■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
旧フォード自動車工場に行く
次に向かったのは『旧フォード自動車工場』・・・・
拙者にとっては、念願の・・・といっていい訪問地なのである!
今から34年前・・・・(大笑)
この前の道を我がツアーバスは走っていた・・・
当時はもっと道幅が狭かったような気がするし、建物はもっと高台にあったような気もするが・・・
まぁ、34年前の記憶なんて当てにはならないか・・・(笑)

526_convert_20140919101431.jpg

上の写真の向うからこちらに向ってこの道を走っているときにガイドさんが説明してくれたことは今でも鮮明に覚えている。
「右手の高台にフォード自動車工場があるんですが・・・ちょっと見えないですかね?山下将軍とパーシバル将軍が、ここで降伏の会談を行なった場所です。ちょっと木が邪魔で見えないですかねぇ~」と言った・・・・
おお!あの有名な「イエスかノーか」と山下将軍が迫った場所だ!
必死になって窓から上を見上げたが森に遮られ、建物がチラリと見えたような気もするが・・・という程度・・・
あっという間にバスは通過!
あ~!残念!!(涙)

当時、ここを見学できたかどうかはわからない・・・
見てみたかったなぁ~
どうして見学コースに含まれてなかったんだろう。
悔しいなぁ~・・・・という思いが今までずっと続いていたのである。
ついに!念願かなって見学できるとは!(大喜)
大感激!!

現在、この建物は博物館となって一般に公開されているとのこと。
ということは・・・34年前はただの廃屋だったのかも・・・(笑)

481_convert_20140919202510.jpg

看板は4ヶ国語で書かれている・・・・
が・・・・その4ヶ国語の中に日本語は含まれていない!
一番上は中国語で、続いて英語、マレー語、そして一番下は多分インドのヒンズー語かタミール語だと思うが・・・
おい、おい、日本語はどこへ行った?(汗)
ここは、我が日本軍があの紳士面した腹黒いイギリス人を打ち負かした記念すべき場所なのである!(大笑)
日本語が見当たらないということは、日本人観光客は滅多に来ない場所ということなのか?
我が日本にとっては「戦勝記念」の地なんですけど・・・(大笑)
日本の旅行業界は何を考えておるのかね!(怒)
ここをツアーのコースに含めていないのか?(怒)
買物ツアーとグルメツアーばかりやって歴史を勉強しないから日本人はバカばかりになるんだよなぁ~
勝った歴史も負けた歴史も勉強すべきである!(怒)

487_convert_20140919204038.jpg(旧フォード自動車工場)

483_convert_20140919203846.jpg 484_convert_20140919203947.jpg
(昔のフォード自動車工場の写真)

英文の説明板を意訳してみると・・・・(日本語の説明板も併設していただきたいものである!)
このフォード自動車工場の歴史は1941年(昭和16年)10月から始まる・・・という。
この工場はフォードが東南アジアで最初に作った自動車組み立て工場である。
マレー鉄道にも近く、港からの部品の輸送にも便利な場所で、マレーシアとシンガポールを繋ぐ幹線道にもつながる立地条件のいい場所だったため、ここに作られたらしい。
日本軍のマレー進攻作戦の時には、この工場は英空軍の戦闘機を組立てる工場として使われたらしい。
戦闘機は部品として木箱に入れられシンガポールに船で運ばれ、この工場で組み立てるという形だったらしいが、そのほとんどはマレーシアの防衛には間に合わず、役には立たなかったようである。
1942年(昭和17年)の末、日本軍がシンガポールの目前に迫った時には、彼らはここから飛び立ったか逃げ去ったか(笑)・・・したらしい・・・
フォード自動車工場は、降伏するイギリス極東軍(マレー軍)司令官のパーシバル将軍と日本の第25軍司令官である山下奉文(ともゆき)将軍の正式な降伏会場として使われた。
1942年(昭和17年)2月15日、降伏するまでの緊張した最後の数時間、山下将軍はこの工場で彼らを待ち、パーシバルとその幕僚たちはフォート・カミングの地下要塞で議論をしていたそうである。
そして、パーシバルたちはフォート・カニングからフォード工場までやってきたという。
英国の降伏による大英帝国のアジアにおける凋落と日本軍の占領は、シンガポールの近代史の暗黒の時代である・・・ということを書いてある。
「darkest period」っていうんだから、「もっとも暗い時代」・・・ということでしょう?
う~ん・・・そこまで言わなくてもいいんじゃないの?“最上級”を使っちゃう?(笑)
日本の統治時代は、本当に「暗黒の時代」だったのだろうか?
日本の占領時代は、フォード工場は「butai(部隊)」として、もしくは補給基地として使われていたという・・・
この「ブタイ(部隊?)」の意味がわからないが・・・・
「部隊」という日本語を特別なものとして勘違いして使っているような気もしますが・・・(汗)
日本の著名な「zaibatsu(財閥)」である「Nissan(日産)」が、この工場を引き継ぎ、ここで軍用トラックなどの車輌を組み立てていたという。
う~ん・・・簡単にいうと「部隊」と呼ばれる工場で「日産」が軍用トラックなどを組み立てていた・・・ということになるが、日本人にもこの「部隊」の意味が理解できませぬ・・・・こりゃ、中国人が作った文章か?(大笑)
このフォード工場は戦後の1947年(昭和22年)にフォードの自動車組み立て工場として作業が再開されたそうで、1980年(昭和55年)6月に最終的に工場は閉鎖されたという。
あら・・・
拙者がこの工場の前を通過したのは、1980年の夏である・・・・
ということは、工場が閉鎖されて2ヵ月後くらいに、この前を通過したということか・・・
ということは、見学したくても見学は出来なかったわけか・・・(笑)
そして、解体されず残されたこの工場跡は2006年2月15日に「ナショナル・モニュメント」として公示された・・・とある。
つまり、2006年に史跡として指定されたということのようである。

建物は資料館として活用されていて・・・・

492_convert_20140919221044.jpg

パーシバル将軍(左)と山下将軍(右)の銅像なども置かれていたが・・・・
山下将軍の顔は、似ても似つかないという顔・・・いったい誰をモデルに作ったんだ?(大汗)

500_convert_20140919224235.jpg

ここには、山下将軍とパーシバル将軍が会見した部屋がそのまま保存されている。
英軍の降伏の様子が英文で(!)詳しく書かれた説明板なども展示されている。
日本語じゃないから読むのに時間がかかるので、なんとも面倒くさい・・・・
見学時間は限られている・・・・
あ~あ~・・・・これがツアーじゃなくて、個人で来ていれば半日ぐらいかけて(大笑)じっくりと見学ができるんだけどねぇ~(大笑)
そういうことは贅沢か・・・・(大笑)

503_convert_20140919225924.jpg

ここには日本軍が使用した自転車も展示されていた。
いやはや・・・貴重な当時の自転車である!(驚)
かの有名な「銀輪部隊」の自転車・・・・
当時、日本軍は、数少ないトラックの他に、輸送手段として自転車を使っていたのである。
当時の日本は東南アジアに自転車を輸出していたのである。
で・・・当然、マレーシアにも大量の自転車が輸出されていた。
そこで足りない分は現地調達し、歩兵は自転車に乗ってマレー半島を疾走したのである。
説明文には「confiscate(没収・押収)」の文字が見られるが・・・
この時に、自主的に自転車を日本軍に提供したマレー人も多くいたと聞いている。
かならずしも、現地人から強制的に没収や押収したとは言い切れない。
自転車を提供してくれたのは、イギリス人に反感を持っていたマレー人たちか?(大笑)
進軍途中で自転車が故障しても、日本製なので部品の調達は難しくはなかったようである。
以前から自転車を輸出していたおかげ・・・ということになる。
マレーシアに輸出されていた自転車のおかげで勝てたといっても過言ではあるまい・・・(大笑)

519_convert_20140919232012.jpg 520_convert_20140919232059.jpg

509_convert_20140919231750.jpg 517_convert_20140919231902.jpg

古写真や、記事や地図、インド国民軍に関する展示など、なかなか充実した内容である。
が・・・時間がないので、とにかくササッと見て回り・・・・
受付脇の「ミュージアムショップ」で何か資料はないものか・・・と探したが・・・
残念ながら日本語で書かれた書籍・資料等はない!
英文のものでもいいかぁ~と思い、買おうとしたら・・・シンガポールドルしか使えないと言う。
そこをなんとか・・・米ドルで・・・とお願いしたが・・・・ダメ!(大泣)
結局、何も買えなかった・・・・
米ドルが使えれば買おうという仲間もいたので、米ドルが使えないというのは失策であろう。
こういう観光地では米ドルも使えたほうがいいんじゃないのかなぁ~
折角、売上げが上がるチャンスだったのにねぇ~(大笑)

我々は半日しかシンガポールに滞在しないので、両替をしなかった・・・・
これが失敗であるが・・・・
半日しかいないのに1万円を両替するというわけにもいかぬから、やむをえなかったか?

522_convert_20140919234344.jpg 523_convert_20140919234439.jpg

降伏する英軍使節を案内をする日本軍・・・・
この写真が撮られたほぼ同じ場所が右の写真・・・・

約30分程度の見学を終え、集合記念写真を撮り、次に昼食に向かう・・・・
時刻は12時45分・・・・
スポンサーサイト


旅行 | 15:05:24 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。