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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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戦跡めぐり再開!
カレーライスの昼食を終え、戦跡めぐりの再開である!
時刻は午後1時過ぎ・・・
まず向かったのは「34士の洞窟」・・・・

この“34士”とは・・・・
ペリリューの戦いは昭和19年11月24日に守備隊が玉砕して、その戦闘を終えたわけだが・・・
それでも生き残った兵が散発的にゲリラ戦をおこなっていたようである。
で・・・昭和20年8月15日に日本は終戦を迎える・・・・
それでもなお、ペリリュー島には日本兵が生き残っていたのである。
で・・・終戦から2年後の昭和22年4月21日・・・・
最後まで生き残っていた日本兵34名が降伏し、本当の意味でのペリリュー戦が集結した。
で・・・陸軍兵22名、海軍兵8名、軍属4名の、この34名を“34士”と呼んでいる。
彼らは、その後「三十四会(みとし・かい)」という親睦団体を作って交流を続けていたようである。
「三十四」で「みとし」・・・「みとし」は茨城県の「水戸市」と語呂が合う。(笑)
現在ではこの34名の方々も多くがお亡くなりになり、会は解散しているそうである。

この34名の「最後の日本兵」が潜んでいた洞窟に向かうのである!

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ジャングルの中を一列になって進むが・・・
誰も後ろの人のことを気にかけない・・・
というわけで、列が途切れて・・・迷子!(大汗)
おい、おい、少しは周囲に気を配れよぉ~(怒)
そのうち、先導役のガイドが道に迷った!(唖然)
「停止!停止!」
ガイドが洞窟を探している間、小休止・・・・
とにかく、ジャングルの中は迷子になり易い・・・
しかも、地面は隆起珊瑚礁で出来ていて凸凹・・・
さらにそこに木の根っこが這い回っているから歩きづらい・・・
足首を捻挫しかねない・・・
特に、高齢者と女性にはキツイだろう。
バランスを崩してひっくり返ったら大怪我をしかねない。
珊瑚の岩は刃物のように尖っているのだ。

足場の悪いところに立ち続けるというのは、なかなか辛いものがある。
で・・・高齢者やご婦人方に手を貸して、少しでも安定した場所に誘導する。
「親切ですねぇ~」と言われたが、拙者は格段、親切な男というわけではない。(笑)
怪我人が出ると、予定が狂うのである。
予定が狂うと、見に行く予定の場所に行けなくなる可能性がでてくる。
それでは困る・・・
というわけで、予定を狂わせられたら困るから、あらかじめ“防衛策”をとっているだけなのである。(大笑)

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ようやく洞窟が見つかったようである。
移動開始!
「お~い!」
「どこだぁ~?」
「ここ!」
「ここ・・・って・・・どこだぁ~?」
多分、数メートルしか離れていないと思うんだけど、ジャングルの中では声はすれど姿が見えぬ・・・
これがジャングルの怖いところ・・・・
ジャングル戦の難しいところである。(笑)

無事に洞窟に到着!

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ここが洞窟の入口・・・
分かりづらいと思いますが・・・分かりづらいから戦後2年間も潜んでいられたわけで・・・(苦笑)
洞窟と言うより、地面に見える「割れ目」という感じ・・・・
この狭い穴に一人づつ入る。

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内部には入れるのは、せいぜい2名が限度・・・・

今回のツアーでの「持ち物」に手袋と懐中電灯の持参が明示されていなかった。
おかしいなとは思ったのだが・・・案の定、こういう時は不便である。
拙者は前回の経験があるので、持参して来たが・・・(笑)
手袋は、軍手ではダメ・・・皮製の手袋でなければ珊瑚の岩で切れてしまう。
懐中電灯は当然、必需品である。
その懐中電灯を持っていない人が多いので、途中から拙者が先に内部に入り照らして、続いて一人入って来てもらうことにした。
女性が入ってくるとき・・・周囲が大騒ぎ・・・
「変なことをされないように気をつけてくださぁ~い!(大笑)
「なぬ!こら!俺がそんなことをするわけないだろ!」(怒)

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洞窟の内部は“ウナギの寝床”のように、奥に長く延びている。
が・・・かなり土砂が流入したのだろうか?
天井までの高さがかなり低く、四つんばいに近い格好でないと奥には行けない。
しかも地面には水が溜まっておりドロドロ・・・・
片手で懐中電灯を持ち、片手で写真を撮るというのは、かなり無理がある。
三脚でもないと・・・・このように写真がブレる・・・・(大涙)

この洞窟に“最後の日本兵”である34人全員が住んでいたわけではない。
いくつかのグループに分かれて生活していたようで、そのうちの一つが、この洞窟である。
他にも何箇所かあるのだろうが・・・・
この割れ目のような入口では、探し出すのは難しいだろうなぁ~

この34名の生還者の中に“モリシマさん”という兵隊がいた・・・
実は、拙者が青年会議所の理事をしていた時に理事長をしていた“モリシマさん”のお父さんである。
当時は知らなかったが、3年前、ペリリュー島へ行った話をしたときにわかった。(笑)
あらぁ~・・・世の中って狭いね・・・(苦笑)
“モリシマ上等兵”の名前は知っていたが、まさか、“モリシマさん”のお父さんとはねぇ~(汗)
お父さんは、戦後、再訪問はしていなかったようで、一度、再訪問したいと言っておられたようだが・・・
念願叶わぬまま、残念ながら、すでにお亡くなりになっている。

この洞窟で生活していたのだろうか?・・・・
息子さんである“モリシマ元理事長”に写真を見せてあげようと撮ってはみたが・・・このブレた写真ではなぁ~(涙)
ダメだな・・・

時刻は午後2時を過ぎた・・・・
次に向かったのは『戦争博物館』・・・・
4年前に来た時は、開いていなかったので見学できなかった。
今回、初めての訪問である。
博物館好きの拙者としては、ワクワクである!(大喜)

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博物館の建物は、厚いコンクリートで出来た建物・・・・
日本海軍の倉庫に使われていたらしい。

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で・・・米軍がこの建物を占領した後は、米軍の応急救護所として使用されたらしい。
当時、米軍が撮った写真が博物館内に展示されていた。

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博物館内には、日米両軍の資料が展示されてあったが・・・
残念ながら英文の解説には日本語の訳文は付いていない・・・
いかに日本人の来島者が少ないか・・・ということがわかる。(残念!)

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ここに、「最後の日本兵」たちが投降した時の写真も展示されている。
34名のうちの28名が、まとまって投降したようである。
残り6名は別の場所で投降したのだろう。

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旅行 | 13:35:54 | Comments(0)
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