■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
34年ぶりのペナン島!(喜)
ペナン島へは長い橋を渡って向かう・・・
この橋は、1985年に完成した韓国製の橋だそうで・・・・
34年前に、ここを訪れた時にはなかった橋である。
韓国製の橋は評判が悪い。
以前、パラオへ行った時に橋脚だけが残っている場所があったので尋ねてみたら、韓国製の橋だったそうで、出来上がってから10年だか15年で突然崩落したのだという。(大汗)
日本ではありえない話であるが・・・・
いかに韓国企業がいい加減かがよくわかる事例だが・・・・(笑)
この橋もいつ落ちるやら・・・と車内は大笑い。

087_convert_20140728121039.jpg 088_convert_20140728121132.jpg

時刻は午後1時・・・・
ペナン島に入る。

拙者が大学1年の時に、海外研修団の一員として、この島を訪問した。
1980年(昭和55年)の夏・・・・
人生初めての海外旅行である。
そのときは、タイから空路でペナン島の空港に入ったのである。
マレーシアの第一歩は、このペナン島・・・・我が思い出の地である!
が・・・町並みに全然記憶がない・・・・(大涙)
34年も経てば、そういうものかもしれない・・・・

089_convert_20140728151911.jpg 090_convert_20140728152021.jpg

094_convert_20140728152140.jpg 095_convert_20140728152435.jpg

昔は、こんなに車が走っていたような覚えはないのだが・・・(笑)

昭和16年12月18日・・・・
ペナン島から脱出した2人の邦人が、南下進撃している第5師団の戦闘司令所にやってきた。
英軍は12月15日と16日に婦女子を、16日には英軍全部をペナン島から撤退させたと言う。
また、在留邦人53名は12月8日の朝(日米開戦)から拘禁されていたが、16日に住民によって無事に釈放されたいう。
日本軍は12月11日から13日まで3回にわたり、延べ145機の戦爆連合でペナン島を爆撃していたが、すでにペナン島の東端に日章旗を掲げているので、爆撃は中止して欲しいと住民が熱望しているという。
また、英軍が撤退後、住民の略奪が盛んに行なわれているので、略奪防止の目的で宣伝ビラを撒布して欲しいという。
これらの情報と要望を受け、第5師団長は第25軍へペナン島の占領を意見具申した。
第25軍としては、ペナン島をやり過ごして、一気にシンガポールまで進み、一段落してから、後から追及してくる予定の第18師団をペナン島に送る予定だったが、今の段階で、万が一、ペナン島に英軍が増援を送った場合、背後から襲われるのではないかと考えていたようで・・・
このため空からの爆撃だけはしていたが、これらの情報によると、どうやら防備は手薄らしい・・・・
それなら今のうち占領してしまえということになったのだろう。
意見が認可されたので、早速、ペナン支隊(歩兵第41連隊第3大隊を基幹)を12月19日、ペナン島に送ったところ何ら抵抗を受けることなく島を占領・・・・
いわゆる「無血占領」となった。
続いて同日の夜に進出した歩兵第11連隊第3大隊は、軍需品の大集積所を押さえ、また舟艇など、英軍が破壊せずに残していった船舶を押収した。
これらは後に海上機動(舟を使って海を進撃する)のに大いに役に立ったという。

というわけで・・・(笑)
このペナン島では日本軍と英軍との戦闘は行なわれなかったのである。

098_convert_20140728191030.jpg

時刻は午後1時半・・・・
市内のホテル内のレストランで飲茶の昼食をとる。
ウ~ン・・・中華か・・・・(涙)
どこかの粗末な食堂で(笑)マレーシア料理なんぞを食べたい気分なんだけどなぁ~(大笑)
ツアーじゃ、どうしようもない・・・・

101_convert_20140728191249.jpg 100_convert_20140728191157.jpg

昼食後、バスで市内を走り回る。
特別、ここには「戦跡」というものはない。

103_convert_20140728195439.jpg 104_convert_20140728195603.jpg

105_convert_20140728195650.jpg 108_convert_20140728195751.jpg

いくら景色を見ても、34年前の景色が思い出せない・・・・(涙)
と・・・・
見に覚えのある建物が!!
間違いない!・・・・“あの”建物である!(驚)

1980年の夏・・・ここに到着した時に拙者は体調を崩していた。
よって、1日、ホテルで休息することになり、他の団員は外へ研修に出かけていった。
この時、同じく体調を崩して休んでいたのが「副団長」・・・・
確か“山下さん”という4年生だったと思うが・・・・
お昼になり、何か喰わねばとホテルのレストランで一緒に食事をした。
で・・・体調も戻ってきたようなので、近くを観光しようということになった。(笑)
トライシャと呼ばれる輪タク、自転車タクシーに乗り、ホテルの周辺を散策・・・・
「海のほうへ行ってくれ」とトライシャの運転手に頼んだことを覚えている。
そこから先は記憶にない・・・・(涙)
どこをどう走ったのか・・・何を観たのか・・・・全く記憶に残っていない・・・・
で・・・ある大きな建物のある敷地内に連れて行かれた・・・・
大きな2階建ての建物で、鎧戸が付いていて・・・・華僑の建物・・・という雰囲気の、少し薄汚れた白い建物だった。
その建物から出てきたオヤジ・・・・「どうそ!どうそ!」と日本語で言う。
一体、ここは何なんだ?
尋ねたら・・・唖然!!
ここは、いわゆる“娼婦の館”だったのである!!(大笑)
トライシャの運転手を怒鳴りつけ、大揉めに揉めた!(大笑)
副団長は全くと言っていいほど英語が話せない・・・・
よって、かろうじて少しは話せる大学1年生の拙者が文句をいう役割となり、大騒ぎとなった。(大汗)

こういう経験は、初めてのことでもあり、ショックだったのだろう・・・・
拙者の記憶には、この時のことしか残っていないのである!!(大汗)
そして、この“娼婦の館”の建物・・・・・
なぜか鮮やかに記憶に残っている・・・・(笑)

その建物を見つけたのである!!
間違いない!
34年前に連れて行かれた“娼婦の館”である!!(驚)
が・・・・タイミングを逃し、写真を撮る事が出来なかった・・・・(大涙)
34年間・・・拙者の記憶の中に生き続けていた、あの建物に再会したというのに・・・・残念!無念!
まさかバスに引き返せとも言えないし・・・・(大涙)

最近塗り直したのだろう、綺麗に白いペンキで塗られていた・・・・
専門用語では、この建物の様式は何というのか知らないが・・・・
中国(華僑)の雰囲気を色濃く残す擬似洋風建築・・・・という感じかなぁ~
かなり古い建物である。
ペナン島は1778年に英領になるまでは無人島だったらしいから、その後、ここに住み着いた華僑が建てたものではなかろうか?
日本で言えば、明治時代にたてられた擬似洋風建築に“古さ”が似ている・・・・
ということは、1900年代初期の建物では?
鎧戸はしっかりと閉められていて、今は誰も住んではいない様子・・・・
歴史的建築物ということでペンキを塗り替えて綺麗にしたのだろうか?
それにしても、よく取り壊されなかったものだと感心!
あ~それにしても、写真が撮れなかったのは不覚だった!!(号泣)

さて・・・この建物の前で、揉めに揉めたところまでは記憶にあるのだが・・・
その後が記憶にない・・・(大笑)
それから、どうやってホテルに戻ったのか・・・・まったく記憶にないのである!
ショッキングなことを経験すると、こういうことになるのか・・・・
それとも、拙者の脳みそは、この頃から腐っていたのか・・・・(大笑)

この建物が、もし「歴史的遺産」として保存されるのであれば・・・・
建物の前に市役所が説明板でも立ててくれるのではあるまいか?(笑)
日本で言えば、教育委員会とか、観光課とか・・・・
(教育委員会では“娼婦の館”の説明はしづらいか?)(大笑)
それを見れば、もっとよくわかるよな・・・・
もう一度、この建物を見に一人で来るようか?(大笑)
いつになるやら・・・・少なくとも34年後はありえないな・・・(大笑)

110_convert_20140728205245.jpg 109_convert_20140728205150.jpg

バスは海岸のほうへ向かい、「コーンウォリス砦」の前で停車・・・・
この砦の外観だけを外から“見学”・・・・
この砦は、英国統治時代に造られたレンガ造りの砦、要塞である。
大砲が何門も海に向って据えつけられている。
1786年、英国東インド会社のフランシス・ライト提督が、初めてこのペナン島にやって来たときに上陸した地点に造られたそうで、「コーンウォリス」とは当時のインド総督のチャールズ・コーンウォリスにちなんで名付けられたらしい。
ちなみに、1786年は日本では天明6年・・・・あまりにも古いのでよくわからない・・・(笑)
将軍・徳川家治が死んだ年だが・・・・ピンとこないなぁ~
この砦は、その頃、造られたようだが、現在あるのは1810年に再建されたものだという。
24年後に再建というのは・・・・その間に破壊されたのか?
それとも役立たずで荒廃したのか?
それでも古い・・・・(笑)
1810年と言えば・・・・(大笑)・・・・日本では文化7年・・・・・
緒方洪庵が生まれた年である。(大笑)
全然、ピンとこない・・・・な・・・・(大笑)

しかし、この砦・・・・ペナン島では有名なんだろうが・・・
う~ん・・・相変わらず34年前の記憶にはない・・・・(笑)

111_convert_20140728211539.jpg 112_convert_20140728211657.jpg
(砦の前から見た海)

日本軍がペナン島を占領した後、ここは日本海軍の基地となった。
インド洋方面で行動する日本海軍の潜水艦の作戦拠点である。
第5潜水戦隊、第8潜水戦隊などがここを利用していた。
また、ドイツ海軍の潜水艦・Uボートも、ここを基地として利用して、インド洋の通商破壊作戦を行なっていたという。
この島は、潜水艦基地として有名な場所なのである。
で・・・拙者の興味は、その潜水艦基地はどのあたりにあったのか・・・ということになるのだが・・・・
ガイドに尋ねたら呆れ顔・・・(大笑)
「そんなの知るわけないでしょ」と言わんばかりの顔だった・・・・(大笑)
当然だろうね・・・・若いし・・・・
結局、潜水艦基地の場所はわからず仕舞い・・・・(涙)

日独の潜水艦乗組員は、長期間の作戦後、ここに上陸して休養を取ったのだろうなぁ~
ん?・・・・ということは・・・・
あの“娼婦の館”は、当時も“娼婦の館”だったかも・・・・(大笑)
いや、いや、結構立派な建物だから軍の司令部や将校宿舎のような施設として使われていたかも。
う~ん・・・・頭から“娼婦の館”が消えぬ・・・・(大笑)
何か“縁”があるから、34年前に拙者は、あそこに連れて行かれたのかもしれない・・・・
偶然は実は偶然ではない、必然である・・・・が拙者の信条・・・・
軍の関係施設だったから、連れて行かれたのかも・・・・
だから34年間、忘れずに拙者の記憶の中に残ったのかもしれない。
あの建物が、当時も“そういう建物”だとしたら、あの建物を懐かしんでいる戦没した潜水艦乗組員の霊が拙者を導いたのかもしれない・・・・(大笑)
いや、ありえるぞ・・・・
とにかく懐かしいなぁ~と思ったんだから・・・初めて見る建物なのに・・・・
英霊が憑依していたのかも?
しばし・・・妄想にふける・・・・(大笑)

113_convert_20140728215342.jpg 114_convert_20140728215436.jpg

115_convert_20140728215525.jpg 116_convert_20140728215907.jpg

時刻は午後3時・・・・
ペナン島に別れを告げてマレー半島に向う。
結局、ペナン島は昼食をとるためだけに立ち寄った様な形となったが、それでも訪問できて本当に嬉しかった。
マレー半島に戻るには橋を渡るが、帰りに利用した橋は来る時とは別の橋・・・・
来る時に渡ったのは第1大橋(ペナンブリッジ)で、長さは13.5kmとのこと・・・・
で・・・帰りに利用したのは、第2大橋で、昨年完成した新しい橋である。
造ったのは中国の企業だとのこと・・・・
う~ん・・・・この橋も危ないかも・・・・と車内は大笑い。
長さは約25kmという長い橋で、東南アジア最長の橋だということである。
どうしてこういう橋の受注を日本企業は出来なかったんだろうね?(笑)
韓国製に中国製・・・・
自己中心で、ハッタリ屋、自分のミスは認めず、すぐに開き直る・・・・
こういう国に発注するとはねぇ~・・・・・(汗)
大丈夫かね・・・・この橋・・・・何年持つだろうか?(大汗)

118_convert_20140728220323.jpg 121_convert_20140728220431.jpg

122_convert_20140728220541.jpg
スポンサーサイト


旅行 | 17:30:38 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。