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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ミンダナオ島めぐり(2)
さて、これからどこへ行くのか・・・(笑)

移動中、ガイドさんから現地のことについてのお話があった・・・
その中に、「フィリピン・ワシ」の話が・・・
「猿食い鷲」の別名もある鷲だそうで、フィリピン固有種の鷲だそうである。
「そのフィリピン・ワシ・・・是非、見たいですねぇ~!」と“ヨシダさん”ご夫妻・・・
「じゃぁ、皆さん、見たいそうですから、そちらに向かいましょうか!」とガイドさん・・・
ウソ・・・(汗)
皆さん・・・って、“ヨシダさん”ご夫妻以外は、誰も見たいなんて言ってないんですけど・・・(大汗)

ここミンダナオ島でのメインのテーマは、ここに移住した日本人移民に関しての“お勉強”とのこと。
そこで、移民に詳しい作家先生が同行して解説してくれることになっていたのだが、急病のため不参加・・・
“ヨシダさん”ご夫妻は、その移民の子孫ということで今回参加されたようで・・・
フィリピンには初めて来たという・・・
そうなると、基本的には“ヨシダさん”が中心となるようで・・・
それぞれの参加者の“立場”がよくわからないんだけど・・・
ここでは、どうも“ヨシダさん”のおじいさんの足跡を辿る旅・・・みたいな感じのようである。

が・・・拙者の方から添乗員さんにタモガン方面には行かないのかと質問させていただいた。
ここには日本の慰霊碑があるし、近くに日系人の家があり、そこの庭にも慰霊碑があるのである。
そこをお参りしてはどうだろうかと提案させていただく。
「いやぁ~そこにも是非行きたいですねぇ~」とのことなので、移動しながら車中でコースの再検討を行なってもらう。

そして、最初に向かったのは、タモガンにある「慰霊碑」・・・「納骨堂」である。
「ミンタル小学校」から30分ぐらいで到着。
ここには4年前に訪問したことがある。

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(碑文)

PEACE&FRIENDSHIP
2003
邦人ダバオ移民100周年記念
2005
終戦ダバオ引揚60周年記念
平和友好

納骨堂
この地ダバオ市マランバ マリログ地区サムブノタンを中心としたタモガン山中にはまだ多くのお遺骨が集骨されず放置のままとなっております。
附近住民の温かい友情とご協力により記念碑と納骨堂をこのゆかりの地に建立することができました。
地元住民の更なるご協力により収骨が続けられますことに衷心より感謝申し上げます。
この有難いご好意が今後末永い友好の絆となりますことを祈念いたすと共にみ霊の安らかなご冥福をお祈りいたします。

沖縄県ダバオ会
在(ダバオ)フィリピン日系人会
2005年5月15日 竣工
ダバオ慰霊の日

ダバオには沖縄から多くの移民が来ていたようで、その交流は深いものがあるようである。
「日本人墓地」にも沖縄県関係の慰霊碑が建っていた・・・

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「納骨堂」の後ろに見える山々がタモガンの山々・・・
ここに日本軍や在留日本人たちが逃げ込み、病死や餓死されたのだろう。
このあたりで拾われた遺骨が、この「納骨堂」に納められている。
碑の裏がガラス張りになっていて、内部に納められているご遺骨を見ることができる。

隣りに民家がある。
その家の前に子どもをあやしている女の子が・・・
あれ?・・・彼女には4年前に会った事がある・・・
“フジイさん”が子供達に飴玉を渡したりして、拙者が記念写真を撮ってあげた。
あ~あ~!・・・あのときの写真を持ってくるのを忘れた!
彼女は拙者の顔を忘れているようだが・・・(笑)
4年前の記念写真を持ってきてプレゼントしてあげればよかったと大いに後悔・・・

時刻は間もなく2時・・・
ここから10分程度で“サカエさん”のご自宅に到着する。
ここにも4年前訪問した。
あの時は、近所の人から話を聞いて、尋ね尋ねながら訪問したので・・・場所を良く覚えていない。
幸いにも、“ヨシダさん”の「遠い親戚」にあたる現地の青年が、場所を知っていたので助かった。
突然の訪問で恐縮だが・・・(大汗)
“サカエさん”は御存命だった!(大喜)
昼寝中を起こしてしまったようで、“サカエさん”がやってくる間に、「勝手知ったる他人の庭」・・・
先に慰霊碑の場所に拙者が皆さんを案内する。(大笑)

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(碑文)

激戦地追悼碑
山田部隊(353大隊)生存者一同 1974起

我等今 この碑前に立ちて語るべき言葉もない
限りなき春秋の身を 国難に殉じて流した君等将兵の鮮血は 今 ふるさとに輝かしきみどりとなりて燃えている
遠く彼岸に去りし戦友よ
父よ 夫よ 兄弟よ 吾子よ
大菩薩よ 冥されよ
とこしへに

我等幾再来諸霊菩提誓願
南無阿弥陀佛 合掌
元山田部隊ミンタル会
昭和53年8月

この碑を建立した「山田部隊」というのは、陸軍の独立歩兵第353大隊のことだと思う。

まもなく、“サカエさん”がおいでになったので、皆さんにご紹介・・・
“サカエ”さんとは4年ぶりの再会であったが・・・先方は拙者のことを覚えていないようだった。(大笑)
まぁ、それでもいいのである。
拙者の自己満足・・・“サカエさん”のお元気なお姿が拝見できて大感激である。
“サカエさん”は日本人とフィリピン人との間に生まれたハーフである。
戦時中、日本軍の現地召集を受け、少年兵として工兵隊に配属となった。
4年前に初めてお会いした時は、こちらは海軍の少年兵だった“フジイさん”と一緒で、1歳違いの少年兵同士・・・
海軍と陸軍で所属は違うが、お互いに「元気で長生きしましょう!」と涙ぐみながら握手をされていた。
その“フジイさん”は大阪でお元気でおられる。
よかったぁ~・・・“サカエさん”もお元気で・・・
現在、87歳とのこと・・・
どうか長生きしていただきたい・・・
戦後、ここに留まっておられたのだから、かなりの苦労をされてきたことと思う。
苦労した分、お元気で長生きしていただきたい。

“サカエさん”からお話をしていただいたが、流暢で、綺麗な日本語を話されるのでツアーの皆さんが驚かれていた。
“サカエさん”の日本語は、本当に美しい綺麗な日本語なのである。
拙者など、恥かしくて“サカエさん”に話しかけるのにも緊張するくらいなのである。(笑)
まさしく日本人・・・戦前の日本人である。
これに対して、今の我々の話す日本語のお粗末なこと・・・
こりゃ、いったいどういうわけだ?
学校教育が悪いのか?親の言葉遣いが悪いのか?それともテレビの悪影響か?

前回お会いした時に、一緒に写真を撮っていなかったので、これがずっと心残りだったので、今回はお願いしてツーショットの写真を撮ってもらう!(大喜)
拙者は、ツーショットの写真とか、写真に写るのが好きではないので、滅多に写真を撮ってもらうことはないのだが・・・(笑)
今回だけは話は別である!

ほんのわずかな時間ではあったが・・・・
本当にお会いできてよかった!!(大喜)

時刻は2時半・・・次に向う。
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旅行 | 15:36:57 | Comments(0)
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