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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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戦跡がゴルフ場に!(汗)
次に向かったのは・・・・“レジャー施設”(笑)

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一応・・・西部劇の町を模しているらしいのですが・・・(笑)
誰もいない・・・・(唖然)
やってるのか、潰れているのか・・・・さっぱりわからん・・・(大笑)
ここで乗馬が出来るそうだが・・・
馬小屋に馬はいるみたいだけど・・・(笑)
人間がおらんのです!(大笑)
久し振りに乗馬をしてみたかったが・・・・残念・・・・(大笑)

さて、これからが本番!(笑)
これから柳本大隊の戦跡を探して歩く・・・・
まずは、川を渡って対岸に行ってみる。
この川が当時「パンパンガ川」もしくは「バンバン川」と呼ばれていた川ではないかと思うが確信は無い・・・(大汗)
ネットの地図上では「サコビア川」となっているようだ・・・・

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河川敷が灰色なのは、1991年に大噴火を起こしたピナツボ火山の火山灰である。
その昔、このあたりを走ったときは、厚く火山灰が積もっていて、スゴイ景色だったが、今は、ごく普通の川に見える。

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川の向うに見える丘あたりが柳本大隊の陣地があった場所だと思うのだが・・・
位置関係を確認するには、一度、離れたところから見ないとよくわからんのです。(笑)
これからまた引き返して、あの丘に向かうことにする。

我が戦車第2師団の機動歩兵第2連隊が満州からフィリピンに派遣されたのは昭和19年10月のこと。
この時の機動歩兵第2連隊第3大隊(柳本大隊)の編成は、大隊本部、第7、第8、第9中隊、第3機関銃小隊の合計530名である。
その後、第7中隊と第8中隊の約200名を連隊本部(連隊長の名を取り「高山支隊」と呼んでいた)に差し出し、代わりに独立戦車第8中隊(九七式中戦車8両と兵員130名)とマニラからの補充兵150名を指揮下に入れる。
昭和20年1月9日、米軍がフィリピンに上陸・・・
1月30日に柳本大隊は「南山」に陣を構える。

さて・・・この「南山」が、どこにあるのかが、よくわからない・・・(涙)
かなり開発されて近代化されちゃっているからなぁ~
70年前と全く変らないままでいてくれと頼むほうが無理か・・・
ここは川を基準にしてみるしかあるまい・・・
というわけで、「南山」の探索は諦めて川沿いにあった「400高地」を探しに向かう。

2月11日、「南山」の正面に戦車を伴った米軍が進出、大激戦となり山頂を占領されてしまう。
ここで柳本大隊長は、部下の第8中隊を督励し、自ら抜刀して突撃!
山頂を奪い返すが、この「南山」での戦闘では29名の戦死者を出した。
折角確保した「南山」だが、その4日後には命令により撤退・・・・「400高地」に向かう。

さて・・・その「400高地」は、どこだろうか?
多分、このあたりだろうと見当をつけて向かったのがゴルフ場・・・・(笑)

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このゴルフ場・・・・韓国資本のゴルフ場である。(汗)
勝手にクラブハウス内に入り・・・(大笑)
クラブハウスのテラスから川の向こう側を見る。

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ここが「400高地」とするならば・・・・
右側の写真、向うに見える高地が当時「バンバン高地」と呼ばれた辺りになると思うが・・・
その向うの奥には機動歩兵第2連隊主力の高山支隊が陣取っていた。
そして、彼の地で、柳本大隊から転出した第7中隊が玉砕している。
右側の写真の中央あたりに見える小高い山が「赤山」と名付けられた山ならば、左側の写真の右端あたりにあるのが「黄山」と名付けられた場所となる。
そうなると、あの周辺には、空挺部隊の高屋支隊が陣取っていたことになる。
拙者がよく行く、クラーク博物館には、この高屋支隊の空挺隊員が使用していた分解式の小銃が展示されている。
パラシュート降下の時に邪魔にならないよう、2つに分解できる通称「テラ銃」と呼ばれた珍しい小銃である。

基準点を間違えて景色を見ると、戦跡の場所を間違えることになる・・・・
柳本少佐がご存命の時に一緒に旅をしたら、正確な場所を教えていただけただろうが・・・
拙者が戦友会に入会する前に他界されたので、それは無理・・・・
交通事故に遭われていなかったらなぁ~
今もご存命なら、ここの写真をお見せして教えを請うことも出来たかもしれない・・・と思うと残念である。
最終的には自分の勘に頼るしかない。(汗)

その昔、祖父が戦っていた北部ルソンのサラクサク峠に登り、祖父の陣地跡を訪れた時に、陣地跡の写真を撮った。
で・・・それを、当時まだご存命だった佐藤中隊長にお見せして、「ここに機関銃陣地を置きませんでしたか?」と尋ねたところ、「よく知ってるねぇ~ここは機関銃陣地があった場所だよ」と言われたことがある。
現地の地形と米軍の進行方向から考えると、その場所に重機関銃を置けば米軍を制圧できると思ったのである。
あくまでも拙者の勘・・・・
その勘がズバリ当った・・・
それから以降、拙者は自分の勘を頼ることにしている。(大笑)

ということで・・・拙者の勘によれば・・・(笑)
ここは「400高地」ということになる。(大笑)

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左の写真の奥、ゴルフコースの切れ目の向う辺りが「五ノ谷」と呼ばれた場所ではないかと思う。
写真では、ちょっとわかりづらいが、ゴルフコースの向うに川が流れていて、その川の向うに山々がある。
右の写真の左端から左の写真にかけて、ゴルフコースは一段高い位置にある。
コース造成の時に、かなり山が削られていると想定すると、あの奥は深い谷・・・
「五ノ谷」と名付けるにふさわしい地形だったのではなかろうか?
それを確認するには・・・・あそこまで行かねばならない・・・
「私の読みが正しいかどうかを確認するには・・・ここでゴルフをするしかないですねぇ」(笑)
「で・・・ボールをわざと向うに打って、ボールを探す振りしてあのコースの端っこに行ってみる・・・というのはどうでしょ?」
“ヤナギモトさん”と二人で大笑い。

この「400高地」は「五ノ谷」から川を渡って向こう側の「赤山」「黄山」に向かう要衝の地である。
柳本大隊は、ここを40日間ほど占拠していたようである。
どういうわけかは知らないが、米軍はここへ直接陸上からの攻撃はかけてこなかった。
砲爆撃のみである。
3月25日、柳本大隊は「神風山」に移動する。

ここで、10分弱ほど景色を眺め、今度は、ここから少し西にあるゴルフ場に向かう。
ここも韓国資本のゴルフ場で・・・・
勝手にズカズカとクラブハウスに入っていったら「アンニョンハセヨォ~!」とフロントの人に挨拶された・・・(驚!)
あの・・・俺は日本人ですけど・・・(大汗)
どこへ行っても日本人より韓国人だと思われやすい拙者である・・・仕方がないか・・・(大笑)
我々が何をしに来たのかの説明は、ガイドの“タケウチさん”に任せて・・・・
またまた、“ヤナギモトさん”と二人で勝手にテラスに向かう。(大笑)

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川が大きく曲がっているところが「五ノ谷」と呼ばれたところではないかと思うのだが・・・
あくまでも推定だが・・・・
川岸の“半島”のように飛び出しているこちら側(西側)当りだと思うが、昭和20年9月15日の午後1時に山の中から降りてきた柳本大隊は、あのあたりで武装解除を受けている。
この時の生存者は大隊直属の将兵が17名、大隊に配属されていた戦車中隊の生き残りが13名、合計30名だった。
最大時の総兵力が650名だった柳本大隊(配属部隊を含む)は、終戦時にはたったの30名しか生き残らなかった・・・・
生還率は5%を切っている・・・・
ちなみに拙者の祖父の部隊の場合は、配属部隊を含めて600名いたが、生き残ったのは祖父を含めて11名、生還率は2%を切っている。(汗)

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川の向こう側に見える山々が「奥山」といわれる場所だと思うが・・・
これまた推定である。
なにせ、柳本大隊長が書き遺した手書きの地図では、大まか過ぎて距離も何もよくわからないのである。
加えて、海軍側の生還者が書き残した資料などの地図では山や地域の名称に違いが見える。
陸軍と海軍で、それぞれ自分達で日本名を付けて作戦行動を取っていたためだろう。
このため、陸軍と海軍の資料を突き合わせると混乱するばかり・・・(大笑)
向うに見える山々に“複郭陣地”が造られていたと思うが・・・・
川向こうの地域は、陸軍は高山支隊(機動歩兵第2連隊主力を基幹)と高屋支隊(空挺部隊である滑空歩兵第2連隊を基幹)が戦ったが、主に海軍の航空部隊の地上員で構成された各種部隊が戦った場所である。
海軍のほうまで調べているとキリがないので今回は目をつぶったが・・・・(笑)
陸海軍共に航空機搭乗員(パイロット)は貴重な存在なので優先的にフィリピンを脱出した。
本土決戦にはパイロットが一人でも多く必要だったのである。
これは無理もない話である。
しかし、それとともに、軍の“高級将校”たちも、我先にと台湾に逃れた。
エリートと呼ばれる“優秀な人間”だから、こんなところで死ぬわけにはいかない。
何のために競争に打ち勝って、この地位までに登りつめたか・・・
こんなところでは死んだら損だというわけだろう。
「後方へ下がって指揮を取る」というもっともらしい理由を残して部下を置き去りにしてサッサと飛び立った・・・
残された整備員などの地上要員は、かわいそうである。
航空部隊の地上員は「地上戦」には不慣れである。
それがいくつかの“戦区”に別れて地上戦を戦い“消滅”していった・・・・
あの向うに見える山々はそういう場所なのである・・・・

昭和20年4月9日、柳本大隊は「神風山」の陣地を撤収して移動することとなる。
ここが「神風山」だとすると・・・・
この目の前の川を渡り、左に折れて「馬の背」を通って「礼山」に向かったことになる。
「馬の背」と名付けているんだから“馬の背中”みたいな地形なのだろう・・・
ということは・・・あそこあたりではなかろうか?

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「馬の背」と名付けられておかしくない景色である・・・
あそこが「馬の背」ではなかろうか?
そうだとすると・・・・
あそこを通って、再び川を渡り、こちら側に戻って、さらに西に向かい、「礼山」の陣地に入る。
で・・・・そこで自活生活・・・・
食糧不足のため、軍は集団自活を解除し、小グループでの自活行動を認めることとなる。
敵の攻撃より餓死と戦うことになったようである。
その「礼山」と呼ばれた山はどの辺りか・・・・

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その方向を見てみると・・・・
小高い山が邪魔で向うが見えない!(涙)
現在造成中である。
あの頂上に上れれば、向こう側が見渡せるだろうから、「礼山」の位置がわかるかも・・・・
しかし、現在、造成中の場所に勝手に立ち入ったらトラブルを引き起こしかねないので諦める。
何が建つのかは知らないが、完成したころ、あそこに上ってみたいものだ。
「神風山」では頂上に陣地を築いたと柳本大隊長は記録を残している。
となると・・・・頂上というのは、この造成中の山のことだろうか?

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後ろを振り返ると・・・・この景色・・・・
遠くにクラークの平地が見える・・・・
ゴルフコース造成のため、かなり山が削られている。
ゴルフ場になる前の状態はどういう感じだったのだろうかと想像してみる。
ゴルフ場なんかに開発しやがって・・・と怒るのは簡単だが・・・(笑)
いや、ここがゴルフ場に開発されていなかったら、この場所に来る事は不可能だっただろう。
昔のまま、山のままだったら、とてもじゃないが登る事は無理だったに違いない。
そうなると、川向こうの景色も見られなかったわけで・・・
考え方を変えてみれば、ゴルフ場に開発してもらったおかげで足を踏み入れることが出来たといえる。
これは感謝すべきか?・・・・韓国企業に?(大笑)

さて、そろそろ帰ろうか・・・という時にゴルフ場の責任者が名刺を持ってやって来た!(笑)
「先ほどは失礼しました。日本の方でしたか・・・」と言う。(笑)
次回は是非、ゴルフをやりに来て下さいという。
この会社は日本の九州にも2箇所ほどゴルフ場を経営しているので、是非、日本人にもここでプレーしてもらいたいと言う。
まぁ、あの横柄な韓国人が・・・・(笑)
一生懸命、拙者を相手に営業活動をするとは・・・ねぇ・・・(笑)
彼の英語は綺麗な英語で、また物腰もごくごく丁寧・・・・決して卑屈な態度ではない。
韓国人にもこういう人がいるんだねぇ~(笑)
いや、こういう人物だからこそ、フィリピンのこのゴルフ場を任されているのかもしれない。
意外にも好感の持てるマネージャーさんだった。(大笑)
問題は・・・拙者のほうである・・・(泣)
まともな英語で応対できない・・・(大泣)
いやぁ~申し訳なし・・・・

彼の話では、ここはさらに開発を進めていて、最終的には一大リゾート地になる予定だそうだ。(唖然)

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あらら・・・ここが計画通りに完成したら、もうここが“戦跡”だなんて誰もわからなくなるだろう。
仕方がないか・・・・

それにしても日本の企業は何をしているのだろう?
韓国は、まぁ、半分ハッタリだとしても、スケールの大きな事をここでやっているというのに・・・・
日本の企業は元気がないのか?
下請けいじめのほうで忙しいのか?(大笑)

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遠くに見えるのは「アラヤット山」・・・・
戦時中は抗日ゲリラの本拠地で、戦後はフィリピン共産ゲリラの本拠地だった山である。
今も本拠地になっているかどうかは・・・・知らない。(笑)
手前の平野部にクラークの国際空港が見える。
この空港には韓国から直行便が運行しているそうだが、日本からの直行便はない・・・
だから韓国企業、韓国人ゴルファーや観光客がやってくるわけで・・・
う~ん・・・日本は負けてるな・・・(汗)

この地点から平野部が一望できるから、陣を構えるにはもってこいの場所であることは間違いない。
ここから空港が一望できるということは、当時、米軍に占領された我が軍の航空基地も一望出来たということになるか・・・

時刻は午後1時半を過ぎた・・・・
拙者の勘と推測を説明しながらご案内した柳本大隊の足跡・・・・
“ヤナギモトさん”は生前のお父さんから全く話を聞いていなかったそうなので、何もわからないと言っていた・・・
今回のご案内で少しでも喜んでもらえたなら幸いである。

ゴルフ場を辞し、これからアンヘレスの町に向かう・・・・
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旅行 | 16:42:58 | Comments(0)
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