家と戦争の関係~
  終生変わらなかったヘーゲルの戦争観
  「平和」が社会を腐敗させる?
  ヘーゲル的戦争観にどう答えるか

第10章 戦争をした日本は有罪か
~「東京裁判史観」と東京裁判の問題点~
  パイのエピソードから得られる教訓
  パルによる「無罪」判決の主要論点
  戦争裁判の法理論的な背景
  安全装置を無視した戦争裁判
  「共同謀議」論が抱える難問
  病気にかかっている国際社会

第11章 不戦条約のパラドックス
~すべての戦争は違法である~
  戦争それ自体を禁じた条約
  不戦条約で違法とならないケース
  不戦条約が抱える矛盾
  武力行使なき武力抑止は可能か?

第12章 「集団的自衛権」は自己矛盾か
  「武力による威嚇又は武力の行使」
  テロ犯人の引き渡しと国連憲章
  国家の自衛権と国連憲章

第13章 ガンマンの正義
~相手の先制攻撃を見てから撃つ~
  「急迫性」をどう解釈するか
  緊急性ーカロライン号事件の場合
  留学生射殺に「相当性」はあったか?

第14章 日本国憲法9条の問題点
~読んで分からない憲法は変えるべきだ~
  大きく変った政府の9条解釈
  新しい次元を迎えた9条問題
  憲法学者・宮澤俊義の解釈
  マッカーサーの部下らの解釈
  憲法9条の何が問題か

第15章 平和は消極的な状態か
  西部邁の反平和主義
  福田恆存の現実主義
  戦争は「永遠に」なくならないか?
  「平和」に対置されるナショナリズム
  「戦争の不在=非平和」という状態
  平和に生きること自体に意味がある

エピローグ 私の第3の反戦メイル

あとがき

本書に再録した原稿・読者に対する推薦図書

付録
同時多発テロに対する報復戦争の国際的な正当性は成り立たない(英訳)
ゲルニカを忘れないで(英訳)



戦争に“倫理”などというものがあるのだろうか?
「戦争」と「倫理」は、相反するもののような気がしていたのだが・・・
「戦争倫理」とは、つまりは「戦争のルール」のことだそうだ。
とはいえ・・・「戦争の仕方」ということではないようである。
いわば、「行動規範」「行動基準」と考えたほうがいいような気がする。
つまり・・・
「戦争は悪か?」との問いに「悪である」という答えが一般的である。
で・・・「だから戦争は絶対やってはいけない」・・・となる。
「絶対」は「絶対」である。
それでは「たとえ正当防衛の場合でも、“絶対”戦わないんですよね?」となる。
「正当防衛の場合は話は別です。戦います」となるのか、それとも「正当防衛も認めません。何をされようとも絶対戦いません」となるか・・・
それが「戦争についての“倫理基準”」ということになる。

世界中の「世論」が、戦争に向かったときに、踏みとどまることが出来るか?
「世論」のほうが“狂気”であって、自分こそが“正気”であると言うための自分自身の位置・・・
それを“測定”できる“羅針盤”が「戦争倫理学」であると著者はいう。

例のアメリカで発生した「9・11」の連続テロ・・・
これに対して米国は“報復”をしたが、この「正義の戦い」は果たして正しいか?
私が以前から疑問に思っていた件についても書かれていたのは嬉しかった。
「テロ」は犯罪である。
犯罪である以上、犯人を捕らえて裁判にかけるべきではあるまいか?
軍隊を派遣して、空爆やら砲撃やら・・・テロリストを皆殺しにしようというような行動は正当化できるだろうか?
「テロリスト」を相手に“戦争”を仕掛けることは正しいことなのだろうか?

広島と長崎に原爆を落とした理由は、米国軍人の命を守るためだと言われている。
ならば、自国の軍隊の損害を最小限に止める為ならば、他国の一般人を“虐殺”することは許されるのだろうか?

湾岸戦争は「石油確保」のための戦争だったことは今では明白になっている。(確か・・・米国政府の誰かが暴露していた)
西側欧米諸国の「石油利権」のためなら、一般人が犠牲となる戦争を仕掛けても許されるか?

日本国憲法第9条・・・・
なにがあっても武力による威嚇も行使もしない・・・
良いか悪いかではなく、正しいか間違っているかでもなく、それを貫き通すだけの「倫理基準」を日本人が持っているかどうかが問題である。
「戦争反対」は大いに結構だが・・・
状況によっては・・・そのときの「世論」によっては、どうにでも変るようでは“規準”にはなり得まい。
他国からの侵略を受けて自分の家族がどうなろうとも、自分の土地財産がどうなろうとも・・・絶対戦わないというのなら、それはそれで「倫理基準」であるから別に構わないけど・・・
「そんなことはあり得ない」が“規準”では「あり得ないことが起こった」場合、どう規準がブレるか・・・
甚だ不安である。(苦笑)

「戦争倫理学」・・・・なかなか興味深い内容だった。



今年の読書:76冊目

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読書 | 00:57:01 | Comments(0)
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