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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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ブキテマ高地を登る
昼食をすませ、今度はブキテマ高地に向かう。

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530_convert_20140920081514.jpg  (町の中の様子)

午後2時20分・・・・ブキテマ高地に到着。
この「ブキテマ高地」はシンガポール島の天王山と呼ばれた場所である。
島内の最高地点で、この高地の周辺には食糧、燃料、弾薬および補給品の大集積所があったという。
その東北にはシンガポール島の市民100万人を養う水源地がある。
戦術的には、このブキテマ高地によって水源地は掩護されていると言ってよい。
ということは・・・このブキテマ高地を押さえると、敵の集積所も市民の水源も抑えることが出来、シンガポールを陥落させることができるということになるかな?
というわけで・・・日本軍は全力をあげてこのブキテマ高地周辺に攻撃をかける。
「ブキテマ高地」はシンガポールの大激戦地なのである。

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登山道入口に史跡の説明板があった。
幸いにも日本語の説明文があったので読んでみる・・・・


ブキテマ攻防戦

シンガポール中心市内街地への幹線道路を見おろすブキテマ高地は英軍と日本軍の双方にとって重要な戦略的要衝であった。
1942年2月10日夜、装甲部隊に支援された日本軍は、要衝防備のため再編成された英軍連合部隊に攻撃を加えた。
翌11日早朝までに日本軍はブキテマを攻略。
中心市街地への道は無防備となった。

(説明文より)



この説明文だと、わずか1日もかからず、日本軍は簡単にブキテマ高地を攻略したように感じるが・・・・(笑)
実際は、そんなに楽勝ではなかったはずである。

シンガポールに上陸後の日本軍3個師団は、シンガポール市街地に向かって進撃する。
が・・・戦闘は、このブキテマ高地で膠着状態となった。
特にブキテマ三叉路の争奪戦は第5師団と第18師団が猛攻しても容易に落ちなかったのである。
英軍の激しい砲撃で一進一退・・・・
「ブキテマ三叉路」というのは、現在はどのあたりか拙者は知らないが・・・・
11日から14日まで戦闘が続いていたはずである。
そして15日に突然、英軍は白旗を揚げたのである。
もしかして、「11日早朝までに日本軍はブキテマ高地を攻略した」という記述は、ブキテマ高地の頂上だけを占領したという意味かも・・・・
高地の頂上は占領したが、その周囲では激戦が繰返されていたと解釈したほうが良いかも・・・・

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この「ブキテマ高地」・・・・
どこかの自然公園みたいな感じである。(笑)
一応、拙者が“しんがり”を仰せつかって最後尾を歩くことになったが・・・・
このダラダラとした緩やかな傾斜の山道は、意外とキツイのである!(大笑)
足、腰、膝に来る・・・・(笑)
で・・・・わざとゆっくり歩いているわけではない・・・・
みんなに追いつかないのである!!(大笑)
息は切れるわ・・・めまいはするわ・・・(大笑)
普段の運動不足がここで現われた・・・・
なにせ、80歳を越した“高齢者”のほうがスタスタと歩き、最後尾の拙者との間隔がドンドン広がっていくのである!(大汗)
ひえぇ~・・・・格好が付かないぞ・・・これ・・・
完全に、拙者は“置いてけぼり”を食らっているではないか!(唖然)

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約25分ほどで頂上に到着!!(疲)
高地の最高地点なのだが・・・周囲の木々に阻まれ、眺望は最悪・・・
何も見えない・・・・
ただの山の中・・・あ~・・・・面白くない・・・・(大笑)
ここからシンガポールの市街地や水源地などが見渡せたらいいのに・・・
どうして展望台を建てないかねぇ~

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頂上の東屋の中にはブキテマ高地一帯の地図が掲示されていたが・・・
中国語と英語表記の地図である。
う~ん・・・ここに“戦跡”として日本語と英語で書かれた地図を掲示したいものである!(大笑)
日本軍の戦史では、85高地、434高地、220高地、155高地、180高地等々の“高地”の名前が出てくるが、それがどこなのか、サッパリわからない・・・・

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頂上の記念碑(記念石?)にはこの頂上の標高が刻まれている。
標高・・・163.63mとのことである。

英文の説明板によれば・・・
ここは、シンガポールで最も高い“ナチュラル・ポイント”で、標高は163.8メートルだという。
この頂上に初めて登ったのは現地在住の議員のジョン・プリンスという人と彼の仲間たちで・・・・
1827年(日本で言うと文政10年)の6月のことだという。
文政10年って・・・
後に長岡藩の家老になる河井継之助や、後に土佐藩主になる山内容堂が生まれた年で・・・(笑)
ベートーヴェンや小林一茶が亡くなった年で・・・
イギリスが小笠原諸島の領有を宣言した年といわれている・・・・(笑)
へぇ~そんな昔に、この高地に登ったのか?
何が楽しくて???(大笑)
で・・・・
彼らは南からこの高地に向かい、農園や丘や沼を進み、22.5kmの距離を5時間かけて登ったとかって書いてある。
(多分・・・そうだと思う・・・笑)
で・・・「フォート・カニングの丘」から見えるように白い旗を山頂の一番高い木に揚げたらしい・・・
それって、何の意味があったのか?・・・・と突っ込みたくなりますが・・・(大笑)
で・・・この山頂まで向かう“アクセス・ロード”(登山道という意味でしょう)は1843年に造られた・・・という。
1843年というと・・・(大笑)
日本は天保14年・・・・
江戸時代であります!
我々は江戸時代に造られた道を(舗装されていますが・・・笑)登ってきたのであります!(大笑)
いや・・・この広い舗装山道の脇にクネクネと折り曲がりながら山頂に向かっているような“獣道”のような道がチラチラ見え隠れしていたから、あっちのほうが当時の道かも・・・(大笑)

ここで小休止をし、再びもと来た道を降りる・・・・
次々と家族連れが登ってくるが、子供達が元気に駆け上ってくるのには参った・・・
なんと拙者は歳を取ってしまったものか・・・(大汗)
クタクタなのです・・・・(大笑)
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旅行 | 16:55:30 | Comments(0)
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