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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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クアラルンプールの日本人墓地
午後1時、クアラルンプールに入る・・・・

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第一印象は・・・・
あれ?・・・はぁ?・・・である。(大笑)
クアラルンプールも34年ぶりの訪問なのだが・・・(大笑)
え?・・・・こんなにビルが建っていたっけ?(唖然)
当時の景色を思い出せないのだから、実際は比較のしようがないのではあるが・・・・(笑)
う~ん・・・・こんな感じの町だった?

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午後1時半、市内のレストランでマレー料理の昼食をとる。

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(レストランの前の景色)
レストランの前の道路は一方通行だが、大渋滞・・・
おい、おい・・・・(大汗)

このあと向かったのは、「日本人墓地」・・・・

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古い門の方の左の門柱には『明治三十二年三月吉日建設』と書かれている。
で・・・右の門柱は白ペンキで塗りつぶされているが、その下に『大日本帝國臣民之墓地』と書かれてあった。

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新しい門(?)のほうから敷地内に入る・・・・
入ると直ぐに「慰霊堂」があるので、先ずそこをお参りする。

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内部には“ご本尊”と位牌が並んでいる・・・・
「本堂」と呼ぶのが適当なのかどうかは知らないが・・・

ここで、ふと気になったので参加者の人数を勝手に確認してみた。
ここから少し離れたところでバスを降りて徒歩でここまで来たので、まさかとは思うが、途中で迷子になった人はいるまいな?・・・・と思ったのである。(笑)
と・・・どう数えても一人足りない!!(汗)
拙者は参加者全員の顔と名前を覚えているわけではない。
一言も会話を交わしたことがない人が何人もいる。
拙者が気を配るのは・・・“高齢者”(大笑)
迷子になったり、忘れ物をしたり、勝手にどこかにフラフラと行ってしまったり・・・(大笑)
そういうわけで、“要注意人物”として、数人の高齢者には目を配ることにしている。
が・・・・“行方不明者”は、これら“高齢者”の方々ではない。
添乗員に一人足りないようだと報せたところ、添乗員も焦ったようだ・・・・
「あれ?・・・いない!・・・○○さんがいない!」(大汗)
どこかで逸れたのかなぁ~と騒いでいたら、参加者の中から「そういえば、以前来たことがあるから俺は行かないと言っていましたよ」という声が上った。
「じゃぁ、バスに残っているんですかね?」と添乗員さん・・・・
「たぶんそうじゃないんですか?行かないって言っていたんだから・・・」との声・・・・
あのねぇ~・・・・なんという勝手な奴だ!(怒)
“団塊の世代”の参加者である!
だから、拙者は“団塊の世代”は好きではないのである。
バスに残って参加しないというなら、そういうことは添乗員さんに直接伝えるべきであろう?
近くに座っている人に独り言のように言っても意味ないでしょ?
どうして、そういう常識がないのかねぇ~・・・・団塊の世代は!(怒)
みなさんに迷惑をかけないようにするという気遣いができないのかねぇ~
どういうわけか、毎回、ツアーにはこういう人が少なくとも一人はいるのである。(唖然)
今回も一人いたか・・・・(涙)

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墓石を見てみると、女性の名前の古い墓石が多い・・・
どうやら“からゆきさん”のお墓らしい。
戦前のお墓は300ほどあるらしいが、そのうちの7割が“からゆきさん”だという話である。
どういう思いでマレーシアまでやって来て・・・・どういう思いでこの地で息を引き取ったのだろう・・・
こうして墓石に名前が刻まれている人は幸せなほうかも知れないなぁ~
墓石すらないまま、眠っている人もいるんだろうなぁ~
独身で子孫がいない拙者は「無縁仏予備軍」もしくは「無縁仏予定者」ですから・・・(笑)
う~ん・・・・拙者も人知れず、名も残せず・・・・どこかで眠ることになるんだろうなぁ~
彼女達の墓石や、朽ち果てている墓石・墓標を見ていると、他人事ではないような気がしてきた。(涙)

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敷地の一番奥に歩兵第11連隊の有志が建立した『慰霊塔』があった。
ここに日章旗、旭日旗を飾り、お線香をあげて、全員で「海ゆかば」を斉唱して慰霊を行なう。

(慰霊塔・碑文)
われわれは太平洋戦争の戦火に倒れたわが仲間および各国軍人と住民の霊を弔うとともにマレーシア連邦国民の平和と繁栄とを祈る

昭和53年9月建之
歩兵第11連隊有志

碑文は日本語と英語の併記である。

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この慰霊塔のすぐ隣りに『JA8051号機遭難者 慰霊碑』というのがあった。
お墓の形態だが、お墓ではなかろう。
このJA8051号機というのは、日本航空(JAL)の機体番号である。
昭和52年(1977年)9月27日、日本航空の715便(機体番号:JA8051)というダグラス社のDC-8旅客機が、クアラルンプール空港に着陸進入中、悪天候のため着陸に失敗しゴム園に墜落した。
37年ほど前のことである・・・・
この旅客機には乗員10名と乗客69名の計79名が搭乗していたが、この事故で乗員8名、乗客26名の計34名が死亡した。
その方々の慰霊碑である。
が・・・・碑文はない・・・・なんでだろう?
誰が建立したのかもわからない・・・・
墜落現場ではなく、日本人墓地に建立というのも珍しいと思うが、碑文がないのでは、何の慰霊碑なのかわからないだろう。
事故のこととか、いつ事故があったのかとか、亡くなった方々のお名前を記するとか・・・何か“説明”しないと“慰霊”にならないのではなかろうか?
思ったとおり、わが参加者たちは「何これ?」と言っただけでサッサと立ち去ってしまった・・・・(汗)

皆さんが、サッサと墓地を立ち去ってしまったので、一人ポツンと取り残されたが・・・(笑)
墓石や慰霊碑などを見るというのは、結構勉強になるんだけどなぁ~
皆さんがトイレに行っている間、まだ少し時間に余裕があるので、もう少し欲張って墓地内を駈足で見て歩く!(汗)

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『殉難碑』というのを見つけた!!
『陸軍中将 沼田多稼蔵 書』と刻まれている。
軍関係で『殉難』という言葉を使う場合、法務死・・・・特に戦後建立された場合は戦犯で処刑された方々に対して使うことが多い。
ということは・・・・戦犯として処刑された方々の「慰霊碑」だろうか?
残念ながら建立した日付のみで碑文は刻まれていない。(涙)
建立されたのは、昭和21年2月12日である。
ところが、この日付だと、ちょっと疑問が残る・・・・(汗)
クアラルンプールの戦犯法廷は英国が裁判国として日本軍を裁いたのだが・・・・
裁判は昭和21年1月29日から始まり昭和23年1月11日に終了している。
被告は77名、裁判の結果は死刑24名、有期刑37名、無罪14名、その他2名である。
建立した日付から見ると、裁判が始まって1ヵ月弱で「殉難碑」が建立されたことになる。
法廷は2年間も裁判を続けていたのに???
裁判が始まって直ぐに死刑判決が出て即刻処刑したのか???
おかしい・・・
こうなると、この「殉難碑」は戦犯で処刑された方のための碑なのかどうか怪しくなってしまう。
碑文がないからなぁ~・・・・・
何か碑文が書いてあればわかるのに・・・・
だから碑文は大事なのである。
建立した人はわかっていても、後世の我々には「殉難」が何のことやらわからない・・・
そういうことでいいのかね?
碑を建てた意味があるのかね?

沼田多稼蔵中将は、南方軍総参謀長として終戦を迎えた人である。
南方軍は東南アジア方面の全陸軍部隊を統括している。
フィリピンもマレーシアもシンガポールもインドネシアも、全てこの南方軍の傘下に入る。
司令部は仏印(現:ベトナム)のサイゴンにあった。
ちなみに総司令官は寺内寿一元帥である。
沼田中将は昭和22年、戦犯容疑で「巣鴨プリズン」に収監されている。
現在、「池袋サンシャイン」がある場所である。
で・・・翌昭和23年に「橘丸事件」で重労働7年の判決を受けたが、昭和25年に仮釈放となり、それから11年後の昭和36年(拙者が生まれた翌年)に69歳で他界された。
ということは・・・昭和22年以降は「殉難碑」に書を提供する余裕はなかったはずである。
自分が戦犯容疑で引っ張られる前でなければできないだろうから、昭和21年の建立は間違いないだろう。
わからん・・・・終戦後半年以内に「殉難」と言われるようなことが何かあったのだろうか?
こういうのは、もっと史料を探してみないとわからないが・・・・
なんともわからん「殉難碑」である。

時刻は午後3時を過ぎた・・・・
バスに乗り込み、次に向う・・・・
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旅行 | 19:53:21 | Comments(0)
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