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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ミンダナオ島めぐり(4)
朝食後、出発までに少々余裕があったので、ホテルの外に出てみた。(笑)
う~ん・・・これといって散策したいという場所が無い・・・(涙)

419_convert_20140303134321.jpg(マルコポーロ・ホテル)

418_convert_20140303134803.jpg(ホテルの前の道)

なんだなぁ~・・・なんか不便なところに泊まっている感じ・・・(笑)

今日は、これといった観光でもなければ、戦跡訪問、慰霊巡拝でもなさそうである。
“ヨシダさん”のご先祖様の足跡を辿るという一日になるそうだ。

421_convert_20140303150057.jpg 422_convert_20140303150142.jpg

“ヨシダさん”の親戚宅に立ち寄って、親戚の方を乗せ・・・
最初に向かったのは『タヤバス小学校』・・・・
「タヤバス」という地名は、どこかで聞いたことがあるような気がするのだが・・・
確か、このあたりで戦闘があったんじゃないかなぁ~
が・・・ここに来たのは、“ヨシダさん”のおじいさんの家がここにあったから・・・・ということらしい。

この後、“ヨシダさん”の親戚の家を訪ねたが、お留守のため引き返す。
その帰り道に見えたのが、通称「吉田山」・・・・

423_convert_20140303171606.jpg(吉田山)

「山」と言っても、小高い丘にしか見えないが・・・
名前の由来は、この地域に住んでいた“ヨシダさん”のおじいさんだろう。
このおじいさんは、この地域の大酋長の娘さんと結婚したらしい。
で・・・子孫がいるわけだが・・・
話によると、日本にも奥さんがいたそうで・・・・
どうも事情が複雑でややっこしい・・・(大汗)

この「吉田山」には「片桐大隊」という部隊がいたという話がチラリと出たが・・・
拙者は事前に勉強していなかったので、さて・・・正式名称は何なのか、どんな部隊だっったのかも知らない。
事前によく勉強していないと、こういうことになる・・・(涙)
話の主体は、この山にあった「吉田神社」の話で・・・
戦後、この神社が、どうしたのこうしたの・・・という話・・・
今は神社は消滅し、何も残っていないそうである。

時刻は10時半・・・・

次は、アポ山というミンダナオ島で一番高い山の麓にある「自然公園」に向う。
どうしてここに行くのか・・・拙者は全く知らなかったが、どうもこの公園・・・
戦前は「吉田公園」と呼ばれていたそうである。
“ヨシダさん”のおじいさんは、このあたりの名士だったのだろう・・・
日本人移民の活躍の一端を知る。
戦後、“ヨシダさん”のおじいさんの奥さんの名を取って「イーデン自然公園」と名付けられている。

424_convert_20140303210917.jpg 426_convert_20140303211023.jpg

「ツアーセンター」で受付をして・・・まずは昼食・・・
公園内を「ツアー・バス」で回るらしく、その出発時刻は午後1時・・・
それまでに昼食を済ませておこうということで、園内のレストランで食事をする。

427_convert_20140303211127.jpg 428_convert_20140303211218.jpg

最初は我々くらいしか客がいなかったが、そのうちドドッと若い連中が入ってきた。
どうもフィリピン人の学生達らしい。
何かの研修なのか、遠足なのか・・・(笑)

この「自然公園」は、リゾート施設が整っているようである。
レストラン、研修室、宿泊所、プール、アスレチック施設・・・等々・・・
当然、フラワーガーデンだの、畑だの・・・というのもある。
申し訳ないのだが・・・拙者は全くといっていいほど興味は無い・・・
植物は好きだし、自分で花を育てたりもしてはいるが・・・
花の名前を聞いても覚えられないし・・・
どうせ日本では育てることはない花の話を聞いてもねぇ~(笑)
本当に植物が好きな人は熱心に聞くかもしれないが・・・
もしかしたら、拙者は本当は植物が好きではないのかも・・・(大笑)
全然、話を聞く気がおこらない・・・・退屈である・・・(笑)


435_convert_20140303213810.jpg

軽トラックの荷台を改造したような「ツアーバス」・・・・
これに乗って「自然公園」のごく一部だが・・・見て回ったのである。

ツアーの不便なところは、ガイドのそばに常にいないと説明を聞き逃してしまうということ。
で・・・ガイドの説明している“もの”だけを見て・・・
「では、次に行きま~す!」と言われてしまうと、写真を撮るのも困難となる。
ましてや、自分の興味のあるものを見ようなんてこともできない。
言われたまま、指図されたまま行動をするしかない。
拙者は基本的に団体行動が苦手である。(笑)
ツアー旅行には向かないタイプである。(大笑)
というわけで・・・自分で探索するのが好きなので・・・ついついガイドから離れて行動をしてしまう。
だから、ガイドの説明は全く聞いていない。(大笑)
どうせ聞いても三歩も歩いたら忘れちゃうし・・・(大笑)
ガイドの説明を聞いているだけ時間の無駄である。

単独行動と言っても、ツアーに迷惑はかけられないから、みんなから見えるあたりをウロウロしてるか・・・
ガイドに声をかけて許可をもらって行動をする。

で・・・単独行動を取って見つけたのが・・・これ・・・

433_convert_20140303213908.jpg

英語の説明板によれば・・・(ビサヤ語でなくて良かったが・・・笑)
これは、昔のシャーマン(まじない師)の家を復元したものらしい。
ここで、まじないによる病気の治療などをしていたらしい。
へぇ~・・・・拙者は、こっちのほうに興味がある。(大笑)

次に向かったのは、「古川拓殖会社」の事務所跡・・・
この「古川拓殖会社」というのは、古川義三という人が大正3年(1914年)に、ここダバオで設立した会社で、「マニラ麻(アパカ)」を栽培して輸出した会社・・・
この「マニラ麻」は、戦前、フィリピンの輸出農産物のトップとなるほど成長した産業だったが、日本の敗戦後は全財産が没収され、日本人移住者の多くが強制送還となったらしい。
創業者の古川義三氏は昭和60年(1985年)にお亡くなりになっている。
この人のお母さんの姉、つまり伯母さんの旦那さん、つまり、義理の伯父さんが・・・(面倒な話ですが・・・)
伊藤商店(現・伊藤忠商事)の創業者である伊藤忠兵衛・・・
伯父さんの影響を受けたのかなぁ~?
伊藤商店の支援を受けてこの会社は設立されたようである。

ダバオのマニラ麻産業は、太田恭三郎の「太田興業」と、古川義三の「古川拓殖」で発展したと言っていいだろう。

442_convert_20140304210240.jpg 451_convert_20140304210500.jpg

昔懐かしい木造の事務所である。
拙者の会社も、拙者が子供の頃は、こんな風な木造の会社だったんだよなぁ~・・・と、つい、昔を思い出してしまった。(笑)
この建物は、現在、政府の管理下におかれているようで、そのようなことが英語で書かれた看板が付いていた。

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この事務所の裏には事務所と繋がった建物があったようで・・・基礎部分と階段部分だけが残っていた。
コンクリート製の洒落た階段である・・・

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管理人らしき人物に、事務所内部の見学が出来るのかと尋ねたら、OKだというので内部を一人で見学・・・(笑)
他の人達は、いつの間にかどこかに行ってしまい見当たらない・・・(笑)

453_convert_20140304214301.jpg 454_convert_20140304214357.jpg

見学を終え、管理人にチップを渡して外に出たら・・・誰もいない・・・
あれ?・・・みんなはどこへ行ってしまったのやら・・・(汗)
と・・・我々のワゴン車を見たら、みんな先に乗って拙者を待っていた・・・(大汗!)
いやぁ~・・・つい、夢中になっちゃって・・・お待たせてしてしまい申し訳なし!

時刻はまもなく午後3時になる。
このあたりは「ダリラオン」という場所だと思うが・・・
ここから車で5分程度の所に古川拓殖の倉庫が今も残っているというので、それを見に行く事となる。
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旅行 | 10:19:35 | Comments(0)
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