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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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大隊本部跡に行く
アンヘレスに向かう途中、「サパン・バトゥ」という場所を通過する。
“タケウチさん”の話では、この辺り一帯が「サパン・バトゥ」だそうで・・・・

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このサパン・バトゥというところで日本軍の戦車部隊が米軍の攻撃を受けて全滅したと“ディソンさん”が以前話してくれた。
その場所は、どこかなと思ったのだが・・・・
これじゃわからん・・・(汗)
日本軍の戦車隊が壊滅的打撃を受けたというと・・・
1月28日と29日の戦闘ではなかろうか?
28日に岩下戦車中隊(独立第8戦車中隊)がマルコット飛行場に進出した米軍に反撃を加え、岩下中隊長以下30名と戦車7両が返り討ちに遭い壊滅した。
29日にはストッチェンバーグに進出した米129連隊に対し、戦車6~8両が反撃に出たが、4両が撃破された。
この両日の戦闘のいずれかが、ここサパン・バトゥで行われたと思うのだが・・・
拙者の知る限り、戦史には、サパン・バトゥの名は出てこない。
が・・・“ディソンさん”の話では、そこで壊滅したという。
本人が破壊された戦車を見たというのだから、本当なんだろうなぁ~
この両日の戦闘で生き残ったのは35名、戦車は3両だったという。
柳本大隊指揮下の岩下戦車中隊はこの戦闘で実質、“玉砕”したという・・・・

サパン・バトゥという場所は思ったより広い地域のようである。
どこで日本軍の戦車が撃破されたのかは、“ディソンさん”に案内していただかないとわからないのだが、健康上の理由で、外出は出来ない様子・・・・
そこを何とか・・・というわけにはいかないから・・・ピンポイントで現場を確認するのは永遠に無理かも・・・
今さら、そんな場所を確認したところで、どうにかなるものではないのだが・・・
多くの戦車兵の血が染み込んだその場所で・・・出来れば慰霊をしたいものだ・・・
次回、機会があったら詳しく調べてみるか・・・

アンヘレスの市内に入り、ショッピングモールのレストランで昼食・・・
時刻は午後2時である!
もう腹ペコ・・・(大笑)

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“ディソンさん”宅を訪問するには、まだ時間が早い・・・(笑)
そこで、その前に、柳本大隊が駐屯していた場所に“ヤナギモトさん”をご案内することにする。
ここは前回、下見済みである。(笑)
向かったのは「ホーリー・ロザリー・パリッシュ・チャーチ・グランド」という教会・・・

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歴史のある古い教会である。
このすぐ隣りにあるのが「ホリー・ファミリー・アカデミー」という学校・・・・
ここに柳本大隊本部があった。

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柳本大隊が、ここに駐屯したのは昭和20年1月10日頃のことではないかと思う。
米軍がリンガエン湾に上陸した翌日あたりである。
ここに連隊本部と主力を置き、一部の兵力を「マガラン」という場所に配置した。
1月23日早朝、進撃する米軍と「マガラン」に配置された第8中隊の間で戦闘が開始された。
大隊本部は応援に急行、さらに「コンセプション」という場所まで追撃する。
「サンイシドロ」という場所で小休止中、別の方面から進撃してきた米軍の攻撃を受け交戦・・・・
この時に4名の兵士が戦死。
柳本大隊は、やむなくアンヘレスに撤収する。
1月25日、柳本大隊長は斬り込み夜襲を計画し、この教会の鐘楼に各中隊長を集め、鐘楼から周囲の景色を見ながら夜襲の進路等の指示をしている。
う~ん・・・右と左・・・どっちの鐘楼に登ったんだろう・・・(笑)

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これらの戦史を“ヤナギモトさん”に説明・・・
「へぇ~よく知ってますねぇ~」(唖然)
・・・と半分呆れられたが・・・(大笑)
実の息子より他人の拙者の方がお父さんの行動を知っているって、どういうことよ・・・ということかな?(大笑)

「あの鐘楼に登ってみたいですよねぇ~。お父さんがどんな景色を見たのか・・・見てみたいもんですよね?」
ということで・・・教会の中に入ってみる。(笑)

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教会の中では結婚式が執り行われていた・・・
あら・・・ちょっとマズイかも・・・(笑)
退散する!(大笑)

1月27日の夜半、柳本大隊は夜襲のためアンヘレスの北にある「偽飛行場」まで進出する。
その「偽飛行場」が、どこにあるのかは知らないが・・・(汗)
そこまで進出したが、当初の計画よりかなり時間がかかってしまったようで・・・・・
このまま進んでも敵陣に辿り着くころには日が昇ってしまうと判断・・・・
夜襲を断念する。
鐘楼から見たルートは、見た目より遠かったのかな?(笑)
夜襲を断念して反転する途中、当初、斬り込みをかける予定ではなかった別の敵砲兵陣地を背後から襲撃して敵陣の中を突破するという荒っぽいことをしたようである。
この時に戦死者36名を出しているというから、かなりの激戦だったに違いない。
柳本大隊は、敵陣を襲ったあと「ストッチャンバーグ」に入る。
「ストッチェンバーグ」は現在、クラーク博物館のある辺りである。

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柳本大隊本部が置かれた、この教会と学校の前の道は幹線道路となっているが、当時は、これほど道幅が広かったかどうかは知らないが、やはり幹線道路だったようである。
その道の教会とは反対側に、ちょっと古めかしい建物が・・・(笑)
“タケウチさん”の話では、“ディソンさん”の博物館だという。
ん?どういうことかな?(笑)

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“ディソンさんの博物館”と呼ばれている建物のエントランスは現在工事中だった。

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その隣りは、最近出来たのだろうか・・・警察署(交番かな?)

ちょっとその“ディソンさんの博物館”と呼ばれている建物の中に入ってみる。(笑)
受付の人と話をして見たら、どうも画家である“ディソンさん”の絵が展示されているのだとか。
ちょっと覗いてみたい気もしたが、時間に余裕がないので今回はやめておく。(汗)
雰囲気では、どうも郷土資料館のような気がする・・・(笑)
受付の青年に、このアンヘレスの歴史、特に戦時中のことについて書かれているような資料がないか尋ねてみたら、そういうものはないと言う。
が・・・1冊だけ、そういう本があると持ってきたのが、なんと、“ディソンさん”の著書だった!(驚)
しかし、もう絶版になっていて、ここに1冊あるだけなので売るわけにはいかないという。
まぁ~そうでしょうねぇ~(汗)
これから“ディソンさん”に会いに行くんだと話したら驚いていた。(大笑)
そこへ、“ヤナギモトさん”が入って来たので、彼は柳本大隊長の息子さんで、柳本大隊は目の前の教会に本部を置いていたのだが、当時のことに関して何かしらないかと尋ねてみた。
が・・・「日本軍がここにいたんですか!」と驚くばかり・・・(大笑)
あらら・・・まぁ仕方がないか・・・拙者より若いんだし・・・・戦時中の事なんか知らないよね・・・(汗)
尋ねた拙者がマヌケだった・・・(大汗)

時刻は午後3時45分・・・・そろそろ“ディソンさん”のお宅に向かう時間である。
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旅行 | 17:27:58 | Comments(0)
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