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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ペリリュー島の戦跡めぐり
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到着後、港のターミナルで、“イズミ教官”よりペリリュー戦の概要の説明を受ける。
で・・・・
「さて・・・もう夕方ですが、どうしましょうか?」
「日没ギリギリまで、回れるところを回ったらどうでしょうか?」と、またまた生意気にも意見を言わせてもらう。(笑)
見て回るルートを、再検討してもらい・・・
マイクロバスに乗り込んで・・・
戦跡めぐりに出発する!(喜)

最初に向かったのは・・・零戦の残骸・・・・

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4年前に訪れた時は、この周辺は泥濘になって近づくのが難しかった。
もしかして、以前は沼地だったのかも知れない。
今回は、地面が乾いていたので、近づけた・・・
零戦の操縦席周辺の胴体だけが残っている。
後部の尾翼部分は無くなっているが・・・・
もしかしたら、土の中に埋まっているのかも・・・
周囲はジャングル・・・・周辺の木をもう少し切れば、全容が掴めるかも・・・

次に向かったのは、「オレンジビーチ」・・・・
アンガウル島だけではなく、ここにも「オレンジビーチ」があるが・・・(笑)
浜辺がオレンジ色だからというわけではない。
「オレンジ」は、米軍の上陸地点の名称で、米軍は上陸地点を色分けして呼んでいた。
「ホワイト1」「ホワイト2」「オレンジ1」「オレンジ2」「オレンジ3」・・・・
島の西にある同一海岸(西浜海岸)であるが、全部で5箇所に上陸地点を分けていた。

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ここは、そのうちのひとつ・・・・1なのか2なのか3なのかは知らないけど・・・(笑)
昭和19年9月15日に米第1海兵師団の約2万1千名が上陸したのがこの場所である。

守る日本軍は、我が茨城県の郷土部隊である水戸の歩兵第2連隊を主体とする約1万500名・・・・
その中で、ここ「西浜海岸」の守備に当たったのは、歩兵第2連隊第2大隊(大隊長:富田大尉)を主力とする「西地区隊」である。

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海岸は波一つ立っていない・・・・
遠くに珊瑚礁の環礁があるので、そこで波が遮られているのだろう。
シ~ン・・・・とした静けさ・・・・
これが海とはねぇ~・・・・まるで巨大な沼か池という感じ・・・
で・・・水面はまるで鏡のようで・・・・
空の景色がそのまま映る・・・・

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この海岸から少し入ったところに米軍の記念碑が建っている。
米陸軍第81歩兵師団の記念碑である。
この海岸に上陸した米第1海兵師団は、ガダルカナル島やニューギニアで戦った実戦経験の豊富な部隊である。
それが、上陸6日目には壊滅的な損害を蒙る。
戦死傷者が全体の60%を超え、「全滅」と判定されたのである。
そこで、第81歩兵師団、約2万名と交替・・・・
日本軍の抵抗のすごさがよくわかる。
正直言って、ざまぁ~みろ・・・である。(大笑)
壊滅状態になった海兵隊の顕彰碑(記念碑?慰霊碑?)ではなく、あとからやってきた第81歩兵師団の記念碑がここに建っているとはねぇ~(笑)

4年前にペリリュー島に来た時に、偶然、海兵第1師団の衛生兵だった生還者とお会いしたので、個人的に当時のお話を伺ったことがある。
「第1海兵師団ですか!ニューギニアでも戦ってますよね?」
「よく知ってるね~あんた・・・でもね、私はそのときは軍隊に入っていなくて、その後に入ったんだよね。だからペリリュー島での戦闘が初めての経験なんだ」とおっしゃる。
で・・・
海兵隊には衛生兵というのは、なぜなのか存在しないのだそうで・・・(汗)
勇猛果敢で知られる海兵隊だから怪我人も死人も出ないと思っていたのか?
そういうことはあるまいが・・・(笑)
海軍の衛生兵が、海兵隊に配属になって戦場に送られたという。
この“おじいちゃん”も、入隊したのは海軍だそうで・・・海軍の衛生兵・・・・
で・・・海兵隊に配属となったという。
17歳で入隊したとおっしゃる・・・
その若さで、手足が吹っ飛んでいたり頭が無くなっていたり、内臓がはみ出しているような悲惨な負傷者や戦死者を見たのだろうなぁ~
あっちもこっちも血だらけですよ・・・・
ゲゲゲッ・・・・である。(大汗)
当時の話を伺い、最後にこの“おじいちゃん”が何か話し始めたのだが、よくわからない・・・・
アメリカに来ることがあったら是非我が家に遊びに来いと言っているような気もするが・・・(笑)
で・・・・拙者は、つい、言ってしまったのである!
「アイ・ドント・アンダースタンド・イングリッシュ!」(私は英語がわかりません!)
周囲にいたアメリカ人が全員、コケた!(唖然)
一緒にいた4~5人のアメリカ人が、本当に”コケ”たのである!(大汗)
で・・・全員が一斉に拙者を指さし・・・「ヘイ!ユー!」
「俺達でも難しくてわからない話を、お前は分かっていたじゃないか。なんで英語が分かりませんと言うのだ?」と口々に言うのである。(苦笑)
「いや、いや、私は戦争の話なら分かるのですが・・・普通の会話は全然分からないのです」と答えたのだが・・・
どうも理解できないらしい・・・
「だって、あんな難しい話を理解できたんだろ?」
「はい、わかりましたが・・・」
「じゃ、なんで英語が出来ないと言うんだ?」
「え?・・・え~と・・・英会話ができないのです・・・」(苦笑)
「信じられない・・・」(唖然)
明らかに怪訝な顔・・・・(大笑)
こっちだって、理解できないよ・・・・
明らかに戦後生まれのアメリカ人たちだが・・・・アメリカ人でしょ?英語は得意でしょ?(大笑)
なんで戦時中の話が分からないのかね?
“おじいさん”は英語で話してるんですけど・・・・(大笑)

あれは楽しい思い出である・・・・
拙者は“ご機嫌いかがですか?”のような一般会話になると、途端に頭の中が真っ白になってしまうのである!(大涙)
でも、戦争の話は、なぜかスラスラと頭に入ってくるのである。
で・・・頭の中に映像として浮かぶ・・・
だから「ですよね!そうですよね!」と話が盛り上がってしまうのである。(苦笑)
あの“おじさん”は杖をついてヨロヨロと歩く方だったが、年齢的には拙者の親父より1歳か2歳年上・・・・という方だった。
今年、87歳か88歳ぐらいになるだろう。
拙者の予備知識が貧弱だったので、あまり詳しい話が出来なかったが・・・・
「皆さんが上陸した時に、私の故郷の“茨城県”出身の兵隊が皆さんを攻撃したのです!」
「へぇ~そうなのかい?」
「ここあたりに機関銃陣地をつくりましてね。ここから撃って・・・こっちにも陣地があって、こっちからも・・・」
「あ~そうそう、横から来たよ、弾が・・・ありゃ、すごかった・・・頭が上げられなかった・・・なにせ私は18歳だろ。怖くてねぇ~」(苦笑)
「そうですよねぇ~」(笑)
もっとお話をしたかったが・・・・拙者の知識が不足していた・・・(大汗)
特に、米第1海兵師団については、ほとんど具体的な知識がなかった。
あ~あ~・・・もっと色々知っていたらなぁ~・・・もっと話が盛り上がっただろうなぁ~(苦笑)

あの“おじいさん”はお元気だろうか・・・・
ふと、思い出した・・・・
懐かしい思い出と、寂しい思いが交差する・・・・
もう会うことはないんだろうなぁ~
「一期一会」というのは、正直言ってツライ・・・・(涙)

次に向かったのは、日本軍の滑走路の近くにある戦車の残骸・・・・
この島に派遣されていた第14師団戦車隊に所属していた九五式軽戦車である。

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敵の攻撃を受けて砲塔部分が吹き飛んでしまい、車体のみが残っている。
たぶんこの戦車だと思うが・・・
戦闘終了後に米軍が写真を撮っている。
その写真では、この戦車の横に、黒焦げになった戦車兵の遺体が写っていた。
あのご遺体は、その後、どうなったのだろう・・・・
この戦車隊には、我が戦車第2師団・戦車第10連隊に一時期在隊していた人達が転属となっている。
というわけで・・・・ほんの僅かな期間しか在隊していなかったのだろうが、我が戦友会にも縁があるといえば、あるかも・・・・
我が戦友・・・・
あの黒焦げの戦車兵が倒れていたのは、このあたりだろうか・・・と一人で戦車の周りをウロウロする。

時刻は午後5時を過ぎた・・・・
日がかなり傾いてきている。
急がねばなるまい・・・・(笑)
みんな・・・モタモタしないで急いでくれぇ~(・・・・と内心で叫ぶ)(大笑)

次に向かったのは、守備隊の司令部跡・・・・
当初は、海軍の司令部として建てられた建物であるが、その後、陸海軍共同の司令部になったらしい。

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弾痕が今も残る・・・・廃墟である。

時刻は5時半・・・・
ここで今日の戦跡めぐりは終了・・・・

ホテルに向かって移動・・・・
ペリリュー島には我々21名が宿泊できるような大きな宿泊施設はない・・・(大笑)
しかも、ほとんどの皆さんが「一人部屋」希望のようで・・・・
なおさら・・・無理・・・・(大笑)
拙者も、いつも追加料金を払って「一人部屋」をお願いしているが、今回は、部屋数が足りないので我慢してくれと事前に連絡があった。
ペリリュー島なら仕方がない・・・・現地の事情は知っているから快諾。(大笑)
で・・・・宿泊は2つのホテルに分かれることとなる。
拙者は、「マユミイン」という宿泊施設・・・・
う~ん・・・・民宿と言うか・・・ほとんど合宿所・・・・というか・・・(大笑)
4年前に泊まった事があるので、拙者には異存なし!(笑)
「マユミイン」には15名が、もう一つの「アイランドイン」には6名が分かれて宿泊することとなる。

で・・・到着してみて驚いた・・・・
直ぐ隣りに隣接して売店があったのだが・・・・

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台風だか高波だかで破壊されて廃墟となっていた!(唖然)
修復不能ということで、廃業してしまったらしい・・・・
あらら・・・・便利だったのに・・・・(涙)

この民宿には部屋が5つほどあるが・・・・・
その中の「大部屋」は、無理すりゃ10人は寝れるだろうという広さ・・・・
拙者はここの部屋で“雑魚寝”ということになる。
が・・・・部屋の両隅にベッドが1つづつ・・・・
添乗員の“アサダさん”から、個室が取れなかったので、申し訳ないからベッドを使ってくれとのこと。
7名ほどで寝るのだが、ベッドに寝るのは添乗員と拙者の2人・・・
他の人は、床に布団を敷いて寝る・・・
拙者より年長の“高齢者”を床に寝かして、拙者がベッドというのも気が引けるが・・・・(汗)
まぁ、ご指名だから・・・・ということで、ベッドを使わせてもらう。
ベッドの上に胡坐をかいて座っていたら、皆から「まるで牢名主のように見えますねぇ~」とからかわれた。(大笑)

チェックイン後、さっそくシャワーを浴びる・・・・
シャワー室とトイレが共用になっている。
これが4つほどある。
シャワーの水は雨水を貯めたものである。
シャワー室(トイレ)によって、お湯が出る部屋と出ない部屋とがある。
つまり、かなりのオンボロである。(大笑)
一応、皆さんにシャワー室(トイレ)の使い方を、余計なお世話でしょうが、教授・・・・(大笑)

シャワー後、買物に行きたいという人を引き連れて、近所の商店に買物に行く。
ちなみに、パラオ共和国の通貨は、米ドルである。
真っ暗な夜道を懐中電灯を手に買物へ・・・・
途中、放し飼いの大きな犬に吼えられ真っ青に・・・・(大笑)

夜空は綺麗・・・・満天の星空である!
さて・・・南十字星は、どれだろうと探したが、わからない・・・・
オーストラリアに続いて、またもや失敗・・・・
あとでガイドに聞いたら、今は、見えないとか・・・
十字星のてっぺんの星が見えるかどうかじゃないかという・・・(汗)

夕食は、「マユミイン」の食堂で・・・・
他の民宿に泊まったメンバーも合流・・・
しかし・・・突然の停電!!(唖然)
真っ暗である・・・・
懐中電灯の光だけが頼りとなる。
拙者は洞窟探検を想定してLEDのかなり明るい懐中電灯を持参してきたから良かったが・・・・
ペリリュー島へ行くなら懐中電灯は、とりあえず持って行った方がいい。(笑)
停電の原因は、よくわからない。
この民宿だけが停電である。(大笑)
工事業者が来て、なにやらやっていましたが・・・・
20分ほどで回復すると言っていましたが・・・・
なんのなんの、とんでもなく時間がかかったのであります。(大笑)
まぁ~南の島だしねぇ~
本人は大特急でやっているつもりなのでしょうが・・・・(大笑)
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旅行 | 14:39:49 | Comments(0)
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