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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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恐怖のペラク鉄橋
次に向かうのは「ペラク橋梁」・・・・
このマレー進攻作戦でも著名な場所である。
このペラク川に架かる橋・・・・
道路橋と鉄道橋の二つがある。
我々が向かうのは鉄道橋のほうである。
1時間弱で到着。

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この鉄道橋は現在は使われていない。
橋だけがポツンと残っているが、当時のままのようである。
この橋の脇に新たな鉄道橋が架かっている。

我々は、この古い橋に併設された歩道を渡って対岸に向う。
対岸が、日本軍が進出してきた場所で、向うからこちらに向って渡ったのである。

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この歩道なんですけど・・・・
仮設みたいな感じで・・・・
しかも鉄板が、ちょいと錆びている・・・(汗)
ちょっと怖いんだよねぇ~
拙者は高所恐怖症なんだよねぇ~

しかし、みんなと一緒に向こう側に渡らねば話が進まない・・・(大笑)
ビクビクしながら橋を渡ることになったが・・・・
拙者と同じような人がもう一人いた!(喜)
元新聞記者の“マツナガさん”である。
「こういうの苦手なんですよねぇ。私は高所恐怖症なんですよ」とおっしゃる84歳・・・・
“マツナガさん”は水戸中学(現・茨城県立水戸第一高等学校)の出身である。
生まれは茨城ではないので茨城県人ではないのだが・・・・(笑)
拙者の親父と2歳程度しか違わない。
同じく高所恐怖症とはねぇ~・・・これは縁でしょうね?(大笑)
仲間が出来たからといって、恐怖感が無くなるわけではないのだが・・・・(大笑)
二人でビクビクしながら橋をわたる。(大汗)

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(橋の上から見たペラク川)

第25軍(司令官:山下奉文)は、マレー進攻作戦の第1期作戦を、このペラク川の橋梁の確保をもって一区切りとし、その後、第2期作戦に移行する考えだったようである。
よって、この橋の確保に全力を挙げることとなる。
第5師団の安藤支隊(歩兵第42連隊基幹)を、このペラク橋梁確保に向け、上流から突進させるが、途中で英軍の強力な抵抗を受け前進を阻まれた。
師団主力や戦車第6連隊を基幹とした戦車隊も同様にペラク橋梁に向け突進するが、途中の道路や橋が破壊されているため、思うように前進できない・・・
安藤支隊には「F機関」(藤原機関・藤原岩市少佐指揮)の特務機関員をはじめ、“マレーの虎・ハリマオ”と称された日本名・谷豊(たに・ゆたか)(『怪傑ハリマオ』のモデル)が配属されており、谷豊(ハリマオ)はペラク橋梁爆破阻止の任務についたが、上流のダムの破壊は阻止して確保できたが、その後マラリアが発症、ペラク橋梁確保に手間取る。
あらゆる部隊が一斉にペラク橋梁確保に向ったのだが、残念ながら、あと一歩というところで、12月23日、ペラク橋梁は英軍の手で爆破されてしまった。
安藤支隊は自転車で進撃中で、あと1時間で到着する・・・というところだったという。

戦史によれば、ペラク川(河?)は、マレーシア西岸では最大の河で、川幅は約300メートル、水深4メートル、流速は3~4メートルだったという。
両岸は懸崖で、橋梁は水面上17メートルに架かっているという。
あ~・・・そのくらいの高さかも知れないなぁ~・・・・(苦笑)
ちょっと高いし・・・17メートルくらいはあるかも・・・

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うまく対岸に渡る・・・・
日本軍は、こちらから向こう側に向っていたわけで・・・・
当時、部隊と行動を共にしていた毎日新聞社のカメラマンが破壊された橋の写真を撮影している。
この写真でいうと・・・・一番手前の橋脚と、その向うの二番目の橋脚の間が2ヶ所爆破され、橋が落ちている・・・・
結構、著名な写真で、今も、どこかで見る機会はあると思うが・・・・
その写真とほぼ同じ位置から撮影を試みた。(笑)
写真手前の草の生えているあたりは、当時、川へ降りるスロープが造られていて、自動貨車(今で言う、トラック)が筏のようなものに乗せられて対岸に送られていた。

156_convert_20140804162920.jpg(日本軍渡河地点で戦史の説明)

「もしペラク橋梁が落とされたら、兵站上(物資の補給)の見地から、作戦部隊は少なくとも3~4日は停止させるようになる」と兵站参謀が危惧していたが、その橋が落とされてしまった。
軍はペラク橋梁の修復は容易ではないだろうということで「重門橋」などで渡河をした。
「重門橋」とは、2隻以上の舟を橋脚として、その上に板を乗せて「橋船」としたものだそうで、わかりやすくいうと、双胴船のような形の筏みたいなものかな?(笑)
これを、このペラク橋梁から少し離れた場所で使用して河を渡ったらしいが、1日の渡河(漕渡)可能車輌数は、約百台程度・・・・
当時、軍が所有していた車輌は、英軍から鹵獲したものなどを合わせて数千両あったという。
これでは、補給用の車輌が往復するということも考えると、とてもじゃないが、これからの迅速な進撃に支障をきたす。
そこで、後から駆けつけてきた鉄道第5連隊がペラク橋梁の修復に当った。
まず自動車を通すことを目的として徹夜で作業をし、僅か1日半で、とりあえずの修復を完了する。
さらに、戦車などの重車輌を通せるように補強作業を行い、線路の上に厚板を敷いて戦車などを通過させたという。

この橋がある近くの町の名は「Kampung Kapor」(カンプン・カポー?)というが、戦史には出てこない町の名である。
戦後になって出来た町かもしれない。
この橋があるあたりは、当時はクアルカンサー(又はクアルカンサル)という。
このクアルカンサーでペラク川を渡ったのは主に近衛師団・・・・
ここからかなり下流のブランジャというところでペラク川を渡ったのは主に第5師団である。
その後、この2つの師団が並列して進撃することとなる。

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(橋のたもとにある監視哨のような建物)

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橋の上に黄色い大きな看板が・・・
「ビクトリア・ブリッジ」と書いてある。
当時も、この橋は「ビクトリア橋」と呼ばれていたかどうかは知らないが・・・・
この橋・・・最近、「幸福の橋」か「好運の橋」か忘れたが、地元のテレビで紹介されてからは、観光名所になったらしい。(大笑)
なぜ、そういうふうに言われるようになったのかは知らないが・・・
若者たちの人気のスポットなのだそうだ。

再び橋を渡り、もと来た向こう岸に戻る・・・(涙)

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線路は橋の部分のみに残っているだけ・・・・
陸地の部分の線路は撤去されていて、行き止まりとなっている。

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この川の下流に自動車用の橋が架かってはいるが・・・・
どうもこの橋の歩道部分は、地元の“生活道路”となっているようで、バイクが走ってくる。(唖然)
こうなると、バイクのハンドルに引っ掛けられそうになるので、歩行者は線路側に逃げねばならない・・・
これが怖いのである!(大涙)
下を見ると・・・遥か下に川の流れが見えるのである!(大涙)
とてもじゃないが、線路のほうには行けない・・・・(大笑)
片足を歩道に残して、柱にしがみつき、バイクをやり過ごす・・・・(大笑)

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我がツアー参加者の中には、平然と線路の上を歩く人がいる・・・・
線路の脇の“歩道”は4枚の幅の狭い薄くて錆びた板が渡してあるだけ・・・・
その上を歩く人がいるんだから驚く・・・(汗)
ポキッと折れたら・・・真っ逆さまに川に落ちるぞ・・・・
この人達には恐怖感というのはないのだろうか?(大笑)
わからん・・・拙者にはさっぱりわからん・・・・

ちょうどインド系のカップルがウエディングドレスにタキシード姿で線路の上で記念写真を撮っていた。
あぶねぇって・・・・(大汗)
ドレスの裾が何かに引っかかってバランスでも崩したらどうするの?
新婦はキャーキャーいいながらも線路を渡っている・・・(唖然)
「新婚さんですか?」と尋ねたら、「そうです」と言う。
お~!コングラチュレェ~ション!(おめでとう!)と我がツアー参加者が口々に言葉をかける。
なんだかわからぬまま、拙者なんぞは新郎と握手までしてしまった!(大笑)
この恐怖の線路の上で写真を撮ると幸せになるというのだろうか?(大笑)

時刻は午後6時20分・・・・
これから、さらに南下して「イポー」という町に向う。

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橋のところを出発して10分程度で、「クアルカンサー鉄道駅」の前を通過する。
かなり新しい駅舎である・・・・

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高速道路を使い南下・・・・
交通事故による渋滞に巻き込まれるが・・・40分程度でイポーの町に入る。
我が軍が進撃した旧道は、この高速道路と平行して走っているとのことだが、時間短縮のため旧道を走れなかったのは残念・・・・

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午後8時前、レストランに到着・・・・夕食はイポーの郷土料理らしい・・・・

午後9時、ホテルにチェックイン・・・・
結構、ハードスケジュールな一日だった。(笑)

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旅行 | 22:20:53 | Comments(0)
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