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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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トロラクの戦跡
スンカイの橋を渡り、さらに南下・・・・
橋を渡ってから10分弱程度走った場所・・・・
我々が走る国道1号線は、当時の幹線道路だろう。
道幅は当然広くなっていると思うが・・・
この国道1号線に平行して現在では高速道路が走っている。

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この道路(国道1号線)沿いの、このあたりに当時、英軍の警戒陣地があったらしい。
写真の向うが北なので、日本軍は向うからこちらに向って進撃してきた。
この先、南下すると、「トロラク」という場所に辿り着く。
このあたりから、トロラクまでの道路の両側は、ゴム林と湿地帯の草原、その奥に深いジャングルがあったようである。

カンパル(もしくはカンパー)から後退した英軍は、このあたりから道路の両側に陣地を構築・・・・
昭和17年1月5日、カンパルから追撃してきた安藤支隊(歩兵第41連隊基幹)が英軍の抵抗を受けたのは、このあたりか?
安藤支隊は、歩兵第41連隊第2大隊(花輪大隊)を道路の右側、第3大隊(丸谷大隊)を道路の左側のジャングル内を切り開きながら迂回させて、敵陣地の背後に進出する作戦に出て・・・
連隊主力は本道上を進み正面から攻撃することとした。
当時、このあたりには3個大隊の英軍が幾重にも抵抗線を設けていたようである。
1月6日夕刻、追撃に移ろうとした時、英軍の熾烈な砲火を浴び、本道の前進が阻まれた。
そこで、1月7日の明け方(もしくは真夜中?)、島田戦車隊(戦車第6連隊の2個中隊)に歩兵と工兵を伴わせ、一気に英軍陣地の突破を図ることとなった。

歩兵と工兵の一部が戦車に先行して敵の対戦車障害物(コンクリート柱)や鉄条網を破壊・・・
島田戦車隊の中戦車(九七式中戦車14輌)中隊が敵の砲火の中を前進・・・・
約6キロにわたって七重に設けられた敵の陣地を、わずか3時間で突破し、トロラクに進出した。

英軍の警戒陣地跡からさらに南下・・・・
途中から旧道に入り、通称『1939の橋』に向う。
出発してから約15分後、現地に到着・・・・

207_convert_20140811161133.jpg

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我々が呼ぶ『1939の橋』の正式名は知らない・・・・(笑)
橋はコンクリート製で、そこに「1939」と刻まれているので、そう呼んでいるのである。
「1939」は、普通に考えれば「1939年製」ということだろう。
ちなみに、1939年は日本では昭和14年であるから、当時からあった橋と考えてよかろう。
となれば・・・・橋の幅は当時と同じだから、道幅も当時と同じということになる。
ここを島田戦車隊は走り抜けたのである!(大喜)
当時の写真は残っていないものかねぇ~(笑)

ここをねぇ~我が戦車が走り抜けたのかぁ~・・・・・感無量である!!
当時に思いを馳せる・・・・

我が戦友会の会員、“戦友”の宮澤さんは、戦車第6連隊の一員として、このマレー進攻作戦に参加されていた。
もともとは近衛歩兵として軍隊に入ったのであるが、初年兵(入隊1年目)の時に2・26事件に関わってしまった。
上官の命令に従い、何がなんだかわからないまま、中隊は高橋是清邸を襲撃した。
事件後、指揮官である将校は処罰を受けたが、兵達は何も知らず参加させられたということで無罪となった。
が・・・それでもこの事件は何かしらの影響はあったのではないかと拙者は思うのである。
軍備の近代化により、航空機と戦車が増え、人員が不足したため、上からの命令で、飛行機か戦車か、どちらかを選べと言われたそうである。
近衛兵といえば、容姿端麗、頭脳明晰、家柄もよく、間違っても家族親戚の中に共産党員などがいたら絶対に選ばれない・・・・(憲兵が身辺調査をしたのである)
そういう特に優秀な人が選抜されて近衛兵となるのである。
なにせ、天皇陛下のお膝元で陛下をお守りするのが本来の使命である。
それが、転属をさせられるんだから、そこに2・26事件の影響がなかったとは言えないのではなかろうか?
宮澤さんは、飛行機は墜落すると100%死ぬが、戦車なら生き残れる確率が高いだろうと思って戦車を選んだのだと笑っておられた。
で・・・戦車第6連隊に配属されて、その後、ずっとこの部隊で戦い、終戦時はフィリピンで「指揮班長」として活躍し生還された。
当初は戦車に乗っていたが、その後、乗用車で走り回って指揮をとるようにとのことで、戦車から降ろされた・・・・
その乗用車も他の部隊に差し出せといわれて取上げられ、仕方がないので、徒歩で戦車を追いかけながら指揮をとったという。
このことが結果的には幸いし、戦車はことごとく敵の砲撃で爆発炎上・・・・戦車は全滅・・・・
宮澤さんは徒歩で走り回っていたので一命を取り留めた・・・
「あの時、戦車に乗って指揮を取っていたら、戦死していたよ」と、松本市のご自宅を訪ねた時におっしゃっていた。
で・・・・マレー進攻作戦の話は、次回に・・・・ということになったのだが・・・・
その“次回”は来なかった・・・・
まもなくお亡くなりになってしまったのである。(大悲)
すぐに再訪問すればよかったのだが・・・・モタモタしているうちに、永遠に会えなくなってしまった・・・・
いつも、このパターンである。
拙者はどうして、こんなに、のろまなのだろう・・・・(泣)
享年96歳だった・・・・90歳を超しているんだから、いつどうなってもおかしくなかったのに・・・・
大後悔である・・・・

宮澤さんが当時、どの中隊に所属していたか・・・・残念ながら拙者は知らない・・・・
が・・・もし、島田戦車隊の一員だとしたら、この橋を渡り、この道を走ったことだろう・・・・
宮澤さんは、この景色を見たに違いない・・・・
今回の旅の写真をお見せしながら、当時のお話を伺うということが出来ないのが何とも残念・・・・(大泣)
72年後の景色はこんなふうですよぉ~
俺、戦車隊が通った道を走ってきましたよぉ~
・・・・と報告できないのが何とも残念である・・・・・(涙)
宮澤さんに会いたいなぁ~・・・・橋を見て、宮澤さんを思い出したら悲しくなった・・・・

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この橋があるあたりは、「Pekan Trolak」(ペカン・トロラク?)という場所のようである。
当時、トロラクと呼ばれていた場所か、もしくはその地域の一部だったと思われる。
時刻は午前10時40分を過ぎた・・・・
この旧道を通り、さらに南下する・・・・

まもなくクネクネと曲がった道を走る・・・・
両側は椰子林・・・・
おぉ!!・・・・まるでタイムスリップしたみたい!!(大喜)
当時の記録写真などで見た雰囲気そのままである。
が・・・・どこかでバスを停めてもらえないか・・・と思っているうち通過・・・・
ペナン島に引き続き、またもやシャッターチャンスを逃した!!(大泣)

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あっという間に、国道1号線との合流地点に達してしまった・・・・
写真の左が国道1号線、右の細い道が旧道である。

国道1号線に乗ってから、まもなく、椰子林がよくわかる場所で停車して下車・・・・
ここでまた“イズミさん”の戦史の説明をいただく・・・・
さっきの旧道の曲がりくねった道のところのほうが、当時の雰囲気を残していて、写真を撮るにも説明するにもベストポイントなのだが・・・・
道幅が狭いためバスを停めることが出来ず、やむなくここにしたのだろう・・・・

223_convert_20140811222912.jpg 221_convert_20140811222703.jpg

戦車は必ずしも本道上だけを走ったわけではない・・・・
敵は陣を敷き、対戦車砲を据えて待ちかまえているのである。
本道上を走れば、速く走れるだろうが、それでは狙い撃ちにされる・・・・
場合によっては、このような椰子林の中も走ったのである。
と・・・・
ここで“イズミ教官”から「戦車の大家がおられますので、是非ご意見を伺いたい」と言われた・・・・
“戦車の大家”とは・・・拙者のことのようである!(驚)
いきなりの指名にビックリしたが・・・・(大汗)
“戦車の大家”なんて、とんでもない・・・・拙者は戦車師団の戦友会の事務局長というだけで、“戦車兵”ではありませぬ。(大笑)
でも・・・話は戦車戦のことであるので・・・一応、拙者の意見を述べさせていただいた。(照)

夜間に戦車で突撃するという常識では考えられない攻撃で、敵陣を蹂躙して島田戦車隊はトロラクに進出した・・・
戦車は夜間は“目が見えない”ので、下手に動けば敵の餌食になりやすいのである。
操縦手は戦車の幅が狭く細長いスリットから外を見ながら操縦するので、どうしても視野が狭くなる。
だから見通しが利く昼間に移動して戦うというのが常識である。
また、戦車のエンジンの爆音は夜間は3キロ先まで響くので、下手に走れば敵に気づかれてしまう。
そこで、速度を極端に下げて、エンジン音を最低にしなければならない。
機動力が売りの戦車がノロノロ運転・・・・
しかも、ヘッドライトを点灯するわけにはいかない・・・・
車長が戦車から降り、白旗を手に戦車の前を歩きながら、白旗で操縦手を誘導したという。
これで“夜襲”になるのかと思ってしまうが・・・(苦笑)
今回のトロラク周辺での戦闘では真夜中、随伴する歩兵や工兵の協力のもとで、短時間で占領することが出来た。
島田戦車隊長としては、この勢いに乗って一気に、この先の「スリムリバー」「スリム」を攻略したいと考えた・・・
これ以前に、あのペラク川の鉄橋を、僅かの差で破壊されてしまった苦い経験がある。
この先には、スリム橋がある・・・・
ペラク橋梁の二の舞は避けねばならない。
なんとしても破壊される前に橋を確保しなくてはならない・・・・
そこで、歩兵や工兵の随伴をやめ、戦車単独で敵中を突破することにし、「スリム」に向う・・・・

我々も、その足跡を辿って、再び南下する・・・・
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旅行 | 14:43:02 | Comments(0)
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