■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
慰霊碑を参拝
今日は、戦跡を回りながら、ついでに(笑)、ペリリュー小学校で行われる「日米合同慰霊祭」に参列する予定である。
先ず最初に向かったのは「北波止場」・・・・
この港のターミナルで、“イズミ教官”から、戦史の説明を受ける。

255_convert_20141116195331.jpg

港には、英語と日本語で看板が出ていた・・・
4年前には、こんなものはなかったはずだが・・・(笑)
港には、アメリカ海兵隊の連中が集まっていた。
どうも到着したばかりのようで、ボートから楽器を運んでいる。
どうやら日米合同慰霊祭に参加する軍楽隊のようである。
御苦労様である。

256_convert_20141116195749.jpg 257_convert_20141116195854.jpg

ここ、「北波止場」は当時「ガルコル波止場」と呼ばれた場所である。

258_convert_20141116200659.jpg

沖に見える、左側の島が「ガドブス島」・・・・・
その右に、「コンガウル島」という小さな島が見える・・・・
昭和19年9月23日から24日にかけて、この港に日本軍の“逆上陸部隊”が到着している。
すでに米軍が上陸し、戦闘が始まっており、その敵の包囲網を突破して、追っかけ上陸するのを“逆上陸”と呼ぶ。
いわゆる増援部隊なのだが・・・
敵が既に上陸しているところへ上陸しようというんだから、言葉としては「逆上陸」なんて格好良さそうだが、実際には成功する確率は低い・・・
拙者の祖父はフィリピンのレイテ島への逆上陸部隊に指定された・・・
出撃の朝、敵の空襲で海軍の護衛を得られなくなり、逆上陸作戦は中止されたが・・・・
あの時、出撃していたら、レイテ島沖か、海岸で祖父は戦死していただろう。(大汗)
間一髪で命を拾っている。
うまく上陸しても、既に米軍が上陸して守備隊を攻撃している最中である・・・
玉砕は避けられまい。
「逆上陸部隊」は、「決死隊」と同じなのである。
このペリリュー島に逆上陸したのは、群馬県高崎で編成された歩兵第15連隊第2大隊(飯田大隊)である。
パラオ本島から鈍足の舟艇に乗りペリリュー島に向かう・・・
先遣隊と本隊とに分かれて、順次出発したようで、途中、敵の空襲などで、弱冠の戦死者を出したが、両方の部隊とも、無事に逆上陸に成功している。
ほとんど奇跡に近い・・・いや、まさしく奇跡だと思う。
が・・・飯田大隊長が掌握できた兵力は、先遣隊を含めて400名程度だったという。
たった400名程度を送ったところで、戦局がどうなるものでもないと思うが・・・・(汗)
当事者としては難しいところだろうなぁ~
ペリリュー島を見捨てるわけには行かぬが、遅かれ早かれ守備隊が全滅するのは分かっていたはずである。
むざむざと400名もの人間を死地に投じていいものなのか?・・・
平和な現在の価値観でいうと、そうなるが・・・あの当時としては、やむにやまれぬ大和魂・・・か・・・
人命より大事なものがあったのだろう・・・なぁ・・・・
今とは違って・・・・
人間は、いつかは必ず死ぬのである・・・
どう生きて、どう死ぬのか・・何のために生きて、何のために死ぬのか・・・が大事なのかも。
ただただ、長生き出来れば、それでいい・・・・というものではなかったのだろう。

261_convert_20141116204727.jpg 262_convert_20141116205037.jpg

この「ガルコル波止場」に向かう、島の北側を走る、通称「浜街道」沿いに日本軍のトーチカが残っている。
かなりシッカリとしたコンクリートのトーチカである。
このトーチカのすぐそばにあるのが、「水戸山」と呼ばれた山・・・
海から見ると平坦にしか見えない島だから、「山」と呼ぶほどのものではないと思うが・・・(汗)
小高い丘・・・・というのが正確かな?
その「水戸山」の麓に「千人洞窟」と名付けられた洞窟陣地がある。

266_convert_20141116211625.jpg

この洞窟陣地は、北地区隊の独立歩兵第346大隊(引野大隊)の本部があった場所だとのこと。
この部隊は、あちらこちらから兵隊を寄せ集めた部隊である。
「独立歩兵・・・・」と名付けられた部隊は、だいたい、そういう編成である。
指揮官の引野大隊長も部隊の統率には苦労したのではなかろうか・・・という気がするが・・・

この洞窟陣地の内部は、縦横に坑道が走り、さらに枝葉のように分かれていて迷子になり易い・・・(笑)
“観光用”に指定されたルートだけを見て歩く・・・

267_convert_20141116212352.jpg 269_convert_20141116212448.jpg

真っ暗な洞窟の中で写真を撮るのは難しい・・・・
真っ暗だとオートフォーカスが使えない・・・・センサーが被写体を捉えられない。
かといって、ストロボを使いたくはない。(笑)
ノッペリとした写真になってしまうのだ。(涙)
で・・・懐中電灯の光を被写体に当てながらストロボを使わずに撮ってみたのだが・・・
ブレる・・・(涙)
拙者は、写真撮影の技術が全く無い・・・(大汗)
プロのカメラマンの指導を受けて“お勉強”でもすればいいのだろうが・・・・(笑)
根っからの勉強嫌いだからなぁ~・・・・加えて記憶力は悪いから、すぐに忘れてしまうし・・・・(大笑)
で・・・自己流で撮影・・・・
やっぱり、うまくいかぬ。(大涙)

ツアーだと、そうそう、ゆっくりとも出来ぬ。
何度も試してみて・・・などという余裕も無い。
我がツアーの中には、他人の迷惑を顧みず、じっくりと撮影している人もいるが・・・
こういう自己中心的な人は迷惑である!(怒)
「いつまでもそこに立ち止まるなよ!」「他の人が撮影できねぇだろ!」と怒鳴りたい気持ちを抑える・・・
こういう場合、ツアーは最悪である。
個人ならば、いくらでも撮影のやり直しができるだろうが・・・
しかし、一人で洞窟に入るとロクなことはない・・・
以前、ラバウルの洞窟陣地の中で迷子になり、危うく“遭難”しかけたことがある。
あの恐怖は今もって忘れられない・・・(大汗)
あの“事件”以降、拙者は洞窟探検が少々苦手となった・・・
こういうのを「トラウマ」と言うのか?

277_convert_20141116215001.jpg 276_convert_20141116215054.jpg

この洞窟陣地のすぐ近くに、コンクリートで造られた壁のようなものがある。
ここも陣地跡・・・・
銃眼があり、「浜街道」を挟んで海のほうを睨んでいる。
今は橋桁しか残っていないが、ガドブス島を結ぶ橋が架かっていた・・・
敵がガドブス島に上陸し、この橋を渡ってこちらに向かってくる場合を想定して造られたものかもしれない。
位置的からして、そんな感じ・・・・

次に向かったのは、我が“民宿”のすぐ近くにある米軍の慰霊碑・・・・

279_convert_20141117084355.jpg

米第81歩兵師団(ニックネーム:ワイルドキャット)の歩兵連隊の慰霊碑である。
プレートには「RCT-321」と書かれている。
“RCT”とは「レジメンタル・コンバット・チーム」の略なのだが・・・・
日本語にする場合、何と言えばいいのだろう?(汗)
「第321連隊戦闘チーム」?
「第321戦闘チーム連隊」???
どうも日本軍には無い軍隊区分は日本語に訳しづらい・・・
日本流にいうと「支隊」みたいなものなんだろうなぁ~
主体となる部隊が「第321連隊」で、それにいくつかの小部隊が配属となり「チーム」(支隊)を構成している・・・という感じではなかろうか?

それにしても、また“民宿”にもどるくらいなら、最初にここを見てから北波止場へ向かえばいいものを・・・(笑)
島の中を行ったり来たり・・・・である。
まぁ、小さな島だから、順序良く見ていくと、あっという間に見終わってしまうからなのか?
無駄な動きをしているような気がするが、時間稼ぎ・・・ということなら仕方が無いか・・・(大笑)
しかし、何にもまして困るのは、行ったり来たりしているうちに、位置関係が良く分からなくなるのである。(大笑)
拙者は方向音痴だし・・・
戦闘の推移にあわせて順序良く回ってくれると、分かりやすいのだが・・・・(涙)

この近くには、日本軍の通信施設だか何かの施設の廃墟がある。
しかし、ここには行かないようで・・・・(汗)
つい、口を出したくなるのだが・・・・我慢、我慢・・・(大笑)

次に向かったのは、日本軍の慰霊碑のある場所・・・・
さて・・・これが島のどの辺りにあるのか・・・方向音痴の拙者はサッパリわかっていない・・・(大笑)
場所の正式名も良く分からない。
「みたま」と呼んでいるらしいが・・・島の墓地の一角にある。

282_convert_20141117093116.jpg

4年前に訪問した時は、かなり荒れていたが・・・・
今回来てみたら、ずいぶん綺麗に整備されていた。



296_convert_20141117102811.jpg

慰霊碑
尊い平和のため勇敢に戦ったペリリュー島守備隊の冥福を祈り永久に其の功績を傳称し感謝と敬仰の誠を此処に捧げます

水戸歩兵第2聯隊高崎歩兵15聯隊海軍部隊同配属各隊並びにこの島で戦病没した人々のために

1968年1月17日「サクラサクラ」の印税を以て生存者船坂弘建立同島遺族戦友関係
毎日新聞社大盛堂書店下野新聞社茨城新聞社上毛新聞社パラオサクラ会協力
船坂謹書

(碑文より)


284_convert_20141117093252.jpg

『戦車隊の英霊よ やすらかに』
ペリリュー島戦車隊の会
建立 1986

部隊史
昭和19年
3月5日 満州勃利に於て第14師団戦車隊として編成完結
3月28日 大連港より東山丸、能登丸に分乗して征途に就く
4月28日 コロール島に兵器、人員の揚陸完了。ガスパン村に移住
5月16日 ペリリュー島に派遣。歩兵第2連隊長の指揮下に入る。中の台附近に陣地構築。出撃訓練に従事
9月15日 島南部より米軍上陸。反撃命令により出撃。飛行場附近に於て敵と遭遇。良く敢斗せるも戦車隊主力壊滅
9月21日 残存兵力は歩兵部隊に合流。水府山および中の台附近にて敵の前進を阻止、敢斗せるも全員玉砕
九五式戦車17両を基幹。通称 照4363部隊
天野国臣隊長以下128名戦死

(碑文より)

288_convert_20141117095057.jpg

『砲兵隊慰霊碑』

追悼
此処ペリリューの地に砲兵小林与平中佐以下660有余名並びに飯田大隊所属砲兵永遠に眠る
野砲20連隊明治38年創立宇都宮の地より満州818部隊としてチチハルに駐屯昭和19年2月動員編成により第14師団各歩兵連隊砲兵隊として分割配属となる
同年4月24日パラオ島到着歩兵2連隊砲兵大隊としてペリリュー島守備の任に就く
9月6日米軍来襲15日上陸守備隊は連日激斗を展開11月25日全員玉砕す
戦後48年我等老境に入るも憶は深く未だ亡き戦友の面影は消えず
この度ベラウ共和国ペリリュー島の皆様の理解と協力を得砲兵隊生還者並びに関係者有志相寄り供養の碑を建立亡き戦友の霊に捧ぐ

平成4年11月
照集団パラオ砲兵隊慰霊碑建立会

(碑文より)



298_convert_20141117104818.jpg

慰霊碑にお線香を供え・・・・全員で「君が代」と「海ゆかば」を斉唱。
ソングリーダーは某氏が務めたが・・・・
彼は若いせいもあってか、歌い慣れているせいもあってか・・・・出だしのキーが高いのである!(大笑)
「君が代」をそんな高いキーで歌い始められては、こちらとしては、途中で声が出なくなる・・・(大汗)
だいたい、「君が代」は誰が作曲したんだろ?
キーが高いんだよなぁ~(怒)
最初に、相当、低く出ないと・・・・「ちぃ~よぉにぃいい~やぁ~ち~よぉ~にぃ~」の部分で声が出なくなっちゃうんですけど・・・(大笑)
加えて「さざれぇ~い~しぃ~のぉ~」でもヒーヒー言うようになっちゃうんですけど・・・
さらに「こけぇのぉ~むぅ~すぅ~まぁああ~でぇ~」も・・・ヒィ~!(大笑)
お~い・・・勘弁してくれぇ~
マイペースなソングリーダーは迷惑である・・・(大笑)
スポンサーサイト


旅行 | 10:34:23 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。