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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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日本人墓地に行く
朝起きたら、部屋の前に車が停まっていた・・・・
屋根には四方八方にカメラが装着されている・・・・

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この車は、あの「グーグル」の地図にあるような「ストリートビュー」の映像を撮影する車ではなかろうか?
会社は「グーグル」じゃないから、別の、そういう地図サイトのものだろう。
へぇ~・・・・こういう車で撮影しているんだぁ~

午前7時少し前・・・・朝食まで時間があるので、モーテルの周囲を撮影・・・・

209_convert_20140601215241.jpg (拙者の部屋がある棟)

208_convert_20140601143537.jpg 206_convert_20140601143637.jpg (モーテル)

道路の木が真っ赤に色づいていて綺麗だ・・・・う~ん・・・・秋だなぁ~(笑)

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ホテルの看板を見たら・・・・
「モーター・イン」と書いてある・・・「モーテル」とは呼ばないらしい・・・・(笑)
その上に「カントリーマン」の文字が・・・・
「カントリーマン」というのは「田舎者」っていう意味じゃなかったっけ?(笑)
こういう場合は、下手に日本語には訳さないほうがよさそうである。(大笑)
田舎者の宿泊所・・・ではねぇ~(大笑)

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部屋もシンプルで広かったし、朝食も美味しかった・・・・
ホテルのおばさんも明るくて親切な人だったし・・・・
ここ・・・いいなぁ~(喜)

最初に向かったのは・・・・街の中にある「世界平和の鐘」

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英文の説明板に色々書いてあったが・・・・(笑)
この鐘はレプリカで、オリジナルは国連本部に置いてあるとか・・・
そういえば、30年前に国連本部を訪問した時に、日本の鐘を見たような記憶がある・・・
各自、鐘を突いて平和を祈願・・・・・

222_convert_20140601222310.jpg (カウラの街の中)

時刻は9時過ぎ・・・・次に向かうのは「ローズ・ガーデン」という場所だそうだ・・・・
「バラ園」??
バラの花を見に行くのか?(汗)

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行って見たら、「ローズ・ガーデン」に隣接して、「ビジターズ・センター」がある。
そこにカウラ捕虜収容所に関するミニ資料館があるそうで、そこを見学するという。(笑)
そうだよねぇ~・・・・朝からバラの花を見学するような趣味はないよな・・・オッサンのツアーだもん・・・(大笑)

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230_convert_20140601230311.jpg (カウラ捕虜収容所の全景模型)

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資料展示室の内部にはホログラム・シアターもあった。
ホログラムで現われる女の子がカウラ捕虜収容所について解説してくれるのだが・・・・
当然、すべて英語である。(大笑)
でも、まぁまぁ何とか意味はわかった。(喜)

このホログラムシアター・・・・
東京のどこかの郷土博物館で見たことがあるんだが、どこで見たのか思い出せない・・・(涙)
葛飾区だったのか、台東区だったのか、江東区だったのか・・・(大笑)
すごいもんだと思ったが、こんな田舎町(失礼!)の小さな資料展示室でもお目にかかれるとはねぇ~
やっぱり、オーストラリアは先進国か?(大笑)

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ここには、本なども販売されていたので、カウラに関する本を3冊ほど購入する。
英文の本だが、辞書を片手にボチボチ読めば何とかなるんじゃなかろうか?(笑)
それにしても、どうして英文の本というのはこんなに分厚いのかねぇ~(汗)
アルファベット文字を5個も6個も繋げてようやく一つの単語・・・・という有様だから自然と文章が長くなりボリュームが多くなるのかもしれないな・・・・
そう考えると、日本の「漢字」というのは大したものだと思う。
ついでに「文庫本」というのも大したものだと思う。(笑)

お土産物コーナーで、カウラのステッカーを見つけた!(大喜)
これも購入して、スーツケースに貼ろう!(大喜)

時刻は9時50分・・・・次は10分程度走って、「日本人墓地」に向う。

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(オーストラリア軍戦没者墓地)

ここには、オーストラリア軍戦没者墓地と日本人墓地が並んでいる。
英文と日本文の解説板が設置されていた。


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【説明板】

オーストラリア人戦没者墓地および日本人戦没者墓地

オーストラリア戦没者墓地および日本人戦没者墓地は、第二次世界大戦中カウラで起こったできごとに由来しています。

1940年代には、二つの陸軍部隊がカウラに配置されていました。
カウラの東側のシドニー街道に置かれていた大規模な歩兵隊基地からは第二次AIF(オーストラリア帝国軍)への援兵が送られていました。
およそ八万人の兵士たちがこの駐屯地に滞在した経験を持ち、訓練中の事故や病気で亡くなった兵士たちがここに葬られています。
墓の一つは、戦後すぐにオートバイの事故で亡くなった空軍兵士のものです。

町の北東の別の場所に、第十二捕虜収容所が建設されました。
カウラ捕虜収容所として知られていますが、この収容所は元々イタリア人の捕虜を収容するためのもので、後に日本人の捕虜を収容するようになりました。
この中には朝鮮人や中国人も含まれていました。
この収容所にはまた、オランダ領東インド諸島を統括していたオランダ政府により抑留されたインドネシアの民間人や商船隊員たちも拘禁されていました。

オーストラリア戦没者墓地には、1944年8月5日の早朝に起こったカウラ集団脱走事件の際に亡くなった兵士、ラルプ・ジョーンズ(ジョージ十字勲章)、ベン・ハーディー(ジョージ十字勲章)、チャールズ・シェパードも、その日の午後にカウラの北で日本人捕虜を再捕獲しようとして命を落としたハリー・ドンカスター中尉と共に埋葬されています。

カウラ捕虜収容所で亡くなったイタリア人兵士たちも当初はカウラに埋葬されていましたが、彼らの遺骨は1961年にビクトリア州のマーチソンにあるイタリア人捕虜および拘留者専用の墓地に移されました。
カウラで亡くなったインドネシア人たちは、カウラの一般墓地に葬られています。
1997年には記念碑が建立され、墓地は装いが新たになりました。

集団脱走事件以前に亡くなった日本人は、一般墓地に印をつけて埋葬されていましたが、1944年の脱走事件後は日本人の墓地は一つの区画にまとめられました。
戦後、地元の退役軍人の会が連合軍の兵士の墓と同様に日本人兵士の墓の世話をしていました。
1963年に日本政府が日本人戦没者墓地を建設することを提案し、オーストラリア政府はこれに同意しました。
オーストラリア北部で撃墜されたり、墜落したパイロットたちを含め、戦時中に亡くなった日本人の遺骨は全て、民間人のものも軍人のものもカウラに運ばれ、それ以来、第二次世界大戦中の日本人の遺骨はここに埋葬されています。

第二次世界大戦中のカウラの歴史に関する詳しい情報は、捕虜収容所跡およびカウラ観光案内所でご覧いただけます。

オーストラリア人戦没者墓地および日本人戦没者墓地はオーストラリア政府の復員軍人省を通し、オーストラリア戦没者墓地管理局が管理しています。

この碑は、元日本国総理大臣橋本龍太郎氏の経済的援助により建立されました。



説明文を読んでみると、橋本元総理が個人的にポケットマネーを出して、この説明板を設置した・・・というふうに認識いたしますが・・・
ん?・・・・元総理大臣が個人的にカネを出さないと作れないものなのかねぇ~
こういうのを国の予算(国民の税金)で設置することはできなかったのかねぇ~?
やっぱり日本の役人の出来が悪いからなのだろうか?(大笑)

この墓地のすぐ隣りに「日本人墓地」がある。

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赤や黄色の落ち葉の絨毯・・・・フサフサした参道を歩いて向う・・・・
こういうの、好きだなぁ~(喜)

ここにも別にもう一つ解説板が設置されている。



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【説明板】

太平洋戦争勃発により北米・東南アジア・オセアニア・太平洋諸島など世界各地で日本人・日系民間人が敵性外国人として抑留された。
オーストラリアで抑留された日本人・日系民間人は、最高時4300余人に達した。
これは、オーストラリア国内で検挙された1140人に加えて、近隣のニュージーランドやニューカレドニア、蘭領東インドなどの地域で拘束された3200人を受け入れたためである。
抑留者には、現地生まれの日系2世や3世だけでなく、当時日本統治下にあった台湾・朝鮮の人々も含まれた。
抑留者のうち、単身男性は南オーストラリア州のラブデー及びニューサウスウェールズ州のヘイ収容所に、家族組や女性はビクトリア州のタツラ収容所に収容された。
抑留中に病気などで亡くなった人々は、現地の一般墓地にいったん埋葬されたが、1964年にこの場所に日本人戦没者墓地が設置されたのを機会に改葬され、現在193名が墓地内に眠っている。
なお193名のうち、10名は戦争捕虜扱いになっているが、これは海業に従事していた移民労働者の取り扱いを、民間人抑留者から戦争捕虜に戦争中に変更したためである。(文責:永田由利子)



解説板の文中に「現在193名が墓地内に眠っている」と書かれてあるが、これは日本人抑留者だけの数だろう。
分かりやすく言えば、民間人の数だけ・・・という事ではないかと思う。
この説明文は、ちょっと紛らわしい書き方かな?
ここにはカウラ捕虜収容所での暴動で死亡した陸海軍軍人等231名については何も書かれてはいない。

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(昭和39年9月に建立された「日本人戦没者の墓」の碑)

事前の勉強で読んだ本によれば、この墓地にはオーストラリア各地の収容所で亡くなった522名の遺骨が埋葬されているという。
いったい、どんな人が何人埋葬されているのか、総数で何人なのか・・・というようなことを明記した説明板があるといいのになぁ~・・・・と思う。
時間の関係上、すべての墓石を確認することはできなかったが、ザッと数えて、400名を超す墓石(プレート)があるようなので、522名という数字は正しいかも・・・・

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この最前列の左端の人は・・・・
1945年4月19日に25歳で亡くなった方である。
その隣りの方は、1944年6月29日に76歳で亡くなられた方である。
この他にも、3歳とか5歳で亡くなった子供の墓もある。
年齢が明記されているということは、多分、民間の抑留者だろう。

墓地の左の方にカウラ収容所の暴動で亡くなった方々のお墓があった。
氏名と死亡日だけが刻まれているが、当然、氏名は偽名である。
捕虜になった際、殆どの日本兵は偽名を使ったので、偽名で記されている。
本当は誰なのかは誰も知らない・・・・
なんともかわいそうな気がする・・・・

墓地の一番奥の隅っこに他とは違う墓石がはめ込まれていた。

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ここには、ダーウィン上空で撃墜された3機の航空機に搭乗していた氏名不詳の12名の海軍航空兵を含む方々の名前が刻まれていた。
1942年4月4日死亡ということで7名プラス氏名不詳者3名・・・・
同じ日に8名プラス氏名不詳者6名・・・・
1機で6名ということは、陸上攻撃機か飛行艇の搭乗員か?
1943年7月6日死亡ということで、8名プラス氏名不詳者3名・・・・
合計で35名となるが・・・・
この狭い一画に35名もの遺体が埋葬されているのか?
多分、バラバラに飛び散った遺体の一部なんだろうなぁ~

一つ一つのお墓を見てお参りをしたいところだが・・・・
時間の関係上というか、他の人はあまり興味がないというか・・・(汗)
さっさとお線香をあげて帰りましょうという雰囲気だったので、一つ一つのプレートを見て歩くのを断念する。(涙)

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この木・・・・
何気なくプレートを見てみたら、三笠宮崇仁殿下のお名前が・・・・
殿下は、ここにも慰霊に来られていたのか・・・・
多分、今年98歳になられると思うが・・・・・
日本国内でも海外でも、よく殿下のお手植えの木に出会うことがある。
人知れず、戦後、慰霊巡拝をされていたようである。
殿下に最後にお会いしたのは、殿下が93歳か94歳の時だったような気がする。
ご自宅でのお誕生日会についてご質問させていただいたり・・・、食事をしながら、おしゃべりをしたのが最後である。
殿下はお元気だろうか・・・・
ご高齢なので、もうお会いすることはない・・・・
「カウラでお手植えの木を見ましたよ!」という話が出来ないのが残念である・・・(悲)
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旅行 | 14:26:04 | Comments(0)
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