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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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海軍墓地に行く
次に向かったのは、パラオの「海軍墓地」・・・・
4年前にも来たことがある場所である。
「海軍墓地」と言われているが、どちらかというと「日本人墓地」という感じ・・・(笑)

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【白蝶貝採取業殉職者慰霊碑】

昭和15年4月に業界の財団法人が建立したたもので、「海軍大将 永野修身 謹書」とある。
永野修身大将は、日米開戦時の海軍軍令部総長・・・
海軍軍令部というのは、海軍の作戦を立案し用兵の運用をする海軍の実務の最高機関である。
そこの最高責任者となる前年に、慰霊碑の揮毫をお願いするんだから、すごい・・・(笑)
白蝶貝は、真珠の母貝となる貝で、その貝殻は洋服のボタンなどに加工される。
ということは・・・結構、高価で貴重な貝だったということかな?
そういう貝を採りにパラオに“出稼ぎ”に来て亡くなった方も多かったのだろうなぁ~


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この碑は殉職した技師たちの慰霊碑・・・・

(碑文)
昭和13年8月10日 父島南々東百二十浬海上ニ於テダグラス飛行艇ト運命ヲ共ニシ南洋航空ノ礎石トナレル

南洋廳航空官従六位勲六等 勝畑 清
南洋廳技手勲八等 押川 始
南洋廳技手勲八等 北村 康房
南洋廳技手勲八等 山崎米太郎
南洋廳技手勲八等 藤田権之助
南洋廳技手勲七等 山崎 春次
南洋廳技手勲八等 日野 宗一
右七氏ノ殉職ヲ記念シ之ヲ建ツ

昭和15年8月
前南洋廳長官正四位勲三等北島謙次郎書

【碑の由来】
この碑は戦前パラオ公園に建立されていたが昭和19年に米軍に破壊されて所在不明でした
その後昭和48年にパラオミュージアムに放置されていた碑を発見し今回有志が集い本来在るべき海軍墓地に移設したものです

平成20年12月吉日

戦前に航空機事故でお亡くなりになった方々のようである。
「航空官」というのは「操縦者」のことだろうか?
「技手」は「技術者」のこと・・・
このパラオに碑があるということは、パラオに向かっている途中で墜落したのか、パラオから日本に戻る時に墜落したのだろうか?
6名もの技術者が一瞬にしてこの世を去った・・・
あ~なんたることぞ・・・優秀な技術者だったろうに・・・
その能力を思う存分発揮して活躍し続けられただろうに、不慮の事故でそれを断たれるとは、可哀想でならない。

南洋庁航空官の勝畑清という人は、海軍兵学校51期出身の海軍大尉で、南洋庁航空部に所属していて、飛行艇のベテランパイロットだったらしい。
北島謙次郎という人は、昭和11年から昭和15年まで4年間、南洋庁の長官を務めた方。
佐賀県出身、東大卒の官僚・・・
昭和32年に64歳でお亡くなりになっている。
ということは・・・43歳から47歳にかけて長官を務めていたということ?
若い・・・(唖然)


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【戦没者慰霊碑】

安からに眠ってください。
過ちは
繰返しませぬから

広島県 中村良三

拙者は正直言って、この文言は好きではない・・・
「過ちは繰返しませぬから」・・・
この「過ち」とは、何を指すのだろう?
原爆を投下されたことを指すなら、「原爆を投下されて虐殺されるような過ちは繰り返しません」という意味になるだろうが・・・(違う?)(笑)
原爆を投下したことを指すなら「原爆を投下して一般市民を虐殺するという黄色人種に対する偏見に満ちた過ちは繰り返しません」ということで、アメリカ大統領の名で刻むべきだろうし・・・・(大笑)
いったい、誰が誰に対して「過ちは繰り返しません」と言っているのか、さっぱりわからん・・・
ましてや、このパラオにおける「過ち」とは何を指すのか?
具体性に欠ける文言である。
この碑を建立したのは、広島県の中村良三という人のようだが・・・
広島の方だからといって、ここパラオに原爆の話を持ち込んだわけでもあるまい?(汗)
広島県の県議に同姓同名の方がおられた。(2006年にお亡くなりになられているようである)
この方は労働組合出身の県議会議員だそうだ・・・
勝手な想像で失礼するが、もし、この碑を建てたのが、この方なら・・・まぁ、こういう碑文を刻むのもわからんでもない。(大汗)


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これは、パラオ中学校の同窓会が建てた碑・・・

Wishing for an Everlasting Peace
1992年9月
パラオ中学校同窓会

パラオに多くの日本人が住んでいたという証拠であろう。


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【平和の礎】

【碑文)
建立趣旨
こゝパラオ地区(ヤップ島を含む)は、太平洋戦争における有数の激戦地(1944~1945年)で、日米両軍とも多数の将兵を失ったばかりでなくパラオの人々をはじめ一級の民間の人々にも多くの犠牲者を生じました。
しかし、これらの死は決して無駄でなく、今日の世界平和の礎となったものと信じます。
われわれは、相協力してこの碑を建立し、この地区における全戦没者の御霊の冥福と永遠の平和を祈願します。

1970年2月
パラオ地区慰霊顕彰会・パラオさくら会


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【パラオ諸島ニ於ケル(旧)日本陸海軍戦没者鎮魂ノ碑】

(碑文)
第十四師団は太平洋戦線の戦局打開のため北満州よりパラオに転進、パラオ諸島守備の任につき、所在陸海軍部隊あわせ米軍と激しい攻防戦の中、終戦となり、この攻防戦で壱萬六千三百五十四名の戦没者を出した。
尚、浦賀に帰還した復員兵は陛下のお出迎えを受け、陛下より師団に次のようなお言葉を賜った。

「陛下のお言葉」
「パラオ集団ハ寔(まこと)ニ善ク統率力徹底シテ立派ニ戦闘シ復員モ善ク出来テ満足ニ思フ」

時は流れて平成の御代、今日の平和の礎となられた多くの英霊の御霊を慰めんとこの鎮魂碑を建立する

1996年十月吉日建之
発起人代表 圷 隆志


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【慰霊碑】

南海のパラオの磯に
哀しく眠る戦友よ
平らけく安らかなれと祈るなり
永遠に 永遠に

AD. 1966
日本 パラオ会
    サクラ会


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ここで「慰霊祭」を執行・・・・
お線香をあげて・・・
「君が代」と「海ゆかば」を斉唱する。

時刻は午後2時半・・・・
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旅行 | 20:05:31 | Comments(0)
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