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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ジットラ・ラインへ行く!
朝食を済ませ、出発時間まで30分程度あったので、ホテルの周囲を見学・・・(笑)

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(宿泊した「ホリディ・ビラ・アロースター・ホテル」)

030_convert_20140722130921.jpg(ホテルのロビー)

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(ホテルの前の様子)

午前8時・・・・出発!
と・・・まもなく“ナガハマさん”が何やら探しものをし始まった・・・
どうも自分のカバンがどこにあるのかわからないと言う。
まさか・・・ホテルに置いてきたんじゃあるまいね?(大笑)
念のため、町の中を一周して再びホテルに戻ったら・・・・
なんと!ロビーにカバンを置き忘れていた!(唖然)
“ナガハマ”さんはリュック一つと手提げカバンで、今回の旅行に参加されていたようで・・・・
その手提げカバンをロビーのソファに座っていた時に、そのまま置き忘れたらしい。
“ナガハマ”さんは88歳・・・今回の参加者の中で最高齢だから、こういうことは仕方がないかも・・・
それにしても、よく盗まれなかったものだと、みんなで大いに感心(変な感心の仕方だが・・・)(笑)

これから、一路、北上してタイ国境へ向う。
今回のツアーは、そこからシンガポールまで南下するのである。

このマレー進攻作戦は陸軍では第25軍が担当した。
軍司令官は、のちにフィリピンで戦犯として処刑される山下奉文(開戦時・中将)である。
第25軍には近衛師団(東京)、第5師団(広島)、第18師団(久留米)、第3戦車団(戦車第1連隊、第2連隊、第6連隊、第14連隊)などがある。
これらの部隊はタイのシンゴラなどに上陸してマレー半島を南下し、シンガポールの攻略を目指す。
我々は、この上陸地点からではなく、タイ国境を出発点として、これらの部隊の足跡を辿るのである。

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(アロースターの町の中)

途中から高速道路に乗る。
この高速道路のインターには「Touch'n Go」というレーンが設けられてある。
何をタッチしてゴーするんだか・・・よくわからないが・・・
日本で言えば、ETCのようなものなのだろう。(笑)
「SAHAJA」(サハジャ)と書いてあるので、サハジャという名前のインターかと思ったのだが、調べてみたら「SAHAJA」とは「~だけ」という意味だった。(大笑)
つまり「タッチ・アンド・ゴーする車だけ!」という意味らしい・・・(笑)

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午前9時過ぎ・・・・国境に到着する。
ホテルを出てから、一度ホテルに戻ったり、途中でガソリンスタンドに立ち寄ったりしていたので・・・・
多分、アロースターからタイ国境までは1時間もかからないだろう。
高速道路を利用したからなおさらである。
当時は、どのくらい時間がかかったんだろう?

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(国境の税関)

この税関は「BUKIT KAYU HITAM」という名前の国境税関である。
なんて発音すればいいんだろう?(大笑)
BUKITは「ブキット」・・・「丘」という意味であるが・・・
「ブキット・カユ・ヒタム」でいいのかなぁ~?(笑)
KAYU=木材、HITAM=黒・・・という意味・・・・
つまり、「黒い木材の丘」ということになるのかな?
このあたりには黒い木が生い茂っていたのか?
黒い木・・・ねぇ・・・・それは、もしかしたら「黒檀(コクタン)」?(大笑)

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緑地帯の脇にある細い道・・・・
これ、一見、歩道のように見えるけど・・・実はオートバイ専用のレーンなのである。(笑)
へぇ~・・・・こりゃすごい・・・・

この国境のところが日本軍がタイ側から突破してきた場所ということではなさそうで・・・
日本軍が進撃したのは、ここから少し離れたところらしい。
ここはあくまでも、タイとの国境がこの位置になります・・・ということ。
税関での写真撮影は禁止とのことだが、我々が日本人ということもあって、多少、大目に見てくれたのか?
ツアー参加者の皆さんは、税関の女性職員とツーショットの写真などを撮っていた。(正直言って・・・唖然)(大笑)

ここを出発点にして、南下・・・・
これから向かうのは「ジットラ・ライン(ジットラ陣地)」!!(喜)

英軍は、アロースターにある飛行場群を守るため、昭和16年7月頃から陣地の構築を始めていた。
が・・・その進捗は遅く、対戦車壕や陣地の一部が出来上がった程度だったという。
タイから進撃し、このジットラを突破するのは第5師団(広島で編成)である。
その先頭を前進したのが、第5師団捜索第5連隊で、通称「佐伯部隊」・・・・
捜索第5連隊に配備されていたのは、九七式軽装甲車・・・
この間、オーストラリアに行った時に「戦車博物館」で観た、あの装甲車である。(喜!)

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(オーストラリア陸軍戦車博物館にある日本軍の九七式軽装甲車)

これに戦車第1連隊(久留米で編成)から1個中隊、野砲兵第5連隊から山砲中隊等の配属を受け、「佐伯挺進隊」となり、ジットラ陣地に突っ込んだのである!

午前10時、ジットラ橋に到着・・・

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この橋の向うからこっちに向って「佐伯挺進隊」(600名弱)が攻撃を仕掛けるが・・・・
残念ながら、この橋は英軍の手によって爆破されてしまった。
このジットラ付近を守備していた英軍は印度歩兵第11師団の2個旅団・・・
後方より追及してきた歩兵第9旅団長・河村少将が指揮する「河村部隊」が加わり・・・
歩兵第41連隊(福山で編成)が道路東側地区から攻撃、歩兵第11連隊(広島で編成)が道路の西側から攻撃・・・

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直接交戦をした英軍は、歩兵約9個大隊、砲兵2個連隊、対戦車連隊が1個・・・
その兵力は約5,400名・・・・
ドイツとフランスの国境沿いに造られた、対ドイツの要塞線である「マジノ・ライン(マジノ線)」にあやかって、「小マジノ線」とも呼んだ「ジットラ・ライン」は3ヶ月は持ちこたえると英軍は豪語したらしいが・・・・
昭和16年12月12日・・・・
日本の猛突進に、ついに1日で陥落・・・
英軍は撤退・・・印度(インド)兵約1,000名が続々と投降するという有様だったという。
日本軍の損害は、戦死27名、戦傷83名の計110名だったといわれている。

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川沿いに「ジットラ・ライン」のトーチカを見に行くが・・・・
以前はあったという、そのトーチカがない!(笑)
いくら探しても・・・・ない!(大汗)
地元の人に尋ねたら、3年ほど前に取り壊されたそうだ。
あらぁ~・・・・残念・・・・(大涙)

なんだかんだと、ここで30分ほど潰す。
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旅行 | 13:00:45 | Comments(0)
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