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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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飛鳥山碑
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東京都指定有形文化財(古文書)
飛鳥山碑(あすかやまのひ)

所在地 北区王子1-1-3
指定   大正15年4月

8代将軍徳川吉宗は飛鳥山を整備し、遊園として一般庶民に開放した。
これを記念して、王子権現社別当金輪寺の住職宥衛が、元文2年(1737)に碑を建立した。
石材は、紀州から献上されて江戸城内滝見亭にあったものである。
碑文は、幕府の儒臣成島道筑(錦江)によるものである。
篆額は、尾張の医者山田宗純の書である。
建立にいたる経緯については、道筑の子和鼎(かずさだ)(龍洲)の「飛鳥山碑始末」に詳しい。
碑文の文体は、中国の五経の一つである尚書の文体を意識して格調高く書かれている。
吉宗の治政が行き届いて太平の世であることを喧伝したものと考えられる。
碑は、総高218.5cm、幅215cm、厚さ34.5cm。
元享年中(1321~24)に豊島氏が王子権現(現在の王子神社)を勧請したことが記されている。
続いて、王子・飛鳥山・音無川の地名の由来や、土地の人々が王子権現を祀り続けてきたことが記される。
最後に、吉宗が飛鳥山に花木の植樹を行い、王子権現社に寄進した経緯などが記される。
異体字や古字を用い、石材の傷を避けて文字を斜めにするなど難解であるが、飛鳥山の変遷を理解する上で重要な資料である。

平成23年3月 建設
東京都教育委員会

(説明板より)

【東京都北区・飛鳥山公園内】
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史跡 | 11:15:05 | Comments(0)
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